ゆっくりな夜

2005年7月12日 日常
今夜は友人の送別会。女性3人で大いに盛り上がる。しかし、火曜日と雨のせいかどのお店もお客さんは少ない。

のんびりゆっくりした時間を過ごした。

ある機内の中で

2005年7月11日 日常
先日のお話。

*****************************

その日は空港は随分混雑していた。手荷物・身体検査が混雑すること見越して早めに搭乗口へ向かった。案の定、大混雑。航空会社の方が出発時間がまもなくなのにまだ手続きを済ましていない人を探して早めの手続きをするため、連絡してほしいと声を枯らして叫んでいる。そんな中、悪びれもせずにチケットだけを見せ「早く連れて行けよ」と言わんばかりに、地味に待っている行列の脇を案内されながらすり抜けて行く。むかつく・・・(怒)

機内へ入り席に着く。そろそろ出発時刻という時にアナウンスが入った。大混雑のため、まだ機内に来ていない人が40名ほど居るとの事。日本人の悪いところ。交通機関には時間の正確さを要求するくせに、自分達は平気で遅れる・・・(怒)

後ろの列に2人の御婦人が「遅れ組」としてあたふたと来て座った。着席と同時に離陸になったからほぼ最後だったようだ。機体が動き始めた…と同時に後ろからご婦人達の会話が聞こえてきた。耳を澄まさずとも聞こえてくる会話。エンジン音なんてそっちのけだ。仮にA婦人、B婦人としよう。どうも遅れた原因を二人で話している様子。
要約すると
<A婦人の言い分>
・A婦人がトイレに行った。
・出てきたら待っている筈のB婦人が居ない。
・ギリギリ待ったが出発の時間が迫ってきたのでBさんは先に上がったと思い搭乗口に向かった。
<B婦人の言い分>
・A婦人が出てくると思い、トイレの前で待っていた。
・待ったが出てこないためA婦人が倒れたかと思い、空港職員と一緒にトイレを探した。
・しかし居なかったため仕方なくギリギリまで待ち、搭乗した。
というのが事の顛末。

この行き違いに関して“自分は正しい”と延々と言い合うのである。B婦人にいたっては「私は貴女がトイレに入ったっきり出て来んしゃれんから、てっきり倒れでもしたっちゃなかろうか?て心配したとバイ。空港の人に言うてばくさ、一つ一つトイレのドアば叩いてもろうて『Aさ〜ん』て私は呼んだし空港の人も『A様でございますか』って聞いてくれよんしゃった。」と如何に自分が相手を探したかと切々と訴えるのである。でもA婦人が「私はそんなにトイレで時間をとらなかったから待っててくれたらすぐわかったのにね〜」というと鼻息荒くB婦人は「私はず-っと前に居った」と頑として譲らない。結局、着くが着くまで延々と論議され私が“この二人は今からの旅行は出来るのか?”と案じ始めたころ、最後にとうとうA婦人が折れた。「では旅行中はトイレでも何でも片時も離れないようにしましょう」

(無理やり)聞かされていた私の見解としては、きっとB婦人が「じっと待たず」に「ちょっとだけウロウロ」したに違いない。でもその“ちょっと”はB婦人にとっては“ずっといた”に組み込まれているのだろう・・・きっと彼女達の座席周囲の者全員そう思っているに違いない・・・(納得)

とりあえず彼女達に「ボン!ボヤ−ジ!!」と言いたかった。
朝から降っていた雨が夕方になりバケツをひっくり返したようになってしまった。当然凄い雨音。空は真っ暗。しかも光とともに雷鳴が鳴り響く。

外出から帰るとmが飛びついてくる。mは雨・雷その他諸々大きな普段あまり聞かない音が大嫌い。可哀想なくらいブルッちゃっている。いつもはお兄さん風をふかして威張っているのに、実は一番ビビリちゃん。

ついこの間までは渇水を心配していたのに今度は浸水の心配?!人間の行いが悪いから、神様が叱っているのかしら・・・

雨の週末

2005年7月9日
朝からぱらつく雨。つい先日まで雨乞いをしながら空を見上げていた自分はもういない。

珍しく雨の週末。今日からどんな週末が始まるだろうか・・・

薄曇の空に思いを馳せる。

小さなエ−ル

2005年7月8日
今夜は米国に帰国する友人の送別会。彼女は日系米国人で生まれも育ちも米国だが、大学は日本の大学を卒業した。当然日本語も上手だが、やはり母国語は英語。いざとなった時にはついつい英語が出てしまうし、英語が堪能な人と接する時は細かいニュアンスになると英語で話しかけてしまうらしい。

