来年お互い幸せな顔で
2005年4月3日 日常今日は休日出勤で夕方まで働く。病院が新しい棟になったため、皆、慣れずにやや時間がかかってしまう。それにしても立派な病院。何処も彼処もピカピカ!
喰ったり疲れた身体を引きずるように帰宅。屋内に居たから解らなかったが凄い雹が降ったらしい。父が傘をさして待っててくれた。有難う。
夕食も侭に横たわる。朝からの緊張を少しでも解きたい。でも両親の前でもやや緊張するのが悪い癖。元気そうに振舞わなければならない。先に休ませてもらった。
夜、お座敷で“お雛様”のお片づけ。“また来年も会いましょうね!”と心の中で呟いた。*我が地方は旧暦まで飾るのが風習です。
喰ったり疲れた身体を引きずるように帰宅。屋内に居たから解らなかったが凄い雹が降ったらしい。父が傘をさして待っててくれた。有難う。
夕食も侭に横たわる。朝からの緊張を少しでも解きたい。でも両親の前でもやや緊張するのが悪い癖。元気そうに振舞わなければならない。先に休ませてもらった。
夜、お座敷で“お雛様”のお片づけ。“また来年も会いましょうね!”と心の中で呟いた。*我が地方は旧暦まで飾るのが風習です。
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午前診を終え髪を切りに行く。心はよれていても外観だけでもきちんとしておかなくては・・・相変わらずU氏の技術は冴え渡る。
私の心も早く冴え渡りたい。
私の心も早く冴え渡りたい。
午後は何とかこなせた。良かった。一息ついて帰ろうとしたその時、ある事で気持がまた凹む。色々考え込んでしまった。運転しながら“自分のせいかな・・・”等とも思い、益々凹んだ。ポロポロと落ちる涙。視界が滲む。事故だけは起こさないように帰らなければ・・・
先週の事を知っているだけに帰る早々寝込んだ私を両親はそっとしておいてくれた。メ−ルの返事も無く、また眠剤の力を借りた。泣きながら闇の世界へ身を投じた。
先週の事を知っているだけに帰る早々寝込んだ私を両親はそっとしておいてくれた。メ−ルの返事も無く、また眠剤の力を借りた。泣きながら闇の世界へ身を投じた。
明日の午後のことを考えると気が重い。足が向いてくれるだろうか・・・昨日も結局25日の“生き物”がきっちり睡眠を傷害してくれた。緊張やキズやその他諸々で精神のバランスも良くない。
夜になると不安が募る。夕食もほんの少ししか入らず、就寝。今夜は少し眠剤のお手伝いを請う。
夜になると不安が募る。夕食もほんの少ししか入らず、就寝。今夜は少し眠剤のお手伝いを請う。
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ジャイアント・ベビ−
2005年3月30日 日常朝起きたら“ピョン吉”にはなっていなかった。良かった。
午前は自宅医院で診療し午後は他院で1ヶ月健診に出向く。1生日で初期嘔吐と思われる赤ちゃんがいた。元気も良くて大きな立派な赤ちゃん。助産師に指示を出している時「こんなに大きいのに頑張って飲まなきゃよ〜」と励まされていた。でも“こんなに大きな”から1000g以上も大きかった私。その当時、絶対ベビ−室で「でかすぎ〜」なんて言われてたのかな・・・
確かに大きく生れ、そのまま大きく育った。2歳の時、映画館で3歳に間違われ切符のもぎりのオバチャンから直々に「お嬢ちゃんいくつ?」と確認されていたほどだ。当然2歳だから団子のような指を2本出したらしい。
Yとは12歳離れていて親戚の人からいつもYは(実際Yは洋風なお人形さん的美人で私と全然似ていない)「あら〜Yちゃん益々美人になったわね〜」と言われ横の私には「あら〜Azureちゃん、また大きくなったわね〜」と数年間言われ続けてきた。ひどい時には当時デビュ−仕立ての歌手のWみたいになるかも・・・と噂されていたそうだが、最終的には適当な大きさで落ち着いた。
なりは大きいけど気持は細やかに育ったつもりだ。もう少しずぶとくても良いのかな・・・
午前は自宅医院で診療し午後は他院で1ヶ月健診に出向く。1生日で初期嘔吐と思われる赤ちゃんがいた。元気も良くて大きな立派な赤ちゃん。助産師に指示を出している時「こんなに大きいのに頑張って飲まなきゃよ〜」と励まされていた。でも“こんなに大きな”から1000g以上も大きかった私。その当時、絶対ベビ−室で「でかすぎ〜」なんて言われてたのかな・・・
確かに大きく生れ、そのまま大きく育った。2歳の時、映画館で3歳に間違われ切符のもぎりのオバチャンから直々に「お嬢ちゃんいくつ?」と確認されていたほどだ。当然2歳だから団子のような指を2本出したらしい。
