押し殺す感情

2005年3月16日 日常
インフルエンザがなりを潜めつつあるが、嘔吐下痢が羽を伸ばし始めた。私の今の精神状態を仕事の反映させるわけにはいかない。自分の感情を押し殺し診療に没頭する。幸い、点滴等の処置で考える事も多い。ようやく午前診が終了。

昼食もそこそこにW産婦人科へ出向く。とはいっても普段は自分の車で運転していくのだが、14日夜に当ててしまい修理中のため病院の車で送ってもらった。車中で目を閉じて少しまどろむ。少しでも自分の暗闇に引き込まれそうになると涙が滲むため、慌てて外の景色へ意識をとばす。

今日の健診はやや少なめ。でも先週からの黄疸や体重のチェックで来院される患者さんが多くなり、やっぱりいつもの人数くらいになった。最近は退院時と1ヶ月健診の間にあっている母乳外来で「ゲップの徹底」を指導しており、最近はポンポコリンのお腹の赤ちゃんは随分少なくなった。湿疹のひどい赤ちゃんが数名いたが、外用薬とスキンケア指導で何とかいけそうだった。

帰宅し、父と閉院までの時間を交代。16時30分過ぎからの駆け込み患者さんが多いため上手くさばいていかねばならない。何とかこなして終了。

母が夕食の支度をしてくれていたが、食欲は湧かず自室に引きこもる。布団に包まり、溜め込んでいた感情を吐き出す。早く眠れるように・・・眠ってしまえば何も考えなくて良いから・・・

暖かい気持に

2005年3月15日 日常
乗る前に確かめてみると右前の部分はかなりへしゃげていた。大事故にならなくて良かったと少し安心した。まだ十分に生きろという事であろう、そしてそれはまだチャンスがあるという事でもあるだろうから。慎重に運転し家に着いた。いつものとおり入浴し、診療に備える。父は代診し様かといってくれたが、こんな時は身体だけでも忙しくしておいたほうが余計な事を考えずに済む。

無事に一日を乗り切った。私の日記を読んで励ましのコメントを沢山頂いた。涙が出るほど嬉しかった。

鉛の身体

2005年3月14日 日常
今日は私の診療日であるが精神状態を父が慮ってくれて、代診してくれた。ありがたい。でもこんな自分が非常に情けない。精神安定剤と眠剤に頼らざるをえない今の状態は、非衛生的精神の人間だ。こんな人間が診療には当たれないのは当然だ。

夕方まで現実と非現実のさなかを彷徨う。そんななか23時日間診療へ出動。重い鉛のような身体を引きずって仕事場へ向かった。あやうくある料金所の手前のブロックに車の右前を当ててしまった。この先の運転も怖いが、もう引き返せない。このまま“いって”しまうのか。それでもよいかと再発進させた。
昨夜からの事がショックで頭が働かない。「裏切り」を体験し二度と「裏切らない」と言っていた人だったから信じて黙ってそっと見守った。そんな愛もあるのだと知った。でも昨日のSからの言葉は暴言に近い。私は「裏切られた」のだろうか?頭と心と身体が回らない。人工的な闇の中に身を隠すのみ。

耳の痛い健診

2005年3月10日 日常
今日は園医としての仕事をこなす。新入園児の健診と在園児の健診とを一緒にこなす計画だ。

まずは新入園児。4ヶ月から5歳までと年齢も多彩。そんなに広くないお部屋に新入園児とその親兄弟、身体測定や誘導する保育士先生たちが一緒くたに詰め込まれているものだから、その熱気たるや物凄い。
子供達は初めての場所で興奮しているし、乳児は怖がって号泣、おまけに計測なんかさせられるものだから、さらにヒ−トアップ。聴診したって何も聴こえません・・・

