痛くない足希望

2005年10月23日 日常
朝6時30分に起床。“今日は○×病院の日勤かぁ〜”と思って朝の準備をしていたら母が「あら?どこいくの?」今日は○×病院と答えた所、即座に「来週よ」と言われた。落ち着いて考えたら・・・「あ〜〜〜ッ!!そうだった〜〜」
朝寝が出来たのに・・・とても損した気分。クシュン凹・・・

雑用を済ませてちょっと午睡zzzまどろんでいたら枕元の携帯が着信のブルブル。電話にでて一言二言話した時点で「今、寝てましたね」と掛けてきた相手からご指摘が!!ちょっと恥ずかしい・・・

電話が済むのを見計らったように母が靴を買いたいから市内のデパートまでついてきてほしいとの事。休日の市内は人出が多いので少し眼が悪い母は一人が嫌だと言う。滅多に無いお願いでも有り、お供する。母は外反母趾のため、履ける靴が制限される。本当はがっちりサイドが緩まないタイプが良いのだろうが、言っても聴く耳持たず、頭ッから老舗「Y」の木型が合ってると思い込んでいる。

「昔は結構高いヒールのパンプス履いていたのに・・・や〜ね、難儀な足になっちゃって。」と色取り取りで様々な形の靴を見てややため息ばかりの母を見ていたら少し可哀想になった。大体母の趣向は解るので、母をいつでも試着できるように椅子に座らせて代わりに合いそうな靴を探した。結局、3足ほど足が痛くない靴が見つかり、もう1足は違う色で希望サイズをお取り寄せと言う事になった。

帰宅途中の母を見ていると心なしか嬉しそう。外を動くための靴はとても大事。何はともあれ、当分は痛い思いをしないで良さそう。良かったね・・・!
少し気温が下がったためか、嘔吐や下痢などの消化器症状が増えてきた。軽ければそうでもないが、頻回になってくると顔色も悪くなり見た目にも辛そうだ。

嘔吐と下痢の症状が強くいかにも「嘔吐下痢」という児の親に「嘔吐下痢症または胃腸炎、いわゆる『お腹の風邪』でしょう」と説明すると今までの大抵の方は納得されるが、最近はちょっと反応が違う。
「食中毒じゃないんですか?」とよく聞かれる。周囲に同じ症状の方はいるかと問うても答えは「いない」では違うのではというと「学校の給食とか・・・」と言われる。クラスメイトに同じ症状の児童がいるかどうかの問いには「わからない」

私にはこのような質問をされる親御さんたちの頭の中が「わからない」。どうして頻度の低いものを懸念するのだろう?学校や家の中で同症状がいればともかく、圧倒的に頻度の高い“嘔吐下痢”じゃ納得しないのだろう?

問診表に「タマゴアレルギー」て書いてあったら「タマゴ=鶏卵」と考えると思うのだが、先日の人は実際のアレルゲンは何と「イクラ」だった。

書いた親の言い分は「だって『イクラ』も『タマゴ』じゃないですか!」・・・確かに“鮭のタマゴ”だけど。でも10人中99.9%は「タマゴ=鶏卵」と思う。「タマゴ=鶏卵」って駄目なのぉ〜

頭がクラクラ。頻度の高いものから思いつくって、通用しないのかな〜?う〜ん、不思議ワールド。

残りの1/4

2005年10月21日 日常
朝から遠出のネーベンでM市に向かう。陽は明らかに夏のそれとは違ってきた。柔らかい日差し、そして涼しいから肌寒いに移行しかけた秋の空気に包まれる。

来月にあるサザンのコンサートの予習中。車の中は「キラーストリート」が全30曲が満遍なくガンガンにかかっている。以前、日記にも書いたが、桑田の歌詞が少しずつ優しくなってきている。「C調言葉に・・・」の頃と比べると格段に違う。でもやはり桑田特有の「エロ」は残したいらしく、随所にその足跡だけはみられる。そんな楽しみ方もまた有り(笑)。

DISC-1 12曲目にある「LONELY WOMAN」確かCMに使われていた。歌詞をよく聞くと去年の秋からの私の一年のようだ。少しだけ、思い出されて何ともいえない寂しさに包まれそうになる。でも振り返らないと決めたから、「包まれる」だけで「身体の中に入り込まない」ように寂しさに向き合う。

いよいよ後半の1/4。歌詞は転調して前向きなものになる。「哀しみ」を乗り越えると、どうやら素敵な贈り物があるようだ。私の将来には一体どんな贈り物が待っているのだろう。神のみぞが知りうるその“贈り物”。