Yとは12歳離れていて親戚の人からいつもYは(実際Yは洋風なお人形さん的美人で私と全然似ていない)「あら〜Yちゃん益々美人になったわね〜」と言われ横の私には「あら〜Azureちゃん、また大きくなったわね〜」と数年間言われ続けてきた。ひどい時には当時デビュ−仕立ての歌手のWみたいになるかも・・・と噂されていたそうだが、最終的には適当な大きさで落ち着いた。
なりは大きいけど気持は細やかに育ったつもりだ。もう少しずぶとくても良いのかな・・・
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“ピョン吉”になっても・・・
2005年3月29日いつもは2時間程度の仮眠が取れる。簡易ベッドが数個置いてあって一つずつブ−スになっている。今夜のお祈りも済ませ“さあ・・・”と思った瞬間誰か部屋に入ってきた。でも壁に仕切られていて誰かはわからない。ちょっと嫌だな・・・と思ったが、そのまま夢の世界へ・・・(もちろん何かあった時用に携帯電話を握り締めて)と思ったら超デカイ鼾が聞こえてきた。何とか・・・と思うも鼾に負け一睡も出来ず。後で聞いたら本来使えない職員が勝手に使ったらしい。
ウサギとパンダがMIXした様な顔で外来診察し、午前終了。やっと睡眠に・・・と思ったら母が銀行の書類にサインがいるから起きといてだの父は父で17時から代わってくれだの、結局さらにウサギとパンダが顔濃くなった状態で夕食を迎えた。食欲よりも睡魔。“お願い、今日はこのまま寝せて”とドアに張り紙をし就寝。きっと大地震が起きても気が付かないだろう。衣装ダンスの下敷きになり“ピョン吉”みたいになって発見されるのかな〜
ウサギとパンダがMIXした様な顔で外来診察し、午前終了。やっと睡眠に・・・と思ったら母が銀行の書類にサインがいるから起きといてだの父は父で17時から代わってくれだの、結局さらにウサギとパンダが顔濃くなった状態で夕食を迎えた。食欲よりも睡魔。“お願い、今日はこのまま寝せて”とドアに張り紙をし就寝。きっと大地震が起きても気が付かないだろう。衣装ダンスの下敷きになり“ピョン吉”みたいになって発見されるのかな〜
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日差しが随分春らしくなってきた。これで暖かくなりさえすれば桜の開花はぐっと近くなるのだろうか?でも今の状態では桜は見たくない。去年の桜がとても楽しく嬉しい思い出となっているから、今の状況が変わらなければ涙で桜の花は見れないだろう・・・
深夜、診療に出向く。先週が祭日でお休みだったので2週間ぶりの出勤。顔を出すと看護師さん達から「前回は大丈夫でしたか?」とお見舞いの言葉を頂く。聞けばとてもひどい顔色だったらしい。私はあんまりその記憶がないから朦朧とした意識の中で診療をしていたようだ。「すみません、ご迷惑をかけて・・・」
さすがに来院者は減ってきた。高熱・嘔吐・喘息と疾患も様々。でもせっかく昼間にかかりつけ医にもらったお薬を飲ませずに受診するのは如何なものでしょう?
5ヶ月の赤ちゃんが咳と発熱で受診。聞けばどうも喉頭炎を起こしているようだ。喉頭炎は急変する場合があるので要注意。吸入の指示を出した。吸入後、聴診して処方内容の説明をし、再診の必要性がある症状を指導。「では明けてかかりつけ医に・・・」と言いかけたところ母親から「あの〜」と。「今週、海外旅行に行くんですけど行っちゃダメですか?」
38℃以上の熱もある、喉頭炎の病状とその急変時の怖さも説明した、そして本人はまだこの世に生れて5ヶ月・・・
医療サイドとしては行って良いとはいえないと静かに伝えた。
まだ早いような気がします、お母さん。日本でも沢山愛情注げるから、
慌てて外国行かなくても育て様によって立派な国際人になれますから。
抱きかかえて帰るその背中に心の中で呟いた。
深夜、診療に出向く。先週が祭日でお休みだったので2週間ぶりの出勤。顔を出すと看護師さん達から「前回は大丈夫でしたか?」とお見舞いの言葉を頂く。聞けばとてもひどい顔色だったらしい。私はあんまりその記憶がないから朦朧とした意識の中で診療をしていたようだ。「すみません、ご迷惑をかけて・・・」
さすがに来院者は減ってきた。高熱・嘔吐・喘息と疾患も様々。でもせっかく昼間にかかりつけ医にもらったお薬を飲ませずに受診するのは如何なものでしょう?