何とかこなして休憩なく在園児健診。お休みしている児もいるとはいえ250名ばかりの園児達をただひたすらに健診。最後には耳が変になってしまった。

来年は休憩を入れてもらおう・・・としみじみ感じた。

小さな編集会議

2005年3月8日 日常
仕事を終えて近くの開業の先生のお家に集まる。私が住んでいる区の医師会の機関誌の編集会議だ。私は今年からその委員をしているため出席せねばならない。誤字・脱字・句読点の使い方など細かなところまで目を配って校正しなければならない。国語力のない私には結構勉強になったりする。
様々な随筆を載せたりするのだが、I先生の自衛医官としての飛行訓練の写真を交えてのお話には思わず笑みがこぼれてしまった。命綱のようなものをつけての訓練であるため、安全性は確保されているであろうがやはり高いところから“ダイブ”するのは足がすくむだろう。
大まかな校正が終わってしばし歓談。最近のインフルエンザ事情などの情報交換する。勤務医ではありえなかった仕事。でもこれもまた地域医療のうちの一つなんだろうなぁ〜。

白い行列

2005年3月7日 日常
朝から鬼のようにカルテが並んでいるのを見て顔がムンクみたいになりそうだ。でもひたすら営業、営業に徹する。やはりインフルエンザが主流だが嘔吐下痢も昨日に引き続き、チラホラ出てきている。この2つの疾患がMixされた状況になると、とんでもない事になる・・・少し危惧。

診ても診てもあざ笑うかのように次々と足されていく白いカルテ。結局夕方までに100人以上の来院。昨日からの外来続きで今日は何だかとても疲れた。

週末とは打って変わって今夜は寒さが緩んでいる。夜間診療に出勤の際に少しだけ春の到来を感じさせられた。カルテが並ばない事をそっと願いながら車を走らす。
昨夜の疲れも何のそのでW病院の休日診療に出向く。昨日までの受診日誌を見ると、とても受診者が多い!顔馴染の看護師達からも「今日は多いですよ〜きっと」などと脅される。勘弁して〜!!

でもその予想は大当たり。さばいてもさばいてもカルテ立てには続々と差し込まれる。あまりギュウギュウに差し込んだため、患者さんの父親と話している時に雪崩状態になってしまった。「大変ですね・・・」とちょっとだけ心配された。

受診者の殆んどがインフルエンザ関係と思いきや、嘔吐下痢のような症状も多い。こんな状態で嘔吐下痢も流行し始めたら、開業医はまだしも救急病院はお手上げだろうなぁと想像し、ちょっと背筋が寒くなる。
しかし、そうなるまでも無く今日は凄い。まさに“続々”という感じ。
インフルエンザの検出率も高い。陽性結果を伝えた時には患者サイドもすっきりとして納得されるが、そうではない時は、その反応は様々だ。インフルエンザでなかったと安心されたり「え−ッ!違うんですか−!?」と納得いかない顔をされたりする。陰性の判定を受けた後でも「学校(もしくは保育園)で流行っているんですよね〜」とタミフルを欲しそうにする親もいる。そんな時にはヤンワリとお断りしている。

必要ないものは飲まなくて良いのに・・・と思うが最近の親御さんの真意は計り知れない。夕方くたくたになって帰宅。何だか食事も美味しくない。徐々に疲労が溜まって来たのであろうか?早めに就寝とした。
朝風呂に入り、今日も一日頑張る事を心に誓う。押し寄せるカルテを必死に左右に振り分け、夕方までに何とか乗り切る。

今日は月末。レセプト点検がある。幸いデスクワ−クだからと父が始めてくれていた。先月よりも随分件数が伸びているようだ。父が不在の間、患者数が激減したら申し訳ないと思っていたがインフルエンザの後押しで何とか不名誉な結果にならずに済んだ。

23時すぎに深夜勤務に出勤。今夜も重篤な疾患や困った患者さんに出くわさないようにそっと祈る。
今日はW病院の休日出勤。以前勤めていた為、たまたま受診したここの罹りつけの患者さんに出くわす事もある。午後の外来で呼び入れようとカルテを見たら以前診察した患児だった。いつも姉弟でよく罹っていた。問診表を見ると今回は弟君だけのようだ。

この弟君には思い出がある。現在のように常勤を外れ、休日勤務にきた際に、受診をした。37℃台の微熱があって目が腫れていると問診表に書いてあった。診察室に入ってきて母親が「ものもらいになったみたいで、腫れています」と言われた。確かに腫れて普段はくっきりとした二重の目元がボッコリ腫れて、眠たげな顔になり人相が変わっている。痛くも痒くもないらしい。でも何となく元気がないようだ。少し気になって足を触ってみると指圧痕が残る。排尿はあっているようだが、何となく気になって検尿と採血を出した。