でもはたから見ているといじらしいくらい日本語をなるべく使おうとしている。そんな彼女がいつかとても悲しそうな顔をして話してくれた。

ある人から「中途半端だ」と言われたらしい。「日本に来たら日本語しか使わないようにしなさい」とも言われたそうだ。その言った人は仕事で1年くらい英語圏に住んでた事もあり、そのことを聞いて彼女はつい懐かしくて英語で話しかけた時に言われたそうだ。

「私、どっちの国のひとなの?わからなくなった・・・」

生まれも育ちも「日本」という一国であり、両親も純然たる日本人という私にとっては彼女の立場は「2つの国をまたに掛けていいなぁ」なんてミーハー的なことを思っていた。彼女の言葉を聴いて浅はかな自分が少し恥ずかしかった。そして慰めてあげる術を持たない自分が情けなかった。

今夜の彼女は嬉しそうに振舞っていた。「また戻ってくるかも〜」とふざけている彼女。

そんな彼女に心の中で小さなエ−ルを贈った。
「名は体を表す」というが、最近の子供達の名前のこっていることには驚かされる。
まず、
 ・当て字が多い(読み仮名全く無視)
 ・字画が多い
 ・見たことも無い漢字が多い(当用漢字以外のもの)
 ・ラ行(特に“ル”“レ”)が多い
 ・お菓子とか果物などもある
 ・読めないことが多い
 ・アニメの主人公の名前もある
 ・“字”的にあまり良くないイメ−ジの漢字を用いる…等など
子供だから呼ばれても「可愛い」で終わってしまうけど、将来大人になってバリバリの営業マンやキャリアウ−マンになり、名刺を出すと同時に見比べられて「プッ!」とか吹き出されるような心配を持ってしまう“御名前”もある。
固い職業には「ちょっとね〜」と思うもの、人生足踏み外して塀の中に入ったら「似合わないんじゃないの〜」っていうのもある。

親御さんがせっかく生まれてきたお子さんに希望や夢をたくす気持ちはわからないわけではないが、あまりにも今、間違った方面へ行っている気がするのは私だけ?

基本的には
 ・小学校時代に習う漢字を用い(小学校時代にフルネ−ムを漢字  で書けるって事)
 ・普通の読み方で
 ・周囲から覚えられやすく
 ・呼びやすい
で良いのでは・・・な〜んて思っちゃう!?
余計なお世話でしょうが、ふと思う今日この頃・・・
 ・
今朝の毎日新聞の記事にブチ切れ!!

“研修医、大学病院に「不満」が43% 厚労省調査「低待遇理由」に”
 04年4月から必修化された医師臨床研修制度について、厚労相が臨床研修医にアンケ−トした結果、一般病院より大学病院の研修の満足度が低いことがわかった。大学病院への不満は「処遇・待遇が悪い」が最も多かった。
 アンケ−トはすべての臨床研修医7392人(一般病院3262人、大学病院4130人)を対象に今年3月実施。回収率は59.2%。
 臨床研修医の満足度は、一般病院が「満足している」が54.5%に対し、大学病院34.7%しかなく、「満足していない」(43.4%)が上回った。大学病院で満足していない理由は「処遇・待遇が悪い」に続いて「必要な手技(症例)の経験が不十分」「研修に対する診療科間(病院間)の連携が悪い」などとなっている。
 研修医の平均年収は03年度の約265万円から、04年度は約365万円に増えた。ただ、04年度は一般病院の約422万円に対し、大学病院は約318万円で差が大きい。

