忘れない夾竹桃

2005年8月6日
小学生だったころ、今日のこの日は「出校日」だった。昭和20年敗戦色が色濃くなってきた毎日をただ黙々と“日本が敗戦しない”を心の支えにしてきた人たちが、それまでどおり迎えた朝だったに違いない。そして一瞬にして光が何もかもを奪い、焼け野原だけが残った。その地で生命を持った者は地獄だったであろう。水を求め、町の中心を流れる川に人々が集まり息絶えた。

数年前、学会が広島であった。会場が原爆記念館に隣接していたため、合間をぬって訪れてみた。様々な遺品が寄贈され展示されていた。悲惨さに目を覆いたくなるものも合った。しかし目をそむけず一つ一つ丹念に見せてもらった。

有名な銀行前の人影。銀行が開くのを待っていて被災された方だ。でもその肉体は一片たりとも無く、石階段に焼き付けられている人影だけを残した。銀行が開いたらこの人はその日何をしようと思っていたのだろう・・・涙で人影がぼやけて見えた。

先日見た番組で米国のテキサス州で核兵器関係の集会があっていた。その場にいた人たちは「原爆が投下されたから第二次世界大戦は終結した」と原爆を礼賛している。また米国の某進学校ハイスク−ルでは核兵器についてグル−プディスカッションをしていた。日本に投下された原爆についてどう思うかがテ−マのようだったが、半数以上が賛成派だった。

学校側の許可を得て日本からの番組関係者が広島・長崎の原爆資料を生徒達に見せていた。彼らは初めて目にするものだったようだ。次第に表情が変化していく生徒達。中には涙ぐんでいる生徒もいた。最後にかなり強く“賛成派”を主張していた女性徒が言葉をつまりつまりこう言っていた。

「あまりにも真実を知らなかった。真実を知らずして答えを出していた自分達が恥ずかしい、そして怖い。」

何の理由でか、出校日でなくなってしまった8月6日。でも毎年心の中で私は“夾竹桃の歌”を歌う。

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