危惧していた通り検尿では尿蛋白が強陽性、血液中の蛋白は下がっていた。ネフロ−ゼ症候群であった。結果を揃え、母親に説明をしなければいけない。まず病態の説明、治療内容の説明、入院を要する疾患である事そしておおよその今後の展望を説明せねばならない。

マイクで名前を呼び、検査結果を提示しながら順を追って説明を始めた。しかし、説明の途中でお母さんは泣き出してしまった。無理もないと思う。だってお母さんは「ものもらい」のつもりで来て「目薬をもらう」だけだったのだから。それが「おしっこに蛋白が沢山出ている」だの「水分・食事制限が必要」だの「1ヶ月の入院が必要」だの、ましてや「今後再発を繰り返すこともある」などと言われたら、まさに青天の霹靂で、きっと目の前が真っ暗になったに違いない。

しばらく泣かれていたが少し落ち着いたところで「吃驚したでしょう?でもお母さん、泣くのは後からでも出来るから、今はちょっとだけ私の話に耳を傾けてくださいね」とそっと声をかけた。そしてもう一度同じ内容を説明し、納得していただいた。入院に上がる時、このお母さんに「長いけど頑張ってくださいね。お母さんが泣いてたらお子さんも気落ちするからね」と励ました。赤い目で「はい」とうなずかれ、患児と病棟に上がっていった。

この事を思い出しながら、名前を呼んだ。いつものように母親・姉・弟できていた。前回の時と私の髪形が違ったため、母親は最初私に気がつかなかったようだが「先生だ!!」と途中で気がつかれた。そして「あの時見つけていただいて有難うございました」と言われた。こんな時は何となくこそばゆい気持になる。聞けば再発も今のところなく内服もしていないとの事だった。それは良かったと喜んでいると患児の姉が母親に「何の先生?」と聞いていた。母親は私との再会がよっぽど嬉しく思ってくれていたのだろう、「T君(患児の名前)が入院した時の先生よ!」とやや興奮気味で説明していた。説明されても姉は「ふぅ〜ん」とピンと来ないようであった。さらに母親が「ほら、T君の病気を見つけてくれた先生よ!」と言い、そばにいた私はますます恥かしく顔を赤らめていると姉が「あっ!思い出した!!」そして私を睨みつけ「お母さんを泣かした先生でしょッ」

子供の目には母親を泣かし、さらに弟と母親を病院に縛りつけ、自分達の生活を窮屈にさせた「とんでもない奴」に映っていたのだろう。母親は診察室を出るが出るまで御礼を言われたが、その横で私を見る姉の恨めしい視線が痛かった。

帰りの車中でふっと思い出して何だかおかしくなった。でもホノボノとした良い親子。姉・弟共に元気に育ってくれるに違いない。

おかしな二人

2005年2月22日 日常
父が退院して来た。母と二人の食事も今夜はない。Rも加わりホッとした夕食。と、おもいきや、口喧嘩している両親。なんだか離れていた時の方が仲良かったのかな・・・!?でもこれで50年の二人。犬も食わない夫婦喧嘩。食べられないから要らないよ〜。へへっ・・・

飲ませる努力を

2005年2月21日 日常
今夜は深夜勤務の日。いつもどおりに出勤するとまだ準夜の先生が診察中だった。後ろで待つ事にした。

4歳くらいの女児が発熱と咳・鼻水で診察を受けていた。案の定、母親が気にしているのはインフルエンザか否かという事だ。熱は38℃位だが異常に元気だ。母親が説明を受けている時にも横で診察台に寝転んだり(当然靴は履いたまま)大声を出しながら飾ってあるおもちゃを取ったりとせわしなく動いている。父親が制止しようとしても手を振り切って言う事なんて全然聞いていない。
一通り病状の説明があり「では、お薬を処方しましょう」という医師に対して母親は「うちの子、全然お薬を飲まないんですよね〜」と声高らかに言っていた。