ふざけるんじゃない(怒)!!自分達を何様と思っているの?待遇が悪いって偉そうに!はっきりいって現場では貴方達は“邪魔”なだけ。学生よりもたちが悪いの。どうしてだか、わかる?貴方達は“免許”を持っているから処置が出来る。“処置が出来る学生さん”なの。指導者は教えないといけないわけ。受け入れ先の指導教官は大変。特に受け皿が大きい大学病院は大変なの。せっかく母校を出た“研修医”だから出来るだけ残したい。でもそのためには指導教官も必要。だから貴方達のため派遣していた市中病院から中堅どころの医師たちを呼び返して、準備した。そのおかげで被害を被ったのは派遣を大学病院に頼っていた市中病院。ある病院は大学から呼び返されて18人いた内科医師が10人に減ってしまった。そのためにベッド数も減らさざるを得なかった。誰のためでもない貴方達“研修医”のために起こった歪み。可哀想なのは地域の患者さん達。とうとう県が腰を上げ、県内の高校出身者で卒後10年前後の医師を調べて、高待遇で用意するから帰ってきてほしいってポスタ−まで作成した・・・というニュ−スもあっていた。ここまでした大学病院を批判する立場になんていないのよ、研修医さん達。
批判するならこんな悪しきシステムを考えたお馬鹿な厚生労働省のお役人を相手にしなさい。現場のことなんてな〜んにも考えていない人たちが考え出したから、こんなお粗末な結果になった。今回のアンケ−トだってする必要ないの。給料が安い?ふざけるんじゃないわよ。私の初任給なんか5万以下。医員になっても10万円。それに比べて幾らもらってるのよ。「安い」なんて言わせない。
頭を冷やしなさい。そして2年間で採血・点滴・挿管くらいは出来るようにせいぜい練習しなさい。IVH?とんでもない!!その前にきちんと問診を取り、診察することが先決。ただの処置屋さんにならないよう、気をつけることね。系統だって考えることが出来なければ何にもならないってこと。
これだけ迷惑掛けているのだから、腰を低くして何でも自ら学ぼうって姿勢を持ちなさい。相手が用意が悪いなんて口が裂けても言っては駄目。数年後、このシステムがどう評価されるか、わかりきってはいるけどね。
一人前になるのに時間がかかるわけ。そのことを十分肝に銘じて少しでも早く“使える”医師になりなさい。

頭がクラクラ

2005年7月5日 日常
日々の診療で頭がクラクラしそうな親達に出会う。

先日の夜間診療での出来事。問診表には「12時にス−パ−の買い物カ−トから1歳児が転落し頭を打った」と書いてあった。てっきり“あ−、きっと夜になって不安になったんだ〜”と思っていたら大間違い。夜の12時受傷でした・・・幸い大事には至らなかったが、深夜ス−パ−に行った理由を聞くと「買出し」。特に昼夜逆転のご家庭でもなく普通の生活パタ−ンのようだが、何故ゆえに・・・夜中の買出し???

先日の1ヶ月健診での出来事。最後に「何か他に気になる事はないですか?」と聞くと無表情な顔の母親からでた言葉にビックリ仰天!!
「赤ちゃんのオシッコしたいかどうかってどこで判断するんですか?今、定期的に便器にはかかげていますが、全然しません」
あまりの驚愕に言葉を失った・・・「オムツしているから、まだトイレでさせなくて良いです・・・」と間抜けな返事をしてしまった。

頚も座ってない赤ちゃんをどうやってオシッコをかかげてさせようとしたのだろうか?オムツの役割をその母親はどう捉えていたのだろうか?

謎は深まるばかり・・・人は“育児”という行動に対して後退していっているのだろうか?野生の動物は誰が教えたわけでもないのに、子を産み育て生きている。考えていたら頭がクラクラしてきた。
昨日より両親と喧嘩中。何だか、冴えない週明けを迎えた。

気持ちが晴れないと些細なことにも苛立ち、不快感を覚え、ネガティブ思考になってしまう。昼休み自室にこもり“これではいけないなぁ〜”とぼんやり思う。

穏やかな日を願いつつ、一週間が始まった。
今日は朝から某病院の休日診療。行くといきなり「コンピュ−タ−を導入したので今日から処方その他はコンピュ−タ−でお願いします」と言われた。思わず「そんなぁ!!」と言ってしまった。何の前触れもなく初めての機械をさらさらと使いこなせったって出来っこない。

以前のこの病院の事務課だったらありえないこと。こういうところはこちらが恐縮するくらい丁寧に対応してくれていた。以前からの職員がごっそり入れ替わり、対応が随分変わってしまった。とにかく診療がスム−ズにいく様に事務を一人横に附けてくれと希望した。憮然とする事務課の若い男性にやや切れ気味の私は「だって貴方だって初めての機械を渡されて『さぁ今からすぐ使いこなしてください』って言われても出来ないでしょ?大体パスワ−ドも知らせないでどうやって使えっていうの?こうやってネ−ベンに来る医者には予めアナウンスしておくのが常識でじゃないの。」

幸い事務の主任が以前からの職員だったので訳を説明しコンピュ−タ−の説明者をつけてもらった。せっかく細やかな良い医事課だったのに良い慣習はすぐに潰えてしまう。主任のSさんも手を焼いているようだった。「若い人がなかなか言う事聞いてくれなくって・・・そのくせ言い分は多いから困ります。」どこの職場も大変そうだ・・・

コンピュ−タ−問題も患者数が多くなかったこともあって大きな影響は無かった。多くの場所に行けばそれだけ多くの問題にぶち当たるのは致し方ないが、休日返上で来ているのだから受け入れ側も気を配ってほしいものだ。

疲れもあって早めの就寝。明日からの一週間に備える。

傾聴の大切さ

2005年7月2日 日常
午前診終了後、ある企画のため午後は市内の会場へ出かけた。このような草の根的な運動が日々の診療につながると思う。同じ悩みついてだが多方面からの見方があり、考えさせられる。傾聴し一緒に考えてあげる事こそ、私達の職業には大切だと思う。

終了後、市内のとあるホテルへ移動。Yが新しい家族と来福。顔合わせと称しての夕食を共にした夜。

恵み(?)の雨

2005年7月1日 日常
午後の合間をぬって伸びきっていた髪を切りにいく。でも駐車場がどこも満杯。“変だな〜”と思っていた所、はたと思いついた。今日はバ−ゲン初日だった・・・どおりで人が多いはずだ。少し早めに着いた事を幸いに自らもちょっとだけ気になるブテイックを覗く。紺色のピンストライプのス−ツが3割引。使いようによってはオ−ルシ−ズン使えそうだ。迷わず購入。

美容室に向かう時に思いがけず土砂降りにあう。久々の雨。でもヨリによってこんな日に降らなくっても・・・

カットが終わって外に出るとやや小ぶりに。“良かったぁ!”と思ったところこれが甘かった。駐車場にいくと黒山の人だかりになっている。一台一台コンピュ−タ−制御で出庫するシステムの駐車場であった事と出庫する場所が激混みの通りに面しているため、つっかえ状態になっているようだ。仕方なくトホホな小一時間を過ごす。

外はもう真っ暗。というか夜。今夜はある開業医の先生の納涼会に呼ばれていたのに思わぬ“雨”という伏兵にあってすっかり遅くなってしまった。しかもその納涼会も屋外でビアガ−デンの予定だったのに雨で中止、お座敷での宴会となってしまった。

実際は「恵みの雨」である筈なのに、なんか解せない。もっと生活に影響のない時間帯に降ってくれたらよいのに・・・少し厚かましいがちょっとだけ思った。

偽平穏

2005年6月30日 日常
相変わらず、快晴。一体いつになったら空は泣いてくれるのだろう?よっぽど楽しいことばっかりに違いない。少し羨ましい。

夜は開業医と勤務医の先生達と数名で食事会。美味しいお寿司を頂き、二次会は美味しいワインを堪能した。

自分の気持ちを誤魔化しながら日々を平穏に持って行く毎日。
最近、診療をしてふと思う事。男の子が赤色やピンク色、女の子が黒色や青色を着ていることが多い。旧式の時代の者としては、暖色=女の子色、寒色色=男の子色のイメ−ジがある。今は生まれてくる赤ちゃんの性別は両親が希望すれば教えてくれるそうだが、判らなかった時代には無難な黄色や白色が(いわゆるどちらでもOK)よく売れていたらしい。

ジェンダ−フリ−・・・最近よく使われている。小学校でも男子女子一緒に混ぜて出席簿を作ったり、「男の子だから・・・しなさい」「女の子だから・・・しなさい」と指導するのは好ましくないとされているようだ。だからランドセルは従来の男子は黒、女子は赤とは決められておらず、あるメ−カ−は黄色や緑、はたまた紫のランドセルなるものまで作っている。

「男性らしく」「女性らしく」・・・これってそんなにいけない言葉でしょうか?

頭が固いのかもしれないけど、若い女の子がスカ−ト穿いて大股広げて座っているのって、いくら顔が可愛くたってちょっと幻滅しません?すっごくイケメンの体格のよい男性が膝をそろえて、しかも横流しにしていたら、しびれます?何か違和感って気がしませんか?

