久々の休日。少しだけゆっくりとした朝を迎えた。新入りcちゃんもようやく慣れてきた。m&tと走り回っている。居間のテラスからの日差しを浴びながら3頭でお昼寝も楽しめるようになってきた。

午後から父の病院へ。午後の日差しがポカポカと部屋を暖めている。父は本を読みながらウタタ寝をしていた。開業してからずっと忙しかった父。この機会に少し骨休めになって欲しい。

買い物もあるため、母と久しぶりに市内のデパ−トへ出かける。バレンタインの前で買い物客がごった返していた。「どうしてこんなに人が多いのォ〜」と母が悲鳴をあげていた。それでもデパ地下に行くと彼女は変わった。珍しいもの大好きな母。ちょっと目を離すとすぐに居なくなる。「こんなに多いと二度と来たくない!」とぼやきながらもやや満足気に見えるのは私だけだろうか・・・

ひさしぶりにゆっくりできた休日。明日は忙しいだろうか。早目に休んで英気を養う。

営業スマイル

2005年2月10日 日常
昨夜の祝杯が効き過ぎたのか、ちょっと二日酔い・・・でも今日一日を乗り切れば、明日は休日と言い聞かせ自分に鞭打つ。徐々に高熱患者さんの割合が増えてきた。それと同時に新患が増えてきた。しかも月齢の小さな児が多い。このような患者さんが固定で受診してもらえるような診療を続けていかねばならない。

夕方、閉院ギリギリになって患者さんがどっと押し寄せる。働いているお母さんはまだしも一日お家にいるお母さんはもっと早く来て〜でも以前働いていたW病院は夕診20時まで。20時前に飛び込んでくる人よりもまだ良いかな・・・と自分に言い聞かせ、営業スマイル。

自宅に戻ると母はまだ帳簿をつけていた。父が入院しているため病院の行ったり来たりで随分時間を取られるらしく捗っていない模様。21時前になってようやく二人で遅い夕食。明日は休日、すこしゆっくりしようっと。

一安心

2005年2月9日 日常
今日は父の手術の日。午後13時にOpe室に搬入予定。隣県からYも駆けつけ母と二人で11時ごろ病院に向かった。私も行きたいのは山々だが、病院を留守にするわけにはいかない。さらに午後はW産婦人科の健診も控えている。午前診が終了後、ダッシュでW産婦人科へ。行く車中で時計を見ると13時だ。今頃、父は麻酔をかけられているのだろうか・・・開腹になっても良いからとにかく無事だけを祈った。

健診を終了後、再びダッシュで帰宅。病院前には患者さんの車が並んでいる。“ひぇ〜”と思いながら診察室の椅子に座る。数人診た後、自宅用の電話が鳴った。

母からだった。無事に済んだとの事。診療中だったので直接聞かなかった。時間的には開腹じゃなかったのかなと思っていたら、母が帰ってきた。嬉しそうに「腹腔鏡で済んだわよ!」良かった・・・これで一安心。術後の麻酔からの覚めを確認して一旦帰宅してきたようだ。診療が終わって父に会いに行く。今夜はリカバリ−室にいるとの事。鎮静剤でボォ−ッとしている事と入れ歯を外しているせいか、発音ははっきりしないが麻酔の影響はないようだ。「ちょっと傷口が痛む〜」という父に母は「小さい傷口なんだからしゃんとしなさい。男でしょ!」と言っていた。

きっと母は一番ホッとしているはず。父も怒られると解りながら甘えていた。どんな形であれ50年を共にした二人。

医院の師長Fさんも呼んで女4人でリストランテ「ド〇〇〇」で祝杯をあげた。C病院のO先生、有難うございました!!!
先週とは打って変わって暖かい朝。出勤の車に混じって帰宅の途につく。m、t、cのお出迎え。ちぎれんばかりに尻尾を振るcちゃん。思わず顔がほころぶ。mとtはちょっとお兄さんモ−ド。長い毛で覆われた尻尾をワイパ−のようにゆっくり振る。

気持を入れ替え、朝から診療。今日も一日を無事に乗り切れることを祈りつつ仕事始め。昨日と同様、多くの患児が来院する。

午後も勢い衰えず、待合室はごった返す。その中で2ヶ月の赤ちゃんが受診。咳が少しと痰が多いとの事。パッと見には重症感は無さそうだが聴診して「んっ?!」なんか嫌な感じの呼吸音。哺乳を問うと少なくなってきていると答える母親。夜間の増悪も十分に予想される事であり、こういう時は無理をせず、総合病院への紹介をする。紹介状を持たせ、すぐに受診するよう言って送り出した。夕方、お返事のFAX。案の定、レントゲンで細気管支炎があったようだ。当然、入院していた。ホッと胸を撫で下ろす。

せっかく元気にこの世に出てきた赤ちゃんだもの、しっかり育ってもらわなきゃ!!