こう言われるとじゃあ私達はどうしたらよいのかと聞きたくなる。優しい(?!)小児科の先生だと「では座薬に」とか「貼付剤に」とか「粉が嫌ならシロップにしましょう」とか言うところだろうが、意地悪な(?!)私はそうは言わない。
シロップは体重が増えると量が多くなり飲まなくなる原因になるし貼付剤等特殊な形態の薬剤はホンの一握りだ。そして抗生剤に至ってはあまり効かない座薬が一種類あるだけで他は全部粉薬である。疾患によっては抗生剤内服を要するものもあり、これが出来ないとなると注射でという事になる。毎回注射を受ける事より、内服をするほうが遥かに子供にとっては苦痛は少ない。我が子の嫌がる事はしたくないという母親の気持もわからないわけではないが、そうやって克服せずにいると最終的に困るのは我が子という事を忘れないで欲しい。

診察室で散々暴れまくったその子供と沢山の言い訳や屁理屈をこねていた母親に堪忍袋の切れたベテランの看護師が一言「しつけの問題です」
その場に居たスタッフの心の中の拍手喝采が聞こえた。

今夜の幕開けもなかなか。さあ、夜を徹して“それなりに”頑張るか。

穏やかな休日

2005年2月20日 日常
今日は父が外出してくる日。母は昼と夕食のメニュ−をあれこれ悩んでいる。11時過ぎに散発を終えた父が帰ってきた。玄関に飛び出していくmとt。父が嬉しそうに「覚えていてくれたか〜」と満面の笑みで撫で回している。ところがその父の手が止まった。「んっ!?」そう父はcちゃんの存在を始めて知ったのだ。「ひゃあ〜」と驚く父。

久しぶりの顔合わせ。少しだけ穏やかな休日。
明日、父が外出して一時帰宅できるとの知らせがあった。昼食と夕食を食べて病院へ戻る予定だ。そして退院は著変なければ火曜日との事。目処もつき、母は明日父に何を食べさせようかと色々思案していた。

先週ほどではないが、朝から色々な患者さんが入り乱れている。でも圧倒的に多いのはインフルエンザに関連した疾患だ。マスコミがこぞって「インフルエンザが流行りだしました。48時間以内に特効薬のタ〇〇ルを内服しましょう」とご丁寧にも“お知らせ”してくれるものだから、高熱=インフルエンザというのはまだしも、ちょっと体調不良・きつがる(無熱)・頭痛(これも無熱)でも「検査してくれ〜」と要求される。一昨年はタ〇〇ル、去年はワクチンが不足した。この勢いだと今年は検査キットの不足が危ぶまれる。

*くまぷ〜さん、リンク有難うございます。過去の日記楽しく読ませていただきますね。これからもよろしくお願い致します。

以前から感じているのだが、患者の言うがままに投薬したり検査をするのは果たしてよい事なのであろうか?私達の業界が古に不道徳な事をしたり、私腹を肥やし悪徳な医療をしたり、思いやりの無い医療を続けたために“医師”としての立場が失墜している事は現在携わっている私達も今も尚反省すべき点でもあるし、今後起こしてはならない事だと気持を引き締めていく必要がある。またその事が医療不信を招き、医師の説明などはかなり信用されていない事も多い。
開業していて感じる事は、大きな病院で勤務医をしていた時よりも患者が私の言葉に耳を傾けてくれる事だ。それは他ならない医師と患者との信頼関係が築かれていると言う事である。高熱でもまだ発熱して時間がたっていないときには“検査の適正な時期がある”と言う事を説明し、大方の患者さんは納得して帰宅される。そのうち半分は再度受診し、検査をし残りの半分は解熱したとの事で処方がなくなった頃に再診される。そうすれば無駄な検査をせずとも良いし、患者さんも痛い思いをせずまた負担も少ない。

ただこの事を夜間診療や休日診療で実行するには、なかなか難しい。それはその様な現場では初対面、いわゆる一期一会の医師と患者が殆んどであり、初対面の信用出来るかどうかもわからない医師の言葉なんか信じられるもんかという事になる。考えていた事と違う事を言われるとやはり、受診した者としては納得いかないのも確かであろう。だからこそ昼間に受診できる状況の際には普段の罹り付け医に・・・と啓蒙したい。