5ヶ月の赤ちゃんが咳と発熱で受診。聞けばどうも喉頭炎を起こしているようだ。喉頭炎は急変する場合があるので要注意。吸入の指示を出した。吸入後、聴診して処方内容の説明をし、再診の必要性がある症状を指導。「では明けてかかりつけ医に・・・」と言いかけたところ母親から「あの〜」と。「今週、海外旅行に行くんですけど行っちゃダメですか?」
38℃以上の熱もある、喉頭炎の病状とその急変時の怖さも説明した、そして本人はまだこの世に生れて5ヶ月・・・
医療サイドとしては行って良いとはいえないと静かに伝えた。
まだ早いような気がします、お母さん。日本でも沢山愛情注げるから、
慌てて外国行かなくても育て様によって立派な国際人になれますから。
抱きかかえて帰るその背中に心の中で呟いた。
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階下からの小さなお見舞い
2005年3月27日昨夜、2週間ぶりにアルコ−ルを口にした。頭も痛くないし、ムカムカもないが何故か動悸がする。自分で測ると脈拍が180/m位ある。元々脈は速いほうだが、ここまで速くはない。安静にしていれば落ち着くかと思い朝風呂もやめてベッドで臥床する。しかし止まない。次第に不安になってきた。最近、期外収縮が散発していたが今までにもよくあっていたので気にはしていなかった。でも頻脈はなかった。“どうしてだろう・・・”例の石をしっかり握り締め思う。“怖い・・・”
Sとの事といい、地震そして25日のおぞましい事。神様は一体どうしてこんなに沢山一度に試練をお与えになるのだろう。哀しくて涙が滲み出た。何故なんだろう・・・どうしたらよいのだろう・・・
いつのまにか泣きながら眠っていたようだ。小1時間ほど眠っていた。脈拍を取ってみると120/m位に落ちついている。少し安心した。私があまりにも起きてこないので母が心配して声をかけてきた。少し動悸がした事を伝えると事情を知っている母は「色んな事があって身体が緊張したのよ」と慰めてくれた。
終日、寝たり起きたりの一日。動悸は静まった。夕食時に階下へ降りると階段の下でmが待っていた。朝から時折階段の下にきては2階を眺めていたらしい。私が食卓につくと足元に安心したように座っていた。
明日からも周囲に解らないように働かなければならない。心の緊張はいつ解けるのだろうか・・・
Sとの事といい、地震そして25日のおぞましい事。神様は一体どうしてこんなに沢山一度に試練をお与えになるのだろう。哀しくて涙が滲み出た。何故なんだろう・・・どうしたらよいのだろう・・・
いつのまにか泣きながら眠っていたようだ。小1時間ほど眠っていた。脈拍を取ってみると120/m位に落ちついている。少し安心した。私があまりにも起きてこないので母が心配して声をかけてきた。少し動悸がした事を伝えると事情を知っている母は「色んな事があって身体が緊張したのよ」と慰めてくれた。
終日、寝たり起きたりの一日。動悸は静まった。夕食時に階下へ降りると階段の下でmが待っていた。朝から時折階段の下にきては2階を眺めていたらしい。私が食卓につくと足元に安心したように座っていた。
明日からも周囲に解らないように働かなければならない。心の緊張はいつ解けるのだろうか・・・
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昨日の“生き物”は幸い夢には出てこなかった。私の疲れの方が勝ったようだ(とはいっても精神安定剤の応援は受けたが)。
午前の外来を無事にこなし、午後は久しぶりにエステサロンに行く。年が明けて目まぐるしい毎日を送っていたので、実に3ヶ月ぶりだった。まずは地震お見舞いのご挨拶から。ここはある百貨店の8階にあり、かなり揺れたらしい。でも休日だった事と時間帯が良かったからお客さんは一人だったらしい。でも、もしあのド−ム型のスチ−ムにすっぽり入って顔だけ出している時に震度6受けたら・・・と思うとぞっとした。
今夜は知人のTさんが来福。遅めの時間に待ち合わせをし、夜の市内をご案内。日本酒の美味しい「う〇〇〇〇」で酒肴と会話を楽しむ。約2週間ぶりのアルコ−ル。身体に染み渡った。せっかくだからともう1件ご案内した。父が行きつけの「B」というお店。ラムをソ−ダ割りで楽しんだ。
染み渡ったお酒の味。そしてTさんの温かい人柄も染み渡った夜。
午前の外来を無事にこなし、午後は久しぶりにエステサロンに行く。年が明けて目まぐるしい毎日を送っていたので、実に3ヶ月ぶりだった。まずは地震お見舞いのご挨拶から。ここはある百貨店の8階にあり、かなり揺れたらしい。でも休日だった事と時間帯が良かったからお客さんは一人だったらしい。でも、もしあのド−ム型のスチ−ムにすっぽり入って顔だけ出している時に震度6受けたら・・・と思うとぞっとした。