明日は父の手術の日。開腹にならない事を祈りつつ、就寝。
今日も朝から待合室がごった返している。「まだですか?」「あと何番目ですか?」等と痺れを切らしている親御さんの声が聞こえる。早く診てあげたいのは山々だが、こちらはたった一人の身体。“はやさ”にも限度があります・・・
昼食後、夜に備えて午睡・・・と思っていたが午前の患者さんが食い込んで昼休みはわずか30分。休む間も無く午後診へ突入。午前ほどではないが午後も多い。ひたすら“モシモシ、ア−ン、説明”を繰り返す私。インフルエンザ検査の残骸も多い。マスコミが駄目押しするから“要らないのに〜”っていう人の分も含まれている。なるべく無駄打ちしたくないから厳選してはいるけどね。

夕食を終えて湯船にゆっくりつかる。今夜の夜間診療は多いのだろうか。約2時間仮眠の時間があったが、殆んど眠れず出勤時間となった。今夜はしとしと雨が降っている。ワイパ−で左右に振り分けた雨粒が街灯の明かりを受けてキラキラ光っていた。
今日は休日出勤。朝から発熱児がずらりと受診。受診ノ−トを見ると殆んど新患ばかり。やはりインフルエンザらしき人が多い。検査すると以前よりかなりの確率でヒットしている。でもB型ばっかり。恐るべし、暖冬の影響。しかしAであれBであれ、いずれも赤い顔してきつそう・・・
内科も検査が多かったらしく途中で検査キットが品薄になっていた。休日前はこんな時期はたくさん用意しておいて欲しいぞ!
とりあえず、検査を施行する患者さんを厳選して欲しいとの事。う〜ん困った・・・

発熱が主訴の場合、どうしても小児科医としては咽頭所見を見る必要がある。いわゆる“おノド、ア−ン”だ。この行為に対して年齢に関らず非常に協力的な児と、非協力的な児と両極端になる。舌圧子を見ただけで断末魔のような雄叫びを上げる児も少なくは無い。またお上品な母親から「うちの子にはその棒は使わないで下さい!」と要求される事もある。いつぞやは暴れて診せてくれない児をなだめすかして診ようとしたら母親から「先生の診方が悪い」とののしられた。聞き分けの無い貴女のお子さんに問題あるんだけどな〜

どこの病院で診療をしていても、いつも考えさせられる事。“行儀”って今の親達にとってどんな位置にあり、どんな風に捉えられているのだろう。病院の待合室を見ると物を食べたり飲んだりしている児、走り回っている児、靴のまま椅子に這い上がっている児。我が子がいくら悪い事や危ない事をしていても知らん顔の親。たまりかねて注意すると「怒られるから止めなさい」の注意の言葉。

“食べる”という行為は座ってするものと私は教えられた。どうやら今はそうではないようだ。立って食べるのは当たり前、歩いて食べるのも当たり前。欧米人がしているのを真似をした日本人。日本人って“お行儀の宜しい”民族だったのにね・・・
私が思うに病院の待合室って物を口にするにはあまりふさわしい場所では無い気がする。だっていろんな病原菌やウィルスの濃度が一般の場所よりも遥かに濃いと想う。確かに熱があったり、嘔吐があったりで水分補給が必要な場合は別として、待っている時間が退屈だからと飲食するには如何なものか。

今日も、発熱児を呼び入れると上の児が2人ついてきていた。入って来るなり、頭が痛くなるような甘いチョコレ−トの匂い。口にもいっぱい頬張っている。診察台の上に靴で上がり、寝転んだり、チョコのついた口元を擦り付けそうになっている。でもこの上の児2人はどう見たって小学校高学年。しかも女の子達だ。行く末が危ぶまれる。どんな母親になるのか容易に想像できる。黙って淡々と診察しようとすると患児である弟の口はチョコ髭があり、あんぐり開けた口腔粘膜はチョコとナッツで覆われ、何も見えない。診察前は何も食べない様にと伝えると「だって待ち時間が退屈だったからね〜」と母親。心の中で呟く“貴女のお子さんの症状は嘔吐と下痢なんですよ・・・せめて赤ちゃん煎餅にして下さい”

日勤業務を終えて病院を後にする。駐車場に向かうと1台の車がはいって来た。降りてくる一家は皆元気そう。おそらくお見舞いだろう。10歳位の児が降りてきた。ジュ−スの缶を手にして飲みながら歩いていた。
この光景を見て眉をひそめてしまう私が今の時代では非常識なのだろうか。何が何だか、わからなくなり、急にどっと疲れが出てきた。

帰ってみるとm、t、cの夕食が始まろうとしていた。お皿を前に“どうぞ”の声を座って待っている彼ら。少なくとも我が家では私の常識は通用するらしい・・・
土曜日は朝からの来院ダッシュが遅い。ところが今日は朝からカルテが並んでいる。発熱・咳・下痢・嘔吐など、病気も様々。インフルエンザの検査もどんどんはけていく。こんな調子だと明日のW病院の休日日勤の忙しさが予測され、嫌な予感・・・切れ目無い来院者を何とかさばき、昼食にありついたのは14時過ぎ。急いで食べ終えて今度はレセプト点検。慣れない仕事で時間ばかりが過ぎていく。

午後からは研究会の予定だったが、レセプトを終えたのが17時過ぎ。結局行けず終い。心身ともに少しお疲れモ−ド。母も父の入院で病院を行ったり来たりで私と同様、お疲れモ−ド。夕食の支度もしたくないというので近くの「ひ〇〇〇」に出掛けた。大将から「先生は?」と聞かれると母は「うるさいから捨ててきたの」と笑いながら答えていた。わざと明るく持っていく彼女のこんな所は見習いたい。明日に備えて手早く食べ、早目に就寝とした。

小さな希望の星

2005年2月4日 日常
我が家には二大ペットの一種(大きさがたくさんある方)が3頭いる。mとtは室内にいて小型で兄弟、毛足が長い。外にいるのはsで雑種、Tが一昨年の12月に近く河川敷で捨てられていたのを連れて来て我が家の一員となった。中型(やや大型気味)。家族全員、動物好きだが特に母はお世話が大好きで心底愛情を注ぎ込んでいる。マリモにまで声をかけたりしている。mもtもsもそんな母を心の中で一番に置いている様子。