今日も10人ほど昨日受診してまだ高熱が続いていると再診した患児が居た。当然そのときは痛くて可哀想だが検査を施行し、結果は+であれ−であれ納得されて帰られる。地味で手間隙はかかるが、私の信念の一つとして“思いやりのある医療”と言うのを密かに掲げている。

明日からまた寒くなるようだ。さらにインフルエンザらしき患児は増えるであろう。しかしスピ−ド診療にばかり追われ、丁寧な医療を忘れてしまわないようにしよう。
今夜は某局で日本アカデミ−大賞があっていた。
これは私の独断と偏見なので大きな声で言えないが、何となく日本のこういった“大賞”ものはなにか出来レ−スの様な印象があり、素直に感動したり納得できない事が多い。日本レコ−ド大賞もその色が濃く結局は威厳が失墜し、年末の番組としては精彩を欠いてしまった。そのような事例を踏まえてか、アカデミ−大賞も一時期は大方の予想を裏切るような選出をしていたのだが、今夜久しぶりに見て以前の悪しき風潮がちらちらと見え隠れしていた。

「半落ち」「血と骨」を上手に分けたって感じが否めなかった。うがった物の考え方をしている私だけの色眼鏡だろうか。一体誰が取るんだろう?というワクワク感はまるで無し。主演男優・女優、助演男優は本線路線、ちょっと色モノとして助演女優に「世界で・・・」の17歳の女優にあげたって気がした。当然作品賞・監督賞は「半落ち」「血と骨」で仲良く分けていました。

この二作品が悪いと言っているわけではない。でもレ−スになっていないことは確か。エンタ−テイメント番組としてもつまらない。カンヌで話題をさらった「誰も知らない」の柳楽君は今夜はかすりもせず。日本映画界にとってはカンヌ評価なんて馬鹿にしてるのかな。ちょっとだけYOUが代わりにノミネ−トされていた。選ばれたら面白かったのに。17歳のろくすっぽ喋る事も出来ないお姉ちゃん女優のコメントより、遥かに「イケテル」コメント聞けたのにね。さらに最優秀主演男優賞が「ゼブラ−マン」の哀川翔だったりすると画面の前で「ひょぇ〜」なんてのけぞっちゃうくらい面白いんだけどな!!(*特に哀川翔好きではありません)でもきっとそうなったら一番驚くのは本人だったりして・・・

もっともっと引き付ける選考にしないと、鈴木京香のせっかくの涙も「女優だから演技じゃないの」なんて事になる。映画が好きな者にこんな考えを抱かせてはダメだよ、日本アカデミ−大賞関連の皆さん。

その後に見た「探偵ナイトスク−プ」内容の分野は違うけどやはり秀逸。きらびやかな人たちは誰も居ないけど、魅力ある番組。(でも時々くだらないが・・・)是非是非、お試しあれ。

*Nackyさん、リンクさせていただきました。楽しく読ませていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
今日はRの仕事はお休み。そのRがいつもなら惰眠を貪っている筈の午前中に電話をしてきた。熱があって咳が出てだるいとの事。近くに住んでいるので早く来るように言った。熱は37℃台だが、何となく元気が無い。先週まで多忙であったため、その疲れが出ているようだ。処方をし夜までゆっくりしていくように伝えた。昼食に自宅に戻ると母がRの熱が上がって38.7℃だという。顔を見に行くと父のベッドで寝ている。顔を真っ赤にしていてきつそうだ。そのままにして部屋を出ようとするとRが声をかけてきた。私が「お昼は食べられる?」と尋ねると一瞬考え、「食べる」。

「インフルエンザじゃないの?」と心配していた母の懸念を吹きとばすようなモリモリの食欲!なのにRは自分がインフルエンザか否かと私に問うてくる。「それだけ食べるなら十分ですからッ!残念!!自称インフルエンザ切りッ!!」と言ってあげた。