今夜は知人のTさんが来福。遅めの時間に待ち合わせをし、夜の市内をご案内。日本酒の美味しい「う〇〇〇〇」で酒肴と会話を楽しむ。約2週間ぶりのアルコ−ル。身体に染み渡った。せっかくだからともう1件ご案内した。父が行きつけの「B」というお店。ラムをソ−ダ割りで楽しんだ。
染み渡ったお酒の味。そしてTさんの温かい人柄も染み渡った夜。
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今日、人生で初めての“おぞましい生き物”遭遇した。キンキンした声を発し、歯を剥き出しにして相手の腕やお腹や、そして頸部を狙って襲い掛かる。ただでさえ痛んでいた私の心を容赦なくズタズタにした。
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殻に閉じこもり闇に入る
2005年3月24日朝から診療。思ったほど嘔吐下痢も増えない。インフルエンザは完全に下火になった模様。年末からあんなに騒いでいた花粉症も例年に比べ“爆発的に多い”という様子もない。
庭から見える梅の花も満開を過ぎてきたようだ。椿ももうそろそろ終わりだ。花の芯を食べにくるヒヨドリ達も別の食べ物を探さなくてはならない。自然は厳しい。でも次第に暖かくなってくるこの季節。野生の動植物にとっては嬉しいに違いない。
余震は相変わらず続いているが、数やその大きさはぐんと軽度になった。しかし表に出てない被害を聞くと、あの時の“恐ろしさ”が蘇ってくる。
父は知人と出かけた為、夕食は母と二人で摂る。ひっそりとした食事。食べたくないのを必死にこらえて無理に押し込む。味がしないし、今にも涙がポロポロこぼれそうだ。でも母には見せられない。心配するから。そうこうしていたら父が帰り、気も紛れた。
夜、布団に包まり先日買った石を握り締める。深い闇に包まれる事が今は何よりもホッとする。明日の朝、目が覚めなければ良いのに・・・
庭から見える梅の花も満開を過ぎてきたようだ。椿ももうそろそろ終わりだ。花の芯を食べにくるヒヨドリ達も別の食べ物を探さなくてはならない。自然は厳しい。でも次第に暖かくなってくるこの季節。野生の動植物にとっては嬉しいに違いない。
余震は相変わらず続いているが、数やその大きさはぐんと軽度になった。しかし表に出てない被害を聞くと、あの時の“恐ろしさ”が蘇ってくる。
父は知人と出かけた為、夕食は母と二人で摂る。ひっそりとした食事。食べたくないのを必死にこらえて無理に押し込む。味がしないし、今にも涙がポロポロこぼれそうだ。でも母には見せられない。心配するから。そうこうしていたら父が帰り、気も紛れた。
夜、布団に包まり先日買った石を握り締める。深い闇に包まれる事が今は何よりもホッとする。明日の朝、目が覚めなければ良いのに・・・
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二つの余震
2005年3月23日昨夜も余震を感じ、目が覚めた。最初の頃の様に起き上がって構える事はなくなったが「あ-、まただ・・・早く鎮まって・・・」と心の中でひっそり思う。おかげで寝不足。全国ニュ−スやワイドショ−でも地震関連が取り上げられている。市内の窓ガラスが飛び散ったFビルは一躍有名になってしまった。昔からあるビルで私が小さい時には、中に入っていたロ〇〇〇(今は大型外食チェ−ン)でよくポテトチップス(厚めで美味しかった)を買ってもらった記憶がある。全部の修復には随分時間がかかるらしい。
午後から産婦人科の1ヶ月健診へ。何故か今日はお腹パンパンの赤ちゃんが多くかった。処置の際にウンチ2回、おしっこ1回引っかけられた。こんな時は白衣着てて良かった・・・と思う。
朝から自分自身変だなと思ってはいたが、“心の余震”に襲われた。午後の健診から帰宅後、自宅で閉院までの診療を終えるまでが精一杯。終わると同時に自室に引き篭もってしまった。布団にくるまり、何もかもを排除したくなる。最初は腹を立てていた母も心配そうに覗きに来る。心配させて悪いのは解っているけど、抑制が効かず殻に閉じこもってしまう。今夜も余震はあっていた。私の“心の余震”はいつまで続くのだろう。そして止るのだろうか。
午後から産婦人科の1ヶ月健診へ。何故か今日はお腹パンパンの赤ちゃんが多くかった。処置の際にウンチ2回、おしっこ1回引っかけられた。こんな時は白衣着てて良かった・・・と思う。
朝から自分自身変だなと思ってはいたが、“心の余震”に襲われた。午後の健診から帰宅後、自宅で閉院までの診療を終えるまでが精一杯。終わると同時に自室に引き篭もってしまった。布団にくるまり、何もかもを排除したくなる。最初は腹を立てていた母も心配そうに覗きに来る。心配させて悪いのは解っているけど、抑制が効かず殻に閉じこもってしまう。今夜も余震はあっていた。私の“心の余震”はいつまで続くのだろう。そして止るのだろうか。