入院している父の元へ小包が送られてきた。父が習っていた某趣味の先生(女性)からだった。約3年前から始めた趣味だったが、あまりにも素人の趣味としては高度な事を要求され、○真面目な父は今回入院する前に体調の悪いのを押してまでその製作に取り組んだ。母と私はやたら高価な材料を買わせたり、高度な技術を要求するその先生が何と無く気に入らなかった。しかし本人が楽しんでいるならと静観していた。今回、体調を悪くしてしまい父も少し負担になったのか、辞する事とし入院してからその先生にお詫びのお手紙を出していた。てっきりお見舞いの品かと思って開けた母は怒りに震えた。病床の父へのお見舞いの言葉は一行だけで、同封していた小さな材料は以前父が頼んでいたものであり、支払ってくれというものだった。その金額5万5千円、今月の会費も合わせて6万5千円だった。さらに今まで積み立てていた会費以外の諸経費は返せないとも記してあった。

確かに父が頼んだかもしれない。でも、もう辞めるといった人には不要な物だ。特殊な物でなく返品可能なはずだ。しかも病床にある人に対してなんと思いやりのない行動だと母は怒るのだ。支払いが惜しくて言っている訳ではない。真面目な弟子であった父の気持ちを馬鹿にしていると、母は悔しがっていた。この小包を父に見せたところ淋しげだったそうだ。「だから言ってたでしょ!!」と母に諭されたらしい。

昼食時に母はこの話を聞かせてくれた。「非常に腹立たしい」とやや“イイカモ”扱いされ、それを見抜けなかった父にも憤懣やるかたないといった表情。私は「うん、うん」「そうだね〜」と相槌に徹する。食後、mとtと遊んでいると母が笑みを浮かべてにじり寄ってきた。
「ペットラ○○(行き付けのペットショップ)に小さくて可愛いのが居るのよね〜」と母。
「ふぅん」
「ちょっと見に行かない?」
「えっ?」
「ネッ!ちょっとだけ・・・」
見に行く途中いかに可愛いかを延々と聞かされる。お店に着いて見ると確かに可愛い。生後5ヶ月の女の子だ。色は明るい茶色と白。
母がお店のオ−ナ−と話している。「やっぱり、どちらかを避妊しないと子供出来ちゃいますよね〜」

母は購入する気満々だった。いや明らかに“お買い上げ”だった。水面下で話はついていた模様。父が“無駄な散財”をしたから文句は言わない筈だとのたまっている。
「大変だよ。またお母様の仕事増えちゃうよ・・・」と言いかけた言葉を飲み込んだ。そんな事、私から言われなくっても母は解っている。でも百も承知で決断したに違いない。口では言わないが、父が入院して淋しいのかもしれない。頬を摺り寄せ破顔して微笑む母を見て、反対できなかった。

名前はcちゃん。約1.8kgの新しい一員。キラキラ輝く小さな星が降って沸いたように飛び込んできた日だった。
朝からカルテがズラリと並ぶ。数週間前には想像し得なかった事。症状も多種多様。それぞれの症状・経過に合わせて説明し処方する。当院では発熱児には必ず熱型表をつけてもらう。そうすれば、一々、「昨日は何度?強は何度?」と確認しなくて良いし一目瞭然。さらに平熱になっていなくても、発熱のピ−クが下がっているのも分かりやすい。その様な目的もあり母親に付けて貰うのだが、何度言っても付けてきてくれない人もいる。そんな母親に限って体温を問うと「昨日は〇℃でぇ、あれっ?一昨日だったかな〜?」何て始末。暇な時はよいけど、具合の悪い児がズラリの日には勘弁して欲しいぞ!

とにかく説明、説明で喋り倒し。暖房も入れているし咽喉はカラカラ。声が段々出にくくなるため、机上に水分補給のコップを置いている。私のお気に入りはイタリアの炭酸水“サンペレグリノ”ジュワジュワしていて、とっても咽喉には刺激的!!ボヤ−ッとしかけた頭をリフレッシュするのにも最適。呼び入れる合間にクピクピ飲んでいる。好き嫌いはあるが、私は炭酸水は大好き。ちなみに“二日酔い”にも効きます・・・

この時期、高熱の有無に関らず親御さんの最大の関心事は“インフルエンザか否か”が圧倒的多数だ。インフルエンザの検査はいまや鼻咽頭粘膜を綿棒で少しばかり頂き、試薬キットに垂らすと15〜20分で判定出来るという簡便かつ優れものだ。キットによってはAかBかまで判定出来る。世間ではこういった検査があるという事までは浸透しつつあるが、最適な検査時期まで知っている人は少ない。要するにインフルエンザウィルスが増殖した時期を狙って採取しなければ、空振りになり偽陰性となってしまい、抗インフルエンザ薬は内服処方されない。「先程から高熱で・・・」という人には前述を説明し、朝であれば当日の夕方、夕方であれば翌日高熱だったら検査が必要と説明している。殆んどの方が納得されて後から検査をしたり、そのまま解熱して治癒する人もいる(要するにインフルエンザではない)

夕方に11歳の男児がインフルエンザの検査希望にて来院した。熱は36.4℃だが吐き気があってだるいとの訴え。母親曰く「保健室の養護の先生が『最近は熱のないインフルエンザのあるから今日是非検査を受けたほうがよい』といわれたのでお願いします」との事。熱のないインフルエンザなんて〇〇・・・等と某コ−ヒ−会社のCMみたいだが母親は真剣そのもの。高熱も無いし検査は不要、症状がもう少しはっきりして検査をすると伝えると「でも、養護の先生が・・・」と不満げな表情。さらに詳細に説明し、最後には納得していただいた。仮にも医学部で6年間医学を習い、国家試験にも通り医師免許も持っていて10年以上小児科医をしている医師が説明した事よりも、養護教諭の言う事の方が信憑性が高いらしい・・・