Rは女性だけの職場に勤めている。結構大所帯の職場だ。私と違い、小さな身体でよく頑張っている。しかし何やかんやで“いじめ”があるようだ。強く言えないRは格好のタ−ゲットのなっているようだ。でもそのいじめたるや実にくだらない内容。例えば改まった席でRがバ−〇リ−を着ていった時、先輩のTさんから「私のバ−〇リ−なんだからあんた着ないでよ」と言われたり、若手だけの飲み会でそのTさんは焼酎の9:1割(焼酎9割)を作りアルコ−ルに強くないからと尻込みするRに「私のお酒が飲めないのか」と強要したそうだ。そして気弱なRは飲まされ夜中にゲロッたらしい。Rの話に母と私はいつも憤慨する。でも立場が悪くなるから止めて・・・と言われるとどうしようもない。

私も研修医時代にやはり“いじめ”や“えこひいき”があった。指導の先生から嫌な思いもさせられた。特にその当時の先輩女医の一部はかなり個性が強く、ひいきの研修医(男性)と比べられたり、扱いを違えられたりと散々であった。幸い同期に同級生で仲の良い女医がいたため、私達はお互いに慰めあっていた。そして最終的にあることを誓い合った。「自分達が指導する立場になったら『自分がされて嫌な事』は絶対にするまい」

将来、Rも指導する立場になるであろう。久しぶりのゆっくりと話す機会なので、その話をして聞かせた。「そうだね」と納得するR。今は辛いけど打たれ強い女性になってほしい。そう願ったある冬の夜だった。
最近、言葉の問題がよく取りざたされている。特に漢字は今の小学生にとって鬼門のようだ。“読み”は何とかできるが“書き”が苦手な傾向があるとの事。ワ−プロが普及したせいで自分で辞書を引く事も出来ない小学生が多いようだ。日本の言語って今からどんな変遷をたどるのだろうか・・・

漢字と同様“敬語”も没落の一途をたどっている気がする。外来で患者さんと接していても明らかに間違えていたり、いわゆる“タメ口”をたたく人も多い。以前は明らかに患者の親の方が年上だったが、私も随分年かさになってきたので2/3くらいは私より年下だ。でも年が上だ、下だ等にこだわらず、やはりそんなに親しくない相手にはまずは丁寧な言葉ではないかなと思う。同業者に方言を多用している医師もいる。確かにざっくばらんというか、親しみやすいかもしれない。しかし、私は患者さんと良い意味で一線を画して置きたいタイプ。あまり親しくなりすぎると見えていたものが見えなくなると思っている。方言を使わない事で「気取ってる」と言われるかもしれないが、今のところ路線変更は無い。

朝の連続テレビ小説「わかば」を母が気に入って見ている。しかし先日“あれッ?”と思うことがあった。ヒロインの母親や叔父に結婚の申し込みのため婚約者が訪れ、反対する叔父を説得していた場面だった。素敵なせりふを言っていたにもかかわらず、何か薄っぺらい感じがした。

婚約者は自分の事を「オレ」という一人称を使っていた。こういった改まった席での一人称は「わたし」ではないのだろうか?せめて「ぼく」を使って欲しかった。天下の国営放送N〇K、こんな事だから問題噴出するのだよ。誰も気づかなかったのかな?自分の私腹を増やす事に躍起になっていて・・・

綺麗な日本語のお手本になってね〜N〇Kさん。詰めが甘いですわよ〜。
雨がシトシト降っている。そのせいか生暖かい。冬である事を一瞬だけ忘れた。時間を惜しむようにして朝の準備に取り掛かる。

火曜日というのは来院動向として少しゆっくりな傾向がある。でも先週からは曜日はお構いなしで忙殺される。一人で診るのは限界がある。又いくら急いでも集中的に来院されたらお手上げだ。上っ面だけの診療もしたくないし、スピ−ドアップは要求される。いずれにしても難しい問題だ。

一体これで良かったものかと後から悩む事も多い。もっと時間があれば丁寧に話も聞いて上げられる事もできる。最近のちょっとした悩み事。

診療を終えて携帯を見ると珍しくSからメ−ルが届いていた。

凹んだ気持も吹っ飛ぶくらい嬉しい出来事。北風が吹きまくっていた私の心に暖かい春の風が吹いた。でもそれはホンのちょっぴり。まだまだ私の心の中の旅人は冷たい北風に耐えなければならない。でもきっときっと暖かい春の風も日差しもやってくるに違いない。そう信じて今夜は良い夢を見よう・・・
朝から父より電話。食事が美味しくないらしい。持ち込み禁止であり、病院食をきちんと食べるように諭す。でも母は気になるらしく“梅干”だの“海苔”だの用意している様子。