夜。澄みわたった漆黒の空の下、再び想う。

心地よい

2005年10月20日 日常
夜勤明けの空の色が随分と変わってきた。丁度、太陽が雲の間から見えそうで見えない、そんな薄明るい朝空。何となくアンニュイな感じ。

ジリジリと肌を刺すような日差しはどうも苦手。柔らかな光に変化していくのが心地よい秋の朝。

カタツムリ

2005年10月19日 日常
産科の健診に行ってやはり一番怖いのは新生児室のベビーに何かが起こること。出産はあくまでも病気ではないので“無事に出産”が当たり前。いくら自然分娩とはいえ、何が起こるかわからないし、母体と新生児の二つの命を同時に管理するわけだから、産科の先生も緊張して臨んでいる。

赤ちゃんというものは、生まれた体重よりも母体に存在した週数が大事である。だから外観は大きくて3000gを超えていて36週で出生したベビーと2500g以下で40週で出産したベビーとどちらがトラブルが少ないかというと、後者なのである。40週という予定日までの期間が人の誕生後に大切かという事がわかる。

このような事実を裏付けるような事例を診てきて改めて人の身体というものは、本当によく出来ているものだと感心させられる。

自然に起こりうることを曲げてはいけない。それがどのような結果を我が身にもたらしたとしても、静かに享受しなければいけない。そう思う今日この頃。

でもそう簡単に出来ないのが自分自身ということが、情けなくも有り、人間くさいとも思える。少しでも精進。カタツムリの速度でも良いから幸せに一歩ずつ進めよう。

色を・・・

2005年10月18日 日常
日増しに秋の気配が深まる。山の木々も綺麗に色づいてくる季節。こんな時には四季のある国に生まれて良かったと思う。一年中、一定の気温や風景に囲まれていたら、色とりどりの自然のインテリアに囲まれる事は無い。

色といえば、私はよく着る洋服の色として紺・黒・茶・カーキ・ベージュ・グレーといった抑えた色をよく選んでいた。顔立ちが地味なので華やかな色を着衣に使うと負けてしまうと思っていた。

一昨年くらいからだろうか、気分転換に少しビタミンカラー的な色を取り入れるようになった。オレンジ・黄色・緑など挿し色で使うととても気持ちが華やかになる。少しウキウキしたり表情も自然にほころぶ。

秋の紅葉はそんな気持ちにもさせてくれる。だからこそ、行楽の秋。色を愛でる素敵な季節を楽しみたい。

くちばしの色

2005年10月17日 日常
医師は「病気を治す人」ではない。「病気が治るのを手助けする人」であると私は思っている。「治す」ための主人公は、患っている本人だ。

医師は崇高な存在でもなく尊大でもない。ただ人の身体やそれに関連した疾患について他の人よりも余計に知識を持っていてそれを駆使して薬を処方したり、処置を施すのである。

また医師は「教育者」でなければいけない。この疾患に対してしてよい事や病気の予防法、健康維持法などを一般の人に教える義務がある。しかし、そのためには相手に耳の痛い事、苦言を言わざるを得ない事もある。

以前の人達は「苦言」に素直に耳を傾けてくれ、その指示を仰いでくれた。しかし現代は「苦言=嫌な医者、怖い医者」「甘言しか言わない、何でも言うとおりに許してくれる=良医」となっている。

私は敢えて苦言を言う。しかし、今までのように頭ごなしでは相手も耳を塞ぐ。「北風と太陽」のように口調をやわらかく、相手が少しでも耳を傾けてくれるようにして、やんわりと“苦言内容”を伝えている。

私はまだまだ嘴が黄色い。黄色味に円熟味が加わった時、一体どういう嘴の色になるのだろう・・・

同業者として

2005年10月16日
昨日のWitch様のBLOGを読んでいて、同業者として恥ずかしく思った。今の時代、これだけ“説明”に重きを置き、患者さんの了解を得てから治療を行うのに、それが全然なされていない。

医師と患者の間に「信頼関係」があってこそ、成り立つ治療や検査。当然、医療サイドがいい加減な事をすれば、相手にもそう伝わる。“医師の傲慢”の元にこのようなズレが生じ、医師の言葉よりもインターネットやテレビの情報を信じる風潮を作ってしまった。

このような悪しき態度を反省していかねばいけないのに。残念ながら、悪しき態度を続ける医師もいる。ヒヤリハットも含め、すぐぬ責任転嫁をしようとする考えを、今の日本人は是正していかないと必ず、滅んでしまう。