ある循環器の先生が言ったそうだ「いまや我々の商売敵は“みのもんた”だ!!」どんなに病状を説明しても最後には「でもみのもんたはお昼にこう言ってました」と打ち返されるとの事。その気持ち、今日はとっても良く分かりました。

夜空ノムコウ

2005年2月1日 日常
凍てつくような寒さの朝。窓から見ると地面に雪の影はない。天気予報は気温は当てたが、積雪に関してはハズレ。少しでも雪が積もるとノロノロ運転になってしまう。今回は“ノロノロ”は回避出来そう。勤務終了後、予約していたタクシ−に乗りこむ。今日はこのまま一日診療。少しの時間も惜しんで睡眠を取る。自宅に着き湯船に直行。冷えた身体を温める。私はお風呂に入るとかえって目が覚めるタイプ。色々と考え事をしながら今日一日のシュミレ−ション。

寒い寒い日の診療が始まった。出足が悪いと思いきや、高熱の児達がポツポツ来院。「夜になったらもっと寒いから〜」と早目に連れて繰る母親もいた。診察室の窓から見る風景。まさに“北風”らしき音にのって小雪が小さな渦を巻いて舞っていた。

父が病室を替わった。トイレ付きになったらしい。事情があってトイレが無いと不便だったので喜んでいる様子。なんと、私を出産した時の部屋だったらしい。「壁の塗り替えはしてあったけどベッドや床灯台の配置はそっくりそのままだったわよ」と母が病院から帰って懐かしそうに話していた。思いがけない偶然。今日に限って不思議な縁。

昼休みに小一時間夢の中。今のソファでmと一緒に仲良くzzz・・・

午後診終了。今夜は市内の「ポ〇〇〇」で小さな宴がある。少しだけおめかししてお出かけ!知らない人達も一緒にワイワイと賑わう。外は身を切るような寒さ、でもこの場所は身体も心も暖かい。ゆっくりゆっくり静かに更ける夜。帰り道、空を仰いだ。雲で覆われ星の瞬きはないが、深い濃紺の夜空の向こうに愛しき人を想う。澄んだ冷気が酔った頬に心地よい。来年の今夜は誰といるのだろうか。
それは来年までのお楽しみ・・・

赤いお尻と魚骨

2005年1月31日 日常
夕方から寒くなるのを暗示するかのようにかなり冷え込んでいる。今夜の出勤が危ぶまれる。寒さが後押ししたのだろうか、インフルエンザが増えてきた。ようやく冬らしくなった外来。今夜も多いのかな〜

健診先の病院に事情を話し、来月の代診や勤務時間を伝える。快く承知して頂きありがたく思う。お見舞いの言葉も頂いた。一日も早く良くなって欲しいと願う。

夜23時過ぎ。夜間診療へ出勤する時間だ。外を見るとまだ雪は降っていないが、明朝路面が凍っていたりすると大変だ。大事を取って今夜はタクシ−で行く事にした。病院への道は海辺に近い。タクシ−も左右に揺れる揺れる・・・到着してみると思いのほか待合室の人数は少ない。やはり寒いので出てくるのも躊躇するのだろうか。

診療開始。来院者はあまり途切れない程度。予想に反し、インフルエンザを疑うような高熱の児は少ない。かわりに嘔吐や下痢が多い。まだ蔓延している様子。10ヶ月の乳児が朝から水様性下痢が10回以上あると深夜2時に受診。日中は「様子を見ていた」との事。幸い経口摂取は出来ているので脱水にはなっていない。「お尻も痛がる」との訴えもあり、オムツを取るとびっくり!日本猿のお尻のように真っ赤だ。これはかなり痛い筈。大人だったら歩けないだろう。それを下痢しているからと市販のお尻ナップでゴシゴシ擦られた日にゃ、たまらない。今夜は止痢剤処方とお尻のケアを指導した。生憎、軟膏は救急病院なので種類が沢山ない。その旨を話し、罹り付け医でしっかり見てもらうよう指導した。

何故、昼間行かないのだろう?働いている母親ではなかったし、時間的余裕もあるだろうに。夜間救急は1日分しか出ないので、翌日罹り付け医に行ってもらわなければいけない。結局二度手間だし、初診料も2回支払う事になる。「だからお母さん、朝や昼間に症状がある時は昼間のうちに開業医に罹るのが賢い罹り方ですよ」あくまでもヤンワリ指導。

もうすぐ3歳になる男児が「お腹が痛い」と受診。問診表には「魚の骨が刺さったかもしれない」と書いてある。“エエ−ッ!こんな夜中に・・・”
父親が帰宅して食事をしていた際に横から欲しがったので与えたそうだ。てっきり骨を口に入れていたのかと思いきや、むしって与えていたと言う。本人は受診時はケロッとしていたが、念の為腹部レントゲンを撮る。出来た写真は便やガスがたくさんの腸管。食事時間以外に食べるから慌てて腸も動き出したのだろう。腸の蠕動運動が亢進すると腹痛となる。以上を説明し、夜中に物を食べないように指導した。聞けば、毎晩この児は就寝が0時らしい。宵っ張りは成長にも関る事まで事細かに説明し、父親は納得して帰宅された。当然、魚骨は関係なかった・・・