戦前のような男尊女卑を奨励なんて絶対にしないし、むしろ男性と肩を並べて働く職業に就いた。でもだからといって同僚の男性をつかまえて「おい、○○」なんて呼び捨てにしたりはしない。大学入学したての時に同級生の男子が私に向かって「Azure」と“さん付け”なしに呼んだので「呼び捨てにしないで。私はちゃんと“君付け”で呼ぶでしょ?」と言い放ち、驚かれた事がある。その男子は「女子は男子よりも下」という考えの元、育ったようだ。(ちなみにその彼は後にも私の地雷を踏んだ。『ねぇねぇ、何で医学部来たの?』と聞くから『家業を継ぐのが私しかいないから』って答えると『え〜っ!女の子なんだから女子大にでも行って婿養子の医者と結婚したほうが良いよ〜』とぬかした事があった)結構、私の業界って男尊女卑が残っているんですよね〜(苦笑)

ジェンダ−フリ−って「男らしく」「女らしく」を無くすのではなく性別にとらわれず「一個人」として相手と向き合うって事ではないのかな?

嫌いな言葉の一つ“女は子宮で物事を考えるから困る”
感情的になってヒステリ−起こして冷静に物事を考えられないという意味合い。まず一つ。男性方、貴方達諸君もその“子宮”で育ったんですよ。その育った場所を冒涜するのは許せない。そして二つ目。女のヒステリ−よりも男のヒステリ−の方がたちが悪くって見っとも無いって知ってました?女性はヒステリ−起こしながらも、ある一点で冷めた部分があったり、その後の展開を計算してたりする。でも男性のヒステリ−は訳判んなくなって、頭の中真っ白、周囲は目に入らず。“子宮”持ってない男性諸君、がそもそもいえる立場ではないのですよ。

人と人との関係を創っていき、初めて成り立つ私の職業。お互いの一個人を大切にしていきたいと思いつつ、診療に取り組む。失敗もあり、悲しみ、怒りもある。それでもほんの一握りの成功や嬉しさ、喜びを大事にしながら前を向いて人生を突き進みたい。
一仕事終えた後、以前から予約していたエステサロン「S」に行く。年が明けて周囲の状況がやや変わったため、今年になってからあまり利用できていなかった。久しぶりのボディコ−ス。

夏前ということで全身のゴマ−ジュ。簡単に言うと垢すりみたいなものだ。特徴的な香りの中、身体から消しゴムカスの様なものがポロポロと出てくる。「毎日洗っててもこれだけ出るのだから、時折救急病院でお見かけする路上生活者の方はもっと凄いのだろう・・・どのくらい出るのかな?」とちょっと下らない事を考えてしまった。そのうちに睡魔に襲われる。

施術の後はシャワ−で流し、オイルマッサ−ジ。エステティシャンから「力加減は如何ですか?」と聞かれ、「もう少し強くてもよいです」と答えてしまった・・・。

このエステティシャンの人は新人さん。なんだかとっても真面目そう。ということで私の希望に応えるべく猛烈な力でグイグイ揉まれる。台湾マッサ−ジ状態・・・でも一所懸命している彼女を見て何もいえずグッとこらえた。

帰る時に「如何でしたか?」と聞かれ、彼女の真摯な態度を見ていると何もいえず「気持ち良かったですよ」と答えてしまった・・・でも嬉しそうにしている彼女を見て“まぁ、仰け反るほどでもなかったし・・・”と思った。きっと良いエステティシャンになってくれる筈。

気合を入れて

2005年6月27日 日常
週末は和ませてもらったが、風邪を引いたらしく少し喉に違和感を覚えた。ホテルの部屋の空気が乾燥していた事と、渋谷でジトッとかいてしまった汗の後、空港・飛行機などのエアコンが効いた場所にすぐ移動したのがいけなかったようだ。

医者の不養生といわれぬよう、心も体も引き締めていこう。
今日はゆっくり花のお江戸を満喫・・・とまではいかないが、ある目的のため渋谷に出向く。幸いホテルから近いため今回の訪問となった。

渋谷駅から向かう先に電話を入れ、場所を確認する。ここまでは順調だった。でも、まず始めに確認する目印のかの有名な“ハチ公”君がわからない!!キャリ−バックをゴロゴロし怪しい人に当たらない様用心しながら歩き、そしてめちゃくちゃ熱い!!汗がダラダラ・・・まだ6月で、しかもノ−スリ−ブなのに!?