「人の振り見て我が振り直せ」反省し、勉強になりました。

華やぐ週末

2005年10月15日 日常
朝から途切れなく患者さんたちが来院。結局13時までトイレに1回立ったきり。気温差があるので体温調節が難しいためだろうか、発熱や咳、下痢などが多く見られる。

午後に部屋の片づけをしていると研修医終えた頃の写真が出てきた。TDLの慰問があった際にミッキーと一緒に写った写真だ。自分ではそんなに変わっていないと思っていてもこうしてみるとやはり、あどけない以前の私。着実に老けている・・・と微妙な気持ちになった。

夜は久しぶりに大好きなイタリアン「ビ○」で夕食。華やいだ夜を過ごした。
来月のコンサートに向けての予習としてサザンの新譜2枚組み「キラーストリート」をガンガン聴きながらネーベン先へ向かう。心なしか、桑田の歌詞が優しいものに感じるのは私だけだろうか?デビュー当時より、随分垢抜けた桑田夫妻。人は立場が変わると顔つきまで変わってしまう。

相手を大きく傷つけ突き飛ばした人間は、いくら要職に就こうとも、顔つきは決して要人の貌にはなれない。そういう人を私は憐れに思う。

絵画のマリア像や観音様のお貌立ちは、非常に「柔和」だ。見ていると心が休まる。そんな「顔立ち」になれるよう努力しなければいけない。

あと好きな顔立ち・・・水族館の「スナメリ」。一日中いても飽きない。だって“ニコニコ”してるんだもん!!

深まる秋を・・・

2005年10月13日 日常
庭の金木犀が香るようになってきた。秋も深まってきた、そんな気配。週刊誌や婦人雑誌では秋の紅葉特集のグラビアが掲載される時期。食事に行っても栗や茸、柿、梨など秋の味覚が揃っている。

日本には四季がある。四季があるからこそ、楽しめるものがある。でも昨今は、何とかしていつでも手元に入手したい日本人が多い。意外性を求めるのかもしれないが、やはり季節ものを一年間待って手に入れた時、頬張った時の喜びは何物にも変え難い。

少なくとも季節物を知っておく。四季を味わえる日本人の特権を生かさなくては・・・
今年の秋は去年の分も足して十分に味わい、楽しみたいな・・・

鎮魂

2005年10月12日
文科省が3歳までに「愛情形成を」と提唱した今日、3歳で母親から餓死に追い込まれた事件の結末を迎えた。

21歳の母親は12年の実刑。検察の求刑は14年だったそうだ。「罪を償い早く出所してお墓参りに行きたい」との母親のコメントだったそうだ。

食べ物を与えずに死に至らしめる、しかも3歳の幼児を我が恋人と一緒にいたい・子持ちだとわかって嫌われたくないという野性の動物にも劣る欲望で行った極悪行為。

12年で何がわかるのか?お墓の前で手を合わせたらそれで罪は償ったと言えるのか?刑期を全うしたらそれで終わりなのか?以前にも書いたが決して自分には向けられなかった母親の嬌声を耳にしながら人生を終えた3歳の女児。でも「いつかはママが私に声を掛けてくれると最後まで信じていたのだろうか?

オムツがもったいないと古新聞の上で汚物まみれで見つかった我が子を見て何も思わなかった母親は12年で改心するのだろうか?

どうしたらよいのか、私にも解らない。ただ大人以上に母親の愛を必要とする年齢でこのような形で短い人生を終えたこの女児。
ただただ、胸が痛くて私は堪らない。二度と起こしてはいけない事例の一つ。どうか安らかに天国ではご飯をいっぱい食べてお友達がたくさん出来ると良いね。合掌。

磨きに専念

2005年10月11日 日常
連休明けのためか、異常なまでに来院者が多い。結局、昼休みはなし。幸い午後からは父親が診る曜日であるため、タッチ交替。

午後は久しぶりにエステへ。ローズマリーのオイルで全身くまなくリンパマッサージ。ここだけ読まれると「開業医って優雅なんだ〜」と思われそうだが、毎週真夜中に働き、月に2度日曜日は休日診療で昼間はつぶれる。結構、労働時間は多い筈。今日のような時間が持てなきゃ、“真夜中のお仕事”やってらんない。

終了後、最近お気に入りのセレクトショップを覗く。私は春や夏のファッションより秋冬のファッションが好き。春はパステル系が多いが秋は深みのある色が似合う。品数はあまり無いが、品質の良いものが置いてある「S」目に付いたのはコート。黒のロングコートで「RAMO sports」だ。トレンチだが裏地もしっかりしていて、防寒としても実用的だ。値段を見て「う〜ん」と悩むが、もう今季はコートを買う予定はない。ワードローブにはないアイテムなので思い切って購入。来月から活躍してくれそう。

自分磨きに専念、専念・・・綺麗にならなきゃ!