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連休明け、地震明けの外来診療。地震があったのが嘘だったかのように多くの患者さんが来院。子供たちに「地震怖かった?」と聞くも子供たちは反応は今一つ。そのかわり大人の方が過剰に反応していた。実際聞いてみると色々な場所で遭遇していた。保育園の卒園式・釣りのため港にいた人・車の中・運動公園で遊んでいた人・何と地下街にいた人・・・一番びっくりしたのは友人の結婚式に参加していて、まさに指輪の交換の際にグラッとしたという人がいた。結局披露宴まであったらしい。案外。こんな夫婦は円満にいったりして・・・
午後は父に代診を頼み、市内の持ちマンションの掃除に出かける。先日見に行った時に食器棚からこぼれ割れたガラスや陶器の破片を片付けなければならない。家政婦のYさんと休日だったRも手伝いに来てくれた。
散乱しているものを拾い集めているその時、またもや余震がきた。しかも大きい。6階の部屋のため揺れる揺れる。一昨日の再来かと肝を冷やしたが、しばらくして止った。慌ててテレビをつけると震度4の余震。どおりで揺れたはずだ。
余震が気になるせいか、あまり熟睡できない。起こされなかった当直明けにやけに眠いのと同じだ。きっと身体が緊張しているのだろう。実際眠っていても夜中に余震があれば目が覚めてしまう。一体いつまで続くのだろう・・・
午後は父に代診を頼み、市内の持ちマンションの掃除に出かける。先日見に行った時に食器棚からこぼれ割れたガラスや陶器の破片を片付けなければならない。家政婦のYさんと休日だったRも手伝いに来てくれた。
散乱しているものを拾い集めているその時、またもや余震がきた。しかも大きい。6階の部屋のため揺れる揺れる。一昨日の再来かと肝を冷やしたが、しばらくして止った。慌ててテレビをつけると震度4の余震。どおりで揺れたはずだ。
余震が気になるせいか、あまり熟睡できない。起こされなかった当直明けにやけに眠いのと同じだ。きっと身体が緊張しているのだろう。実際眠っていても夜中に余震があれば目が覚めてしまう。一体いつまで続くのだろう・・・
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昨夜は余震を1時間毎に感じた。その度に身を起こし、身構えた。まどろんでは黒い手から揺り起こされているような夜だった。
今日はW病院で休日勤務。ここも地震の影響があったようだが、大きな倒壊やICUでの機器のトラブルなどはなかったらしい。
昨日の地震は何処へやら・・・というくらいに嘔吐下痢や高熱の患児たちが続々受診してくる。おかげで昼休みはなし、昼食も摂らずに午後診へ突入した。
カルテを一新しているため、受付をしてからカルテが出てくるまでが少し時間がかかっているようだ。受付で「まだか、まだか」の声が聞こえる。時折、怒号のような声も聞かれる。私は食事も摂らずに働いているんですけど・・・と言いたいが触らぬ神に祟りなしである。
夕方、綿のようにクタクタになって帰宅。ニュ−スで「今後も震度5の余震もありえる」と報道していた。今夜も“黒い揺り篭”かな・・・と気が滅入った。
今日はW病院で休日勤務。ここも地震の影響があったようだが、大きな倒壊やICUでの機器のトラブルなどはなかったらしい。
昨日の地震は何処へやら・・・というくらいに嘔吐下痢や高熱の患児たちが続々受診してくる。おかげで昼休みはなし、昼食も摂らずに午後診へ突入した。
カルテを一新しているため、受付をしてからカルテが出てくるまでが少し時間がかかっているようだ。受付で「まだか、まだか」の声が聞こえる。時折、怒号のような声も聞かれる。私は食事も摂らずに働いているんですけど・・・と言いたいが触らぬ神に祟りなしである。
夕方、綿のようにクタクタになって帰宅。ニュ−スで「今後も震度5の余震もありえる」と報道していた。今夜も“黒い揺り篭”かな・・・と気が滅入った。
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朝風呂をすまし、2階の自室へ。髪を乾かそうとしたら“グラッ”ときた。その直後まるでポルタ−ガイストにあったように足元及び家全体がガタガタと揺れ始めた。私の部屋には大きな衣装ダンスがあり、そのうち鎮まるかと押さえていたが、ひどくなってきた。階下から母が私を呼んでいる。父は2階のトイレに入っていたので「大丈夫」と一声かけると「大丈夫」との応答あり。急いで階段を駆け下りた。
母は食卓の下の潜り込み3頭を抱きかかえている。その横に滑り込むと一番怖がりのmを抱き取った。
地震だ。大きな地震だ。今までに体験したことがない震度だ。とっさに“少なくとも連絡手段は持っておいた方が良い”そう思い、母にmを渡し2階へ駆け上がった。再度父に声かけしておく。自分の携帯を持ち階下へ戻る。するとcが母の手をすり抜けてどこかに行ったようだ。「cちゃんがいない」とオロオロする母。足元を踏みしめながら探すと階段の途中でcは立ちすくんでいる。「大丈夫よ」と声をかけながらそっと抱き上げ母の元へ戻った。まだガタガタ揺れている。恐怖心がジワジワ湧いてくる。cを抱きしめながら片手でSに電話をするが混線している。せめてものとメ−ルを打つ。「大丈夫だったらメ−ルして」必死の私の心の声。すると自宅の電話が鳴った。Yからだ。「大丈夫だけどまだ揺れてる!」切ってしばらくして揺れは鎮まった。
揺れが止まりしばらくして父が2階から降りてきた。父も初めての恐怖体験。「恐ろしかった」と一言漏らした。
ニュ−スで知られたのであろう、遠方の方々からの無事確認メ−ルが届いた。有難いと思いながらお返事を打ち、周囲を見る余裕がやっと出た。
棚の上の物は落ち、瀬戸物は割れて散らばっている。食器棚のお茶碗やお急須、ガチャガチャになっている。応接間の母が大事にしている茶道具はガラスケ−スの中で無事だったが、周囲の棚の物は落ち散乱している。そして土壁の一部にはひびが入り、お座敷のテレビは前のめりに倒れていた。応接間とお座敷のある棟は昭和40年に建てた木造建築。かしいではいなかったが、土壁のため床が砂でざらざらしていた。屋根の瓦の一部は剥げ落ち、剥き出しになっていた。
庭では樹木には影響なかったが灯篭が倒れていた。そっと2階に上がると家具の倒れはなかったが、箪笥の扉は開き中の物は散らばり、棚に並べていた私のバッグは巻き散らかされていた。
病院の方は薬液棚の倒壊とかなく、無事であったのは幸いだった。
まさに“唖然”とするとはこの事であろう。
テレビもようやくつき、震源・震度・被害状況等を少しずつ確認する。
私が住んでいる地区は一番ひどい震度6であった。
家族3人の無事は確認できた。Rは保育士で今日はよりによって卒園式。大丈夫だろうか?Tは隣市に住んでいるためここよりは被害は少ないであろうが、11階のマンションに住んでおりどうしているだろうか?そしてSからの返事はない。心配で胸がはちきれそうになった。
心配ばかりでじっとはしていられない。後片付けや修復をしなければならない。そして私は別の区に自室としてマンションを持っているため、そこの被害確認に出かけた。いつもより渋滞している道を通り、マンションについた。部屋を開けるとリビングの3分の1位に食器棚から零れ落ちたワイングラスや湯のみが散乱していた。破片が散らばり危ないため後日片付ける事とし、破損していなかった大事なグラスなどを持って帰った。私の部屋で唯一幸いだったのは棚の上の香水が落ちた場所が絨毯の上だった事。おかげで猛烈な香りに悩まされずに済んだ。
震源地は浅い所のようだが、その近くのG島は壊滅的な被害だそうだ。たった700人しかいない島民の穏やかな生活をほんの数分で奪ってしまった地震という天災を改めて憎く恐ろしく思う。
この地震が平日のラッシュ時だったらもっと被害は大きかったに違いない。我が医院でも平日の診療中、ごった返している時であったなら・・・と思うと背筋が凍った。
明日は休日診療で勤務のため、早めに就寝とした。しかし早くも余震を感じる。明日の朝は迎えられるのだろうか?見えない恐怖に息を潜めた。
母は食卓の下の潜り込み3頭を抱きかかえている。その横に滑り込むと一番怖がりのmを抱き取った。
地震だ。大きな地震だ。今までに体験したことがない震度だ。とっさに“少なくとも連絡手段は持っておいた方が良い”そう思い、母にmを渡し2階へ駆け上がった。再度父に声かけしておく。自分の携帯を持ち階下へ戻る。するとcが母の手をすり抜けてどこかに行ったようだ。「cちゃんがいない」とオロオロする母。足元を踏みしめながら探すと階段の途中でcは立ちすくんでいる。「大丈夫よ」と声をかけながらそっと抱き上げ母の元へ戻った。まだガタガタ揺れている。恐怖心がジワジワ湧いてくる。cを抱きしめながら片手でSに電話をするが混線している。せめてものとメ−ルを打つ。「大丈夫だったらメ−ルして」必死の私の心の声。すると自宅の電話が鳴った。Yからだ。「大丈夫だけどまだ揺れてる!」切ってしばらくして揺れは鎮まった。
揺れが止まりしばらくして父が2階から降りてきた。父も初めての恐怖体験。「恐ろしかった」と一言漏らした。
ニュ−スで知られたのであろう、遠方の方々からの無事確認メ−ルが届いた。有難いと思いながらお返事を打ち、周囲を見る余裕がやっと出た。
棚の上の物は落ち、瀬戸物は割れて散らばっている。食器棚のお茶碗やお急須、ガチャガチャになっている。応接間の母が大事にしている茶道具はガラスケ−スの中で無事だったが、周囲の棚の物は落ち散乱している。そして土壁の一部にはひびが入り、お座敷のテレビは前のめりに倒れていた。応接間とお座敷のある棟は昭和40年に建てた木造建築。かしいではいなかったが、土壁のため床が砂でざらざらしていた。屋根の瓦の一部は剥げ落ち、剥き出しになっていた。
庭では樹木には影響なかったが灯篭が倒れていた。そっと2階に上がると家具の倒れはなかったが、箪笥の扉は開き中の物は散らばり、棚に並べていた私のバッグは巻き散らかされていた。