暢気だったり発想豊か(?!)な親御さん達。このような親御さんに限って深夜受診も好き。マ−フィ−の法則に出したら、とおるかなぁ・・・
今日は何もない日曜日。母とYと3人で遅めの朝食を摂る。Yの現在の生活を母と聞く。楽しそうに話すY。少しだけ安心した母と私。昼前になり、K市からTが帰ってきた。昨日来なかった事でからかい半分で責められているT。でも大事な資格試験に合格したせいか、表情は明るい。これで大手を振って営業活動が出来るらしい。よく聞けば、試験を受ける人をグル−プ分けにし全員合格しなければ、その指導に当たった上司もボ−ナス減俸との事。さすが外資系、厳しい現実社会。

午後からRも加わり、父のお見舞い。TとRの顔を見ると父も嬉しそう。特にTの資格試験合格には大きな声で「おめでとう!」と言っていた。朝の採血結果が良かったらしく昼より食事が出ていた。お粥と白身魚の煮付け、りんごが出たと嬉しそうに話していた。

明日、仕事があるためYは帰っていった。Rは研究発表会の準備で自宅へ戻った。Tは夕食を食べて帰るという。リクエストは大好きな焼肉「慶〇」でも明らかに大学生の頃と食べる量が違う。「Tも年取ったのね〜」等と母と私からからかわれる。食事を済まし駅まで送る。タクシ−の中から見るTの背中も随分社会人らしくなった。

帰宅後、母も私もやりかけの仕事をすませ、就寝。明日は月末。父のいないレセプト。さぁ、明日も頑張ろう。

深夜の羊達

2005年1月29日 日常
今週末から来週半ばにかけ、今期一番の寒波到来予定。その事が嘘のように日が射している。父のいない母と二人の食事。午前中に母は昨日揃っていなかったものを持って病院に行く予定。私は今日の診療は土曜であるため13時まで。夕方、再度訪れる母と一緒に病院へ向かう事とした。

出足は悪かったが、患者数は以前より確実に増えてきている。急な事で一人で頑張らねばならなくなったが、なお一層気を引き締めた。

父との分担診療であったため、週に2ヶ所の新生児健診・専門外来・深夜勤務、月に2度の日曜出勤を固定で入れていた。しかし、このような事態になると本丸を空けてはいられない。1ヶ所の新生児健診は後輩のM先生に当面向こう1ヶ月分をお願いした。もう一つは時間を繰り上げ、昼休みを利用しその曜日のみ午後は遅い開始時間での対応とした。あらためて父のありがたみが分かる。

午後に隣県からYがやってきた。丁度、病院に行く途中だったので一緒に行く。Yの顔を見ると父も嬉しそう。しかし、一人でいると不安なのだろうか、気弱な発言も多い。月曜日まで絶食というのも、かなりこたえている様子。唯一、許可されている飴玉を美味しそうに食べていた。
さしあたり、月曜日の検査の結果を待たねば致し方ない。父が「Yが来たから食事に出かけたらよいよ」と言ってくれたが、絶食の父を前にどこに行こうかなんて話も出来ず、うやむやと誤魔化していると、母が「YとAzureなんて術後の私が絶食の時に平気で目の前で握り寿司食べたんだから!ひどいわよ、この二人は!!」と明るく言ってのける。スミマセン、当時、目の前でモリモリ握り寿司を食べたのは私達です・・・

帰宅後、せっかくだからと創作居酒屋「こ〇〇」に出かけた。Yにとっては珍しい空間の様で喜んでいる。3人とも控えめにお酒をたしなんだ。途中、Tから電話が入る。明日来るとの事。

アルコ−ルのおかげで睡眠導入にはなったが、深夜3時に目覚めた。今後のことを考え、目がさえてしまった。でも来週からは深夜勤の前後の仮眠は取れない。少しばかりでも睡眠を・・・と思い、一所懸命に羊を数えた。

父と母への想い

2005年1月28日 日常
久しぶりに朝から晴れている。でもそこはやはり冬の空。空の青さが淡青色。それでも、日差しを感じると何となく嬉しい。市外へ向かう車中はポカポカ陽気。冬である事を忘れてしまいそう。

産婦人科で健診をしていると「この児も良いですか?」と相談された。この産院で出生した児でもう生後5ヶ月。「オチンチンの形がおかしい」と連れて来られたようだ。とりあえず診察室へ呼び入れた。母親の訴えは「オチンチンが短い」周囲の人から「何か短くておかしい」と何度も指摘され、いよいよ気になったようだ。4ヶ月健診での相談の有無を聞くと、健診医から「自分じゃはっきり分からないから、小児科専門医に見てもらうように」と言われたそうだ。普通は小児科医が健診するんですけど・・・診察するといわゆる“短い陰茎”だった。体格の良い児だけに、かえって目立ってしまったようだ。問題ないことを説明し、母親は安心して帰っていった。全くもって無責任な発言。母親は不安になり、将来の妊孕能力や性的不能まで心配したらしい。形状には問題なく心配は無用と言うと安心されて帰られた。・・・小さな親切、大きなお世話。

午後は専門外来はないのでそのまま自宅へ。帰宅すると昼食中で父も元気に食事をしていた。ようやくインフルエンザAが出たと言い、午後も疑わしい人は検査したほうが良いと話していた。

その夜、父は入院した。

自分では良くなっていると思い自宅で採血をしたところ、炎症反応が機械で測れない位に振り切って上昇しており、以前診察を受けた総合病院を受診した。31日に精査予定だったが、今日検査を終え、そのまま入院になった。診療を終え、母と入院の支度をして病院へ向かう。病室に行くと点滴をしてベッドに眠っていた。しばらく絶食らしい。病衣を着せられた父は、数時間前の“謹厳な小児科医”ではなく気弱になった老人となっていた。それでも担当医師からの説明の時には、きちんと理解し「仕事復帰はいつ可能ですか?」等と尋ねていた。来週かけて精査し、再来週に手術という事になった。明日また足りないものを持ってくると言い残し、母と二人家路につく。

30年前以上、父は大きな悪性疾患を患った。母は最悪の状況も覚悟し、付き添っている間に10Kg痩せた。幸い治療が上手くいき、その後の本人の健康管理も慎重であった為、随分前に“完治した”となっていた。それ以来の治療入院。気丈に振舞っているが母は心配と不安が心の中で渦を巻いているに違いない。遅い夕食を摂りながら、これからの事を母と話し合った。

父を想い、母を想い、なかなか眠れない夜。
午前中は自宅医院で診療。4日前から39〜40℃発熱が続いている10ヶ月の女児。毎日受診しているが、なかなか下がらない。月齢・症状・採血結果より“突発性発疹”と思うのだが、親にしてみれば40℃をこう毎日越えられると不安になるというもの。「今朝は・・・」と内心期待してると出てる!顔にブツブツがある!胸・お腹にもいっぱい出てる!昨夜から解熱もしていた。胸を張って「突発性発疹です!」家族と共に医療サイドも一安心。

午後からは市からの要請で1歳半健診に行く。場所は近くの保健センタ−。もう一人の開業医の先生と2人で健診にあたる。聞けば総勢90名の子供達。手際よく進めたいのだが、新人の保健婦さんがいるらしく計測に手間取っている様子。「何もこんなに多い日に新人さん使わなくても・・・」とちょっと恨めしく思う。途中かなり大幅に遅れ、さすがに責任者の保健婦が交代し、その後はスム−ズに流れ出した。

冬場で乾燥しているせいか、カサカサした皮膚の児が非常に多い。皮膚がカサカサに乾燥すると痒くなってくる。実際、ボリボリ掻いた痕がたくさんある。これは保湿剤を塗るだけで随分よくなる。保湿剤塗布の有無を尋ねると殆んどの母親が「塗っていません。でもよく掻いています」と答える。「じゃあ塗ってあげてね。掻いた痕もあるから・・・」とやんわり指導。でも心の中ではいつも思う“お母さんがそんなにキレイにマニキュア塗る暇があったら、お子さんの皮膚をケアしてね〜”決して口にはしない、心の呟き・・・

健診の最後に必ず何か質問はないか母親に尋ねる。するとある母親から面白い質問を受けた。「以前、髄膜炎に罹っていたらおたふく風邪がひどくなるから予防注射を打ったほうが良いと聞いたのですが、打ったほうが良いのでしょうか?」聞けば小児科勤務の看護師からのアドバイスだと言う。おたふく風邪のワクチンは有料。しかも価格が高いし100%予防ではないため母親も躊躇していた。その様な関連性はあまり聞いたことがない事を説明し、罹り付け医に相談するよう伝えた。このような根も葉もない説を医療関係者から聞けば素人は困惑するのは最もである。一体何を根拠にその説が成り立つのか、その看護師に聞いてみたいものだ。

帰宅後、父とバトンタッチし再び自宅診療。父はいくらか良くなっているが、明日の午前診を頼むため今日は体力を温存してもらう。昼からの発熱で数人が来院。高熱になれば明日インフルエンザ検査施行を伝えた。そろそろ増えてきたのかなぁ〜

明日は久しぶりに晴れとの事。しかし週末からはこの冬一番の寒気到来と、どの天気予報でも力説している。いよいよインフルエンザは流行るのか!そしてタミフル君は大活躍してくれるのか!

asukaさん、相互リンクさせていただきますね。今後の日記も楽しく読ませていただきます!これからもよろしくお願い致します。

大人の隠れ家

2005年1月26日 日常
父の体調はまだ今一つ。でも午後は院外で1ヶ月健診。代診を頼んでる余裕はない。午前の診療が済み次第出かける事にした。

午前中に来院した患者の中にインフルエンザがちらほら増えてきた。でもB型・・・メ−リング内容もどこの地方もB型が主流みたい。一体、A型君は何処へ?!

私が帰ってくるまで休診しようとしたが、母にハッパをかけられ父が診療する事になった。「なるべく早く帰るから・・・」と言い残し出かけた。しかし、今日のW産婦人科めちゃくちゃ多かった!病棟20人の生後5日以内の赤ちゃん達。新生児室のベビ−台は交通渋滞のようにひしめき合っている。幸い、元気な赤ちゃん達ばかり。健診しながら昨日の餓死した3歳の子を思い出す。「きっとあの子もこんな時期があっただろうに」また少し胸が痛んだ。
外来は15人の1ヶ月健診。申し合わせたかのように顔の湿疹のひどい赤ちゃんが多い。看護師さん達と「不思議だね〜」と言いながらスキンケア指導と軟膏を処方した。

帰宅するとあら、不思議。父は心なしか元気になっている。「診療すると頭がすっきりしていい」だって。“根っからの小児科医”と苦笑しながら心の中でホッとした。

夕食は友人のSちゃんと市内で新年会。グルメ本で目をつけていた「ひ〇」に出かける。Sちゃんとは一昨年の年末、あるパ−ティで知り合った。当時、同い年で独身女性という事で意気投合し正味1年強のお付き合い歴なのだが、以前からの友人のように馬が合う。でも出会った時と一つ違うのは彼女は“既婚者”になってしまった事。あっという間に素敵なご主人をゲットし、お先を越されてしまった。そんな新婚Sちゃんが私にも素敵な幸せが来るようにと乾杯の時に願ってくれた。お店の感じもまさに大人の隠れ家的なイメ−ジで素敵な空間。そんな中、二人で美味しい和食と日本酒を堪能した。

今日頂いた日本酒の名前は「来福」今年はその名にふさわしい事がありますように・・・

かあこさん、リンク有難うございます。日記ではかあこさんの方が先輩のようですね。相互させていただきますね!

