深夜勤務終了し、まだ暗い中帰途につく。少しボ−ッとした頭をすっきりさせるため熱めの朝風呂にはいる。冷えた身体を伸ばす。父の体調が今一つなので今日は終日自宅勤務。
支度を済ませて居間で新聞を開いた。何気なく見た紙面に目を覆いたくなるような見出し。3歳の女児が20歳の母親に餓死させられていた。体重はわずか3kgしかなく身体中に床ずれが出来ていたそうだ。母親は「死んでもかまわないと思って食事を与えていなかった」と供述していた。23歳の同居していた交際相手の男性との時間を優先したかったので邪魔だと思っていたらしい。
飽食の時代といわれる今、餓死する事だけでも痛ましいのに、最も近しい母親から疎まれ、わずか3年の生涯を終えざるを得なかったこの女児に胸が抉られるような悲しみを感じた。狭いロフトに新聞紙をしかれ、その上に寝かされていたこの女の子が最後に思った事は何だったのだろうか?床ずれが出来ていたという事は、同じ体勢で寝ていたのだろう。目を開けても目を開けても同じ天井や壁を見ていたのだろうか?下から聞こえる母の嬌声。自分にはかけられた事のない声。それでもいつかは自分にも優しく語り掛けてくれると信じていたのだろうか?
私には人間と思えないこの行為。いずれ法律が裁くであろうが、年齢が若い為考えがまだ未熟・育児指導してくれる人がいなかった云々で数年の刑で、何事もなかったかのように社会復帰するであろう。性犯罪の再犯率が取り上げられているが、このような育児放棄で我が子を死に至らしめた親は繰り返さないのだろうか?以前だったら我が娘が育児放棄していたら、孫可愛さに祖母に当たる母親がカバ−していた筈だ。今回の母親は20歳。出産時は17歳だ。祖母に当たる母親はまだ十分に子育て出来る位に若い筈だ。17歳という若さで母親になった娘とその子が心配になる筈だ。これは私個人の推察に過ぎないが、ここまで孫を放置できたという事は今回の20歳の母親もきっと十分な母の愛情を受けていなかったのではないだろうか・・・しかし、だからといって我が子を飢餓によって死に至らしめて言い訳ではない。
「我が子を大切に育む」という母性が現代の女性には欠落してきているのではないだろうか?少子化時代と騒ぎ、子無しの女性は“負け犬”と煽り、出産数だけを増やしてもその後に続く“育み”をもう一度見直さなければ、いつまでたってもこの問題はなくならない。親になる事は、それまでの生活に多かれ少なかれ制限が必ずついてくる。この事が分からないままに快楽を追求した生殖行為だけにいそしみ、無責任な出産をする・・・いわゆる“産みっぱなし”をする人々を私は断固として許さない。
初詣に行った時、渋滞の車の中から見た光景が思い浮かんだ。幼児の手を引く母親が線だけで仕切られた歩道を歩いていた。でも幼児が車道側。その脇を車がどんどん通り過ぎていっていた。脳裏に浮かんだその光景。思わずため息が漏れる一日だった。
支度を済ませて居間で新聞を開いた。何気なく見た紙面に目を覆いたくなるような見出し。3歳の女児が20歳の母親に餓死させられていた。体重はわずか3kgしかなく身体中に床ずれが出来ていたそうだ。母親は「死んでもかまわないと思って食事を与えていなかった」と供述していた。23歳の同居していた交際相手の男性との時間を優先したかったので邪魔だと思っていたらしい。
飽食の時代といわれる今、餓死する事だけでも痛ましいのに、最も近しい母親から疎まれ、わずか3年の生涯を終えざるを得なかったこの女児に胸が抉られるような悲しみを感じた。狭いロフトに新聞紙をしかれ、その上に寝かされていたこの女の子が最後に思った事は何だったのだろうか?床ずれが出来ていたという事は、同じ体勢で寝ていたのだろう。目を開けても目を開けても同じ天井や壁を見ていたのだろうか?下から聞こえる母の嬌声。自分にはかけられた事のない声。それでもいつかは自分にも優しく語り掛けてくれると信じていたのだろうか?
私には人間と思えないこの行為。いずれ法律が裁くであろうが、年齢が若い為考えがまだ未熟・育児指導してくれる人がいなかった云々で数年の刑で、何事もなかったかのように社会復帰するであろう。性犯罪の再犯率が取り上げられているが、このような育児放棄で我が子を死に至らしめた親は繰り返さないのだろうか?以前だったら我が娘が育児放棄していたら、孫可愛さに祖母に当たる母親がカバ−していた筈だ。今回の母親は20歳。出産時は17歳だ。祖母に当たる母親はまだ十分に子育て出来る位に若い筈だ。17歳という若さで母親になった娘とその子が心配になる筈だ。これは私個人の推察に過ぎないが、ここまで孫を放置できたという事は今回の20歳の母親もきっと十分な母の愛情を受けていなかったのではないだろうか・・・しかし、だからといって我が子を飢餓によって死に至らしめて言い訳ではない。
「我が子を大切に育む」という母性が現代の女性には欠落してきているのではないだろうか?少子化時代と騒ぎ、子無しの女性は“負け犬”と煽り、出産数だけを増やしてもその後に続く“育み”をもう一度見直さなければ、いつまでたってもこの問題はなくならない。親になる事は、それまでの生活に多かれ少なかれ制限が必ずついてくる。この事が分からないままに快楽を追求した生殖行為だけにいそしみ、無責任な出産をする・・・いわゆる“産みっぱなし”をする人々を私は断固として許さない。
初詣に行った時、渋滞の車の中から見た光景が思い浮かんだ。幼児の手を引く母親が線だけで仕切られた歩道を歩いていた。でも幼児が車道側。その脇を車がどんどん通り過ぎていっていた。脳裏に浮かんだその光景。思わずため息が漏れる一日だった。
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