病院の方は薬液棚の倒壊とかなく、無事であったのは幸いだった。
まさに“唖然”とするとはこの事であろう。
テレビもようやくつき、震源・震度・被害状況等を少しずつ確認する。
私が住んでいる地区は一番ひどい震度6であった。
家族3人の無事は確認できた。Rは保育士で今日はよりによって卒園式。大丈夫だろうか?Tは隣市に住んでいるためここよりは被害は少ないであろうが、11階のマンションに住んでおりどうしているだろうか?そしてSからの返事はない。心配で胸がはちきれそうになった。
心配ばかりでじっとはしていられない。後片付けや修復をしなければならない。そして私は別の区に自室としてマンションを持っているため、そこの被害確認に出かけた。いつもより渋滞している道を通り、マンションについた。部屋を開けるとリビングの3分の1位に食器棚から零れ落ちたワイングラスや湯のみが散乱していた。破片が散らばり危ないため後日片付ける事とし、破損していなかった大事なグラスなどを持って帰った。私の部屋で唯一幸いだったのは棚の上の香水が落ちた場所が絨毯の上だった事。おかげで猛烈な香りに悩まされずに済んだ。
震源地は浅い所のようだが、その近くのG島は壊滅的な被害だそうだ。たった700人しかいない島民の穏やかな生活をほんの数分で奪ってしまった地震という天災を改めて憎く恐ろしく思う。
この地震が平日のラッシュ時だったらもっと被害は大きかったに違いない。我が医院でも平日の診療中、ごった返している時であったなら・・・と思うと背筋が凍った。
明日は休日診療で勤務のため、早めに就寝とした。しかし早くも余震を感じる。明日の朝は迎えられるのだろうか?見えない恐怖に息を潜めた。
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嘔吐下痢が多い。便が白く頑固な嘔吐下痢だ。昨年末はニュ-フェイスのノロウィルスで脚光を浴びていなかったが本来は冬季嘔吐下痢の大御所ロタウィルスと思われる。昨日に引き続き4人目を入院させた。しかし受け入れ病院も満床が多く小児科医としては大変な時期だ。今日は土曜日なので午前で診療は終了。とはいっても終わったのは14時過ぎだった。
昼食もそこそこに自室へこもる。良くないとは分かっていてもここで感情を噴出しておかないと不安定におちいる。虚脱感に襲われ、布団に包まり感情を使わなくて良い世界に身を任せる。
自分が小娘ではないことは百も承知だ。いつまでもクヨクヨ悩んでいるなんて・・・と馬鹿にされても仕方がないのだが、上手く表現できないのだが“クヨクヨ”とはいささか違っているような気がする。足場を失った、あるいは失いそうになっている造りかけの家のような気がする。友人によっては「見込みないよ」と言われるが、私は一人の人間としてSを信じ、尊敬している。決して美化していない自信もある。
今の私の想いはただ一つ。Sを信じたい。
昼食もそこそこに自室へこもる。良くないとは分かっていてもここで感情を噴出しておかないと不安定におちいる。虚脱感に襲われ、布団に包まり感情を使わなくて良い世界に身を任せる。
自分が小娘ではないことは百も承知だ。いつまでもクヨクヨ悩んでいるなんて・・・と馬鹿にされても仕方がないのだが、上手く表現できないのだが“クヨクヨ”とはいささか違っているような気がする。足場を失った、あるいは失いそうになっている造りかけの家のような気がする。友人によっては「見込みないよ」と言われるが、私は一人の人間としてSを信じ、尊敬している。決して美化していない自信もある。
今の私の想いはただ一つ。Sを信じたい。
二つの灯り
2005年3月18日ここのところ“負の感情”日記ばかりで心配や励ましのお声を頂いている。今日ある方の暖かい励ましの声のお便りを頂いた。色々とお話しを聞いていただいた。それだけで少し闇の切れ間が見えたように感じた。
今日は自宅勤務ではなかった。車を修理中のため電車で帰宅となった。市内の新しく出来たショッピング街を歩いてみる。若い女性タ−ゲットのショップが主流だが、石専門のお店があった。覗いてみると効能が添えつけられている天然石が所狭しと並べられている。何となく興味を惹かれ、ゆっくりと吟味しながら3種類の石を選んだ。
就寝前に枕もとに今日買った石達を並べてみた。研磨されていないので当然不透明だったり輝いていたりとバラバラな光を放っている。でも何となく心強くなった気がした。昼間の暖かい声と共に闇ばかりだった心に灯りが燈った。
今日は自宅勤務ではなかった。車を修理中のため電車で帰宅となった。市内の新しく出来たショッピング街を歩いてみる。若い女性タ−ゲットのショップが主流だが、石専門のお店があった。覗いてみると効能が添えつけられている天然石が所狭しと並べられている。何となく興味を惹かれ、ゆっくりと吟味しながら3種類の石を選んだ。