悲しみの憤り

2005年1月25日 日常
深夜勤務終了し、まだ暗い中帰途につく。少しボ−ッとした頭をすっきりさせるため熱めの朝風呂にはいる。冷えた身体を伸ばす。父の体調が今一つなので今日は終日自宅勤務。

支度を済ませて居間で新聞を開いた。何気なく見た紙面に目を覆いたくなるような見出し。3歳の女児が20歳の母親に餓死させられていた。体重はわずか3kgしかなく身体中に床ずれが出来ていたそうだ。母親は「死んでもかまわないと思って食事を与えていなかった」と供述していた。23歳の同居していた交際相手の男性との時間を優先したかったので邪魔だと思っていたらしい。

飽食の時代といわれる今、餓死する事だけでも痛ましいのに、最も近しい母親から疎まれ、わずか3年の生涯を終えざるを得なかったこの女児に胸が抉られるような悲しみを感じた。狭いロフトに新聞紙をしかれ、その上に寝かされていたこの女の子が最後に思った事は何だったのだろうか?床ずれが出来ていたという事は、同じ体勢で寝ていたのだろう。目を開けても目を開けても同じ天井や壁を見ていたのだろうか?下から聞こえる母の嬌声。自分にはかけられた事のない声。それでもいつかは自分にも優しく語り掛けてくれると信じていたのだろうか?

私には人間と思えないこの行為。いずれ法律が裁くであろうが、年齢が若い為考えがまだ未熟・育児指導してくれる人がいなかった云々で数年の刑で、何事もなかったかのように社会復帰するであろう。性犯罪の再犯率が取り上げられているが、このような育児放棄で我が子を死に至らしめた親は繰り返さないのだろうか?以前だったら我が娘が育児放棄していたら、孫可愛さに祖母に当たる母親がカバ−していた筈だ。今回の母親は20歳。出産時は17歳だ。祖母に当たる母親はまだ十分に子育て出来る位に若い筈だ。17歳という若さで母親になった娘とその子が心配になる筈だ。これは私個人の推察に過ぎないが、ここまで孫を放置できたという事は今回の20歳の母親もきっと十分な母の愛情を受けていなかったのではないだろうか・・・しかし、だからといって我が子を飢餓によって死に至らしめて言い訳ではない。

「我が子を大切に育む」という母性が現代の女性には欠落してきているのではないだろうか?少子化時代と騒ぎ、子無しの女性は“負け犬”と煽り、出産数だけを増やしてもその後に続く“育み”をもう一度見直さなければ、いつまでたってもこの問題はなくならない。親になる事は、それまでの生活に多かれ少なかれ制限が必ずついてくる。この事が分からないままに快楽を追求した生殖行為だけにいそしみ、無責任な出産をする・・・いわゆる“産みっぱなし”をする人々を私は断固として許さない。

初詣に行った時、渋滞の車の中から見た光景が思い浮かんだ。幼児の手を引く母親が線だけで仕切られた歩道を歩いていた。でも幼児が車道側。その脇を車がどんどん通り過ぎていっていた。脳裏に浮かんだその光景。思わずため息が漏れる一日だった。
朝から診療開始。本来なら父が当番の日だが、趣味に没頭しすぎて体調を崩した模様。午前中にリラックス行事を入れていたのだが急遽キャンセル・・・ふぇ〜ん・・・
空模様は良い様な悪い様なではっきりしない。少し前までの私の気分みたい。でも今は大丈夫。「信頼」というゆるぎない高気圧におおわれているからね!

先日の新年会で非常に稀有な症例を聞いた。
10ヶ月男児がお腹から時折“ピピッ”という電子音が聞こえるという主訴で某病院小児外科に紹介された。確かに飲食後に小さな“ピピッ”が聞こえる。腹部X-pで胃内部に先の細い棒状の陰影が確認された。何とテ〇モの電子体温計!どうやって飲み込んだかは想像の域を越えないが、おそらく机の上に置いてありハイハイをしていた児の口元と同じ高さだったのだろう、丁度咽頭から食道までが一直線になった時にスルリと入ったのでは・・・所謂、剣を飲み込む大道芸人のように・・・というわけだ。
この症例で非常に運が良かったのは、電子体温計が病院使用のものだったという事。母親が病院勤務者で拝借していた体温計だったそうだ。通常、一般の電子体温計は電池交換が出来る為、ボタン電池同様、胃内で漏電し胃壁に穴をあけてしまう。しかし病院使用のそれは特殊であり、電池交換が不可能。そのため長時間胃内に存在しても漏電せず胃壁に穴をあけることもなかった。
さらに興味深いのは、この体温計はある一定の低い温度になるとリセットされる仕組み。故に飲食をして胃内の温度が下がるとリセットされ、例の“ピピッ”がなっていたらしい。当然摘出され、事なきを得た。
“ピピッ”の謎が解けた母親は「我が子がロボットになってしまったかと思っていた」とコメントしたそうだ。

