愚かな行為。自分で自分に“罰”を与え、遂行することで罪を償おうとする行為。わざと“幸せ”から目を背け自らを罰している。でも“罰”は自分が与えるものではない。神様が与えるもの。そして幸せから目を背けてはいけない。人は“幸せ”になるために努力し精進し、前を向いて人生をおくる。後ろばかり、振り返っても何の足しにもならない。
でも疲れる事だってある。これまでしてきたことが何の意味もなさない気がすることもある。こんな事したって無駄なんじゃないかと立ち尽くす事もある。
そんな時は腰を下ろしてゆっくり休む事。目を閉じて手を広げ足を伸ばして大きく息をする。
弱気になっても大丈夫だよ。凹んでも、明日は必ずやってくる。道は必ず開けてくる。そう心の中でおまじない。
私はそっと見守ることしか今は出来ない。よろよろ歩いている姿を見ても、その背には声を掛けられない。でもこれからもずっと味方だから。裏切らないから。
でも疲れる事だってある。これまでしてきたことが何の意味もなさない気がすることもある。こんな事したって無駄なんじゃないかと立ち尽くす事もある。
そんな時は腰を下ろしてゆっくり休む事。目を閉じて手を広げ足を伸ばして大きく息をする。
弱気になっても大丈夫だよ。凹んでも、明日は必ずやってくる。道は必ず開けてくる。そう心の中でおまじない。
私はそっと見守ることしか今は出来ない。よろよろ歩いている姿を見ても、その背には声を掛けられない。でもこれからもずっと味方だから。裏切らないから。
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