私は“好き嫌い”がない。これは我が家の家訓の一つ。出されたものは何でも食べる、幼少時から厳しく言われてきた。小さい頃、私は“牡蠣”“サザエの巻いた部分”“コンビ−フ”“缶詰のアスパラ”が嫌いだった。今思えば、そんなにシャカリキになって食べさせなくても良い食べ物と思うが、それは許されない事であった。泣きながら食べた記憶がある。おかげさまで(!?)、今やどちらかというと前述のものは“好きなもの”に近い存在になってしまった。だから社会人になって目上の先生方にご馳走になる際には胸を張って「好き嫌いはありません」と言える。このような時には心の中で母に感謝する。

嗜好というものは人それぞれ違う。だから食べ物の一つや二つ嫌いなものがあっても私はかまわないと思う。しかし、アレルギ−も無いのに“〇〇全般が食べられない”と言うのは如何なものか・・・
私の知っているEさんは“肉・魚全般が食べられない”という人だった。それを聞いて思わず「じゃあ、何を食べるの?」聞くと卵や大豆製品、そしてお菓子という答えが返ってきた。「ポッキ−だったら一箱ペロリよ」とも付け加えていた。私は不思議で仕方が無かった。彼女によると「生前の姿を想像すると可哀想で食べられない」のだそうだ。このことを知らないで食事に出かけた時、注文して料理がきた後に「私は・・・」と告げられた。「余っちゃうね〜」とため息をつく私に彼女は綺麗な笑顔で「残しちゃえば〜」とあっさり言われた。“好き嫌いをしない”と同じくらい“食べ物を残さず食べる”を徹底して叩き込まれている私には一生口に出来ない言葉。作った人の気持を考えると出来ません・・・その夜、お腹ははちきれんばかりになってしまった。
朝から診察室に行ってギョッ!!恐ろしいくらいカルテが並んでいる。何やら嫌な予感・・・

勘は当たった。8時30分に診察室に座って一歩も動けず。あまりの忙しさに尿意も薄れてしまった。確かにインフルエンザは増えてきているが皆が皆そうというわけではない。定期処方の人もいれば、咳・鼻水だけの人もいる。そして新患が多い。引越しの時期でもないのに・・・母が言うには冬場になると「どこにこんなに居たのかしら〜」と感じるほど患者さんが増えるのだそうな。う〜ん、納得。
ともあれ、無事に喧騒外来終了。時計を見ると15時前。あまりにも目まぐるしかった半ドンの診療。これからも続くと思うと顔が“ムンク”みたくなりそうだが、入院中の我が父上はこのような日々を40年近く続けていたと思うと、私なんかまだ序の口。へたる心に言い聞かせた。

夕食は以前から約束していたクラブ「彩〇」のSチャンと会食。ママも来るはずだったが風邪をこじらせ、今夜は欠席との事。私のお友達のRちゃんを誘っての不思議な夕食会のスタ−ト。最初はぎこちなかったが、そこはアルコ−ルと美味しい食事の力を借りて最後はよそのお客さんも交えてワイワイ、ガヤガヤと楽しい時間となった。

実を言うとこの「彩〇」で私は自腹を切って飲食した事が無い。いつもちゃっかり誰かの「ゴチ」になっている。でも何故か、「彩〇」のお姉さん方の私の印象は良いようだ。お食事のお誘いなどよくメ−ルを頂く。この事を「ゴチ」してくれる人に言うと「何故、支払いをしない君にばっかり・・・」と悔しがっていた。しかもプライベ−ト時間のお食事に関しては“割り勘”でよいと言う。ついでにこの“割り勘”についても「ゴチ」さんに告げると「君達は怪しい〜!絶対におかしいぞ!」と
地団太を踏んでいた。ちなみに私はレズではありません・・・

何故か飲食店の方々には受けが良い私。特に居酒屋の大将系には特に好まれる。ただ単に飲み食いしているだけなのだが・・・(謎)
でも大将にもてるのも良いが、正統派路線にももてたい私・・・

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