聞き終えた私達、一同「へぇ〜」。多分ひとり15以上は叩いたはず。

“事実は小説よりも奇なり”の症例。でも我が子がロボットになってしまったらもっと“奇”なり。そしてそんな発想をした母親の思考回路もこれまた“奇”なり・・・
昨夜は用心して呑んだ為か、アルコ−ルの残りはない模様。朝風呂に入り今日一日を乗り切るためにリセットする。今日はW病院小児科休日日勤。9時に車で出向いた。常勤医師Y先生から病床状況等の申し送りを聞く。ベッドの空き状況は厳しい様子。特に何が流行っているというわけではないらしい。「インフルエンザいませんよね〜」と最近よく使う(!)ご挨拶を交わす。昨日送った5歳のCちゃんの事を尋ねると、何とビックリ!虫垂炎だったとの事で昨日のうちに緊急手術をしたそうだ。心の中で「送って良かった・・・」と胸を撫で下ろす。腹部超音波でも分からずCTで糞石(便が石状になったもの)を確認して確定診断に至ったらしい。幼児の虫垂炎の診断は難しいと以前外科医が言っていた事を思い出す。「何となく気になる・・・」というのはやはり間違いではなかった。

昼休み、Cちゃんのお見舞いで訪室。お母さんと一緒にお話ししていた。昨日とは打って変わった表情。お母さんから「あの時先生にご紹介頂いて本当に良かったです。ありがとうございました。」と御礼を言われた。こんな時は自分も人のお役に立ったかと思えて本当に嬉しい。
しかし、恐るべし虫垂炎!!私もまだまだ修行が足りないと反省もさせられた。

午後は冬の休日小児科外来とは思えないように少なかった。このまま爽やかな気持で終わるかと思いきや、そうは問屋が卸さなかった。受付終了前ギリギリに6歳の発熱児が受診。昨夜から発熱し今も39℃あるという。咽喉は真っ赤。おそらくここが原因と思われたが、念の為インフルエンザ検査をする事を連れて来ていた祖父母に伝えた。又、結果が出るまで30分ほど要するので「解熱剤を使っておきましょう」と言うと祖母から激しい剣幕で「どうせ上がるんだろう、熱の原因は何なのか」と怒鳴られた。先刻「発熱の原因は咽喉であろう」と説明した筈なのに、伝わっていない。「熱があるから点滴しろ」と再度吠えられた。
水分が十分に摂れている場合「過剰な輸液は必要ない。点滴をしたからといって解熱するものではない」と通常説明するのだが、そんな事を言えば火に油を注ぐ事になりかねない。」そうですか」と言い準備をするから待つように伝えた。すると祖父が「また待たせるんだろう、熱があるからこの子を優先にしろ」と言う。とにかく準備をする事を伝えるだけだった。

喚き。怒鳴れば何でも通ると思っている人達。私達は言われるがままに動く事しか出来ないのだろうか・・・指示を出し終わったら私の勤務は終了。常勤のY先生に申し送ると速やかに帰宅した。

せっかくの「爽やかさ」も台無し・・・
土曜日にしては朝から来院者の出足が良い。2日前から発熱・咳で診ていた5歳の女児が解熱したが、腹痛を昨夜から訴えるという。排尿時に痛いらしい。触診したが笑顔あり、あんまり痛くないという。母親に念の為検尿する事を伝え、水分を摂ってもらった。随分粘ってようやく排尿。尿は異常なく腹痛もない事から帰宅とした。しかし病院の玄関で嘔吐。浣腸したが軟便多量で血便などなし。点滴をして様子を見ることにした。今日は土曜日なので13時で診療終了。診察に行くと朝とは違って身体を丸めるように寝ている。お腹を触ると嫌がる。やはりおかしい。腹痛精査が必要な事を母親に伝え、W病院へ紹介した。W病院の小児科は土曜日も平日と同じ診療体制。こんな時には非常にありがたい。

何やかんやで昼食にありついたのは14時半。喋りすぎでやや疲れた・・・

今夜は私が一番心をゆるしているメンバ−での新年会。K病院で同じ時期に働いていた仲間でその職種は多種多様。医師(小児科・眼科・耳鼻咽喉科・外科・心臓外科・泌尿器科)、看護師、製薬会社等。このお付き合いはもう10年近くになる。それぞれ結婚したり、去年からは子連れ参加の会となった。遠くは隣県からI先生一家が参加。お嬢ちゃんのKちゃんは初お目見え。皆で創作居酒屋「こ〇め」でわいわいと賑わう。どんなに仕事が大変でもこの面子で飲み会をしたらそのストレスは吹っ飛んでいた。今夜も昔と変わらない心地よさで杯を重ねる。ちょっと違うのは若干老けた事、周囲で子供達が騒いでいる事、そしてお酒の量は減った事かな〜ニ次会も厚かましくお洒落なワインレストラン「プ〇〇・〇・〇〇マ」に子連れ訪問。マネ−ジャ−のOさんは苦笑いをしながらも「どうぞ」。品良く(!?)お喋りし素敵な一時はあっという間に過ぎていった。

I先生が婚約が決まった時、現夫人Nさんのお披露目会をした。Nさんは深窓のご令嬢。がさつな私達の宴会にさぞやビックリしただろうと思い話し掛けてみた。Nさんはニッコリ笑って「いいえ、彼から『今日は僕が一生付き合っていく仲間達だからそのつもりで』と言われましたから・・・」その時、何となくこそばゆい様な嬉しい気持になった事を思い出した。まさに「気の置けない」仲間達というものを実感した夜。

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