セピア色

2005年10月10日 日常
白黒写真が古くなると綺麗ななセピア色になり、ノスタルジックな思いに浸れる。セピア色はそんな“想い”を呼び覚ます色。

写真がカラーになった今、自然なセピア色を見かける事はもう無いのかもしれない。人工的なものはあるにしても・・・

心に傷を負うと大なり小なり、その傷がヒリヒリと痛む。傷口の大きさではなく、その深さだと思う。澄んだ信頼を踏みにじられた私は、かなり落ち込んだ。世の中に“信じる”と言う言葉は存在しないのかとも思った。

家族や友人達が支えてくれても、“悲哀”に“慟哭”“厭世”“悲壮”に引きずり寄せられる。引きずられながら、このまま身を任せたらが自分にとっては良いのだと錯覚に陥る。対岸で必死になって家族や友人達が私の名前を呼んでくれている。大きな声で何回も何回も・・・連呼してくれた。

呼び返された私・・・そんな私にゆっくりと自然治療が施された。“時間”と言う薬。時間は皆平等に訪れる。そして、まるでカタツムリが歩くかのようにゆっくりゆっくり、人の心に働きかける。

思い出は心の白黒写真。時が経てばやがてセピア色になる。思い出が心地よいものであれば綺麗なセピア色、思い出したくも無いものであれば、きっとそのうち風化してなくなるであろう。

道路や宅地の開発でその風景がかなり変化する事がある。面白いのは、おぼろげながら以前の風景を思い出せるのだが、実際に何があったか即座には言えない。人の本能として未来を重点的に見ていこうという物なのであろう。

これからは綺麗なセピア色だけを集めたい。でもきっと神様は苦しみ流した涙の分だけ綺麗なセピア色を下さるであろう。

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