やっと見つけた肝心の“ハチ公”君、想像と大きく違い超小さい・・・

後から考えるとそんなに遠くない距離であったが、不慣れな場所と人酔いで不安が増強し、お店に到着した後で気分不良となり吐いてしまった・・・情けない田舎者。でも絶対江戸には住めねぇなぁ〜(当たり前)

目的を果たした後は速やかに退散。一路、空路で家路に着く。

懐かしい時空間

2005年6月25日 日常
何故か、今週末も東京で研究会。先週はひどい目(眼)にあったが今回は何とか大丈夫そう。午前の便で一路東京へ。会場は初めての六本木ヒルズ。

とにかく移動が大変(私にとっては…)!大体JR山手線で事を済ますことが多かったが、今回はなんと!地下鉄を利用しなければいけない。あの地下鉄の路線図を見ただけで吐き気を催すのは私だけだろうか・・・でも頑張らねば。一所懸命、路線と睨めっこしシュミレ−ションする。

そして・・・
やっと聳え立つ六本木ヒルズ“Mビル”29Fの会場に到着〜。

今回の研究会はいわゆる“研究系”の先生たちのお得意な分野。でも一番最後の演題がとても“臨床的”な話題だった。

「ふむふむ・・・」と納得をさせられて懇親会会場に向かう。でも何故か私の地域からの参加が少ない・・・よく見れば私の知っている先生といえば、世話人のF先生と私のお師匠先生のK先生だけだった。聞くところによると様々な事情で幾つもの学会や研究会が重なって参加者が少なかったとの事。でも、そのおかげで久しぶりにK先生と懇親会後、同席することが出来た(嬉)。

数年前(かなり前)、こうやってK先生と私は連れ立って学会・研究会と参加した。ずいぶん後輩の未熟な私をK先生はとても嬉しそうにご自分の知ってある様々な高名な先生に私を紹介してくださった。出来の悪い私はあまりお褒めの言葉に値する弟子ではなかったがK先生の元を離れた後も、いつも私を見かけられると必ず声を掛けてくださっていた。

今夜はそんな懐かしい時空間だった。会話を交わし握手をする。K先生の懐かしい仕草だ。今ではお孫さんもいらっしゃるのだが、いろんな話題に熱く語られる。まだ研修医だった私が初めて東京の学会に来たときもK先生と一緒だった。そして新宿の片隅で酔っ払った時と同じ“熱く語り、大いに笑い、固く握手する”だった。

K先生をお送りし、ホテルの部屋で一人あまりの懐かしさに思わず嬉し泣き・・・

何かが・・・

2005年6月24日 日常
澄み切った空に明るい日差し。梅雨とは思えないお天気。快晴が続くと本来嬉しいものだが、我が街はそうとは言い切れない。先日の地震はさておき、唯一の天災「渇水」が懸念されるからだ。働き始めてこの渇水による給水制限を受けた時期があるが、どうにもこうにも不便極まりなかった。軒並み飲食店の売り上げは減り、我が街自体の活性にも大きく影響する。だから梅雨は梅雨らしくきっちり降って頂きたいものだ。

今週は10代の事件が相次いだ。親を殺し、兄弟を殺す。日本はいったいどこへ行くのだろうか?産科領域では出生直後に“カンガル−ケア”なるものを発案し実行している施設も少なくはない。でも以前は全くしていなかったことだ。陣痛と言う辛い痛みの後に我が子を得たことで、十分に母親としての愛情を注げていたはずだ。でも今はどうも違うらしい。私はまだ我が子を得てはいないが、将来もし我が子を得ることが出来たならば、母が私に注いでくれた愛情をそのままそっくり我が子に注げば良い事だと思っている。「実際、親にもなっていないくせに…」と陰口をたたかれようが、今の私にはそれしか言えないし、その時代や私と私の子の性格などに合わせて母親の愛情をアレンジしていくしかない。

「昔のように大家族じゃないから子育てを教える人が居ない」という理由でさまざまな子育てサ−クルやご教授本が増えている。でも“母親”というのは突然なるわけではない。10ヶ月という予習期間があるのだ。そして以前は確かに年上のおばあちゃんたちが教えていたかもしれないが、それ以前に自分が注がれた母親の愛情を思い出すべきだ。人から何を言われようとも自分の母親像が一番の教本なのである。

でも悲しいことに今の時代にこの考えは当てはまらない。「自己中心的」「我が身さえ良ければよい」「子供の犠牲になりたくない」「親としての自分よりも一個人としての自分が大切」そんな考えが根本にあるのだろうな…と思わせる人達があまりにも増えてきた。

毎日繰り返される報道に悲哀を感じてしまった。
案の定、二日酔い。

今夜は、というか木曜日の夜は用事が出来てしまった。まったく外出できないわけではないが、やはりリアルタイム。なるべく家に居て用事を済ませたいところ。

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