就寝前に枕もとに今日買った石達を並べてみた。研磨されていないので当然不透明だったり輝いていたりとバラバラな光を放っている。でも何となく心強くなった気がした。昼間の暖かい声と共に闇ばかりだった心に灯りが燈った。
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睡眠も深くないのであろう、現実に起こった事そうでない事の区別が朝起きた時に、瞬時に判断できない。朝だというのに疲れきった身体をズルズルと引きずって行動を起こす。でも今日一日は始まっている。
昼休みも食事を終えると自室へ。声を押し殺して感情を吐き出す。一体いつまでこんな気持が続くのだろうか・・・
一日の診療を終え、自宅へ戻る。全く食事は入らない。無理をして食べなきゃいけないのは解っているが、そうすると食べている最中に涙が溢れてきそうでかえって両親を心配させるに決まっている。自分が大人気ないことは百も承知だが、湧き上がるこの負の感情は今の所このような形でコントロ−ルするのが精一杯だ。
目を閉じ、闇の中に身を任せる。
昼休みも食事を終えると自室へ。声を押し殺して感情を吐き出す。一体いつまでこんな気持が続くのだろうか・・・
一日の診療を終え、自宅へ戻る。全く食事は入らない。無理をして食べなきゃいけないのは解っているが、そうすると食べている最中に涙が溢れてきそうでかえって両親を心配させるに決まっている。自分が大人気ないことは百も承知だが、湧き上がるこの負の感情は今の所このような形でコントロ−ルするのが精一杯だ。
目を閉じ、闇の中に身を任せる。
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インフルエンザがなりを潜めつつあるが、嘔吐下痢が羽を伸ばし始めた。私の今の精神状態を仕事の反映させるわけにはいかない。自分の感情を押し殺し診療に没頭する。幸い、点滴等の処置で考える事も多い。ようやく午前診が終了。
昼食もそこそこにW産婦人科へ出向く。とはいっても普段は自分の車で運転していくのだが、14日夜に当ててしまい修理中のため病院の車で送ってもらった。車中で目を閉じて少しまどろむ。少しでも自分の暗闇に引き込まれそうになると涙が滲むため、慌てて外の景色へ意識をとばす。
今日の健診はやや少なめ。でも先週からの黄疸や体重のチェックで来院される患者さんが多くなり、やっぱりいつもの人数くらいになった。最近は退院時と1ヶ月健診の間にあっている母乳外来で「ゲップの徹底」を指導しており、最近はポンポコリンのお腹の赤ちゃんは随分少なくなった。湿疹のひどい赤ちゃんが数名いたが、外用薬とスキンケア指導で何とかいけそうだった。
帰宅し、父と閉院までの時間を交代。16時30分過ぎからの駆け込み患者さんが多いため上手くさばいていかねばならない。何とかこなして終了。
母が夕食の支度をしてくれていたが、食欲は湧かず自室に引きこもる。布団に包まり、溜め込んでいた感情を吐き出す。早く眠れるように・・・眠ってしまえば何も考えなくて良いから・・・
昼食もそこそこにW産婦人科へ出向く。とはいっても普段は自分の車で運転していくのだが、14日夜に当ててしまい修理中のため病院の車で送ってもらった。車中で目を閉じて少しまどろむ。少しでも自分の暗闇に引き込まれそうになると涙が滲むため、慌てて外の景色へ意識をとばす。
今日の健診はやや少なめ。でも先週からの黄疸や体重のチェックで来院される患者さんが多くなり、やっぱりいつもの人数くらいになった。最近は退院時と1ヶ月健診の間にあっている母乳外来で「ゲップの徹底」を指導しており、最近はポンポコリンのお腹の赤ちゃんは随分少なくなった。湿疹のひどい赤ちゃんが数名いたが、外用薬とスキンケア指導で何とかいけそうだった。
帰宅し、父と閉院までの時間を交代。16時30分過ぎからの駆け込み患者さんが多いため上手くさばいていかねばならない。何とかこなして終了。
母が夕食の支度をしてくれていたが、食欲は湧かず自室に引きこもる。布団に包まり、溜め込んでいた感情を吐き出す。早く眠れるように・・・眠ってしまえば何も考えなくて良いから・・・
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乗る前に確かめてみると右前の部分はかなりへしゃげていた。大事故にならなくて良かったと少し安心した。まだ十分に生きろという事であろう、そしてそれはまだチャンスがあるという事でもあるだろうから。慎重に運転し家に着いた。いつものとおり入浴し、診療に備える。父は代診し様かといってくれたが、こんな時は身体だけでも忙しくしておいたほうが余計な事を考えずに済む。
無事に一日を乗り切った。私の日記を読んで励ましのコメントを沢山頂いた。涙が出るほど嬉しかった。
無事に一日を乗り切った。私の日記を読んで励ましのコメントを沢山頂いた。涙が出るほど嬉しかった。