セピア色

2005年10月10日 日常
白黒写真が古くなると綺麗ななセピア色になり、ノスタルジックな思いに浸れる。セピア色はそんな“想い”を呼び覚ます色。

写真がカラーになった今、自然なセピア色を見かける事はもう無いのかもしれない。人工的なものはあるにしても・・・

心に傷を負うと大なり小なり、その傷がヒリヒリと痛む。傷口の大きさではなく、その深さだと思う。澄んだ信頼を踏みにじられた私は、かなり落ち込んだ。世の中に“信じる”と言う言葉は存在しないのかとも思った。

家族や友人達が支えてくれても、“悲哀”に“慟哭”“厭世”“悲壮”に引きずり寄せられる。引きずられながら、このまま身を任せたらが自分にとっては良いのだと錯覚に陥る。対岸で必死になって家族や友人達が私の名前を呼んでくれている。大きな声で何回も何回も・・・連呼してくれた。

呼び返された私・・・そんな私にゆっくりと自然治療が施された。“時間”と言う薬。時間は皆平等に訪れる。そして、まるでカタツムリが歩くかのようにゆっくりゆっくり、人の心に働きかける。

思い出は心の白黒写真。時が経てばやがてセピア色になる。思い出が心地よいものであれば綺麗なセピア色、思い出したくも無いものであれば、きっとそのうち風化してなくなるであろう。

道路や宅地の開発でその風景がかなり変化する事がある。面白いのは、おぼろげながら以前の風景を思い出せるのだが、実際に何があったか即座には言えない。人の本能として未来を重点的に見ていこうという物なのであろう。

これからは綺麗なセピア色だけを集めたい。でもきっと神様は苦しみ流した涙の分だけ綺麗なセピア色を下さるであろう。

秋の休日

2005年10月9日 日常
空高く抜けるような青空の元、医師会のレクレーションで某会場に応援に行く。去年より幾分涼しいが、やはり日差しは10月のそれよりは強い。木陰に入ると海風が吹いてきて、心地よい。

秋の休日。穏やかな、健康的な休日を久しぶりに過ごす。

どんな立場でも

2005年10月8日
今夜はある開業医のお宅で地域の機関誌の編集会議。開業医になり、医師会に入るとこのような役割を仰せつかったりする。

大学病院の後輩の中には開業医の子息もいるが、継承を非常に嫌がる者もいる。一開業医になってしまうと研究的なことからは遠ざかり、稀少症例に出会う事も少なくなる。「鼻風邪専門は嫌だ」というわけである。

数年前から私はその「開業医」である。診る疾患は所謂風邪その他一般的な疾患が殆ど。「つまらない」とは思わない。私自身この職業を選んだ時に将来は家業を継ぐという思いがあった。またそれが私の使命だと思っていた。だから開業医になるのも何のためらいも無かった。

大学病院で医療の最先端を突っ走るのも良い。研究や救急疾患に身を費やし、得た結果に充足感を覚えるのも良いだろう。でも地域の人たちの健康管理を含めた地域医療に身をおくのも悪くない。一所懸命治療した後に「よくなりました」と笑顔を向けられるのも、なかなかの“慶び”だ。

どういう立場にいても私は「医師」。目の前にある事や自分に課せられた医師としての業務をこなす事、それが一番大事。

狂気に負けない

2005年10月7日 日常
狂気だ。全く持っておぞましい。涙がでた。

絶対に顔はあわせられない。あわせたら最後、牙を剥き出して“生き物”は噛んでくる。心身をなくしてまでこの“生き物”に対応したくない。

強く訴え続けた。平均台の下に潜んでいた“生き物”はどうやら取り除かれそうだ。でも油断は出来ない。事の顛末をはっきり確認しなければ・・・
今日は一日自宅。季節柄、喘息は多くはなってきているが新薬の開発や在宅吸入器の普及などで随分その数は減ってきた。そのかわり、乳児喘息が増えてきている。

次第に夕方になり明日の事をひとり危惧する。明日の午後行く病院で、3月下旬に“おぞましい生き物”に遭遇した。本来の経過ならその時点で終了した筈だった。しかし性質が悪く半年後また“それ”はやって来ようとする。ひっきりなしにアポイントの電話をしているようだ。

明日には来ないのだが、アポイントの電話を一体どうするか・・・それをスタッフと検討しなければいけない事すら心に重くのしかかる。心悸亢進と期外収縮が頻発してきた。

明日の予約の患者さんが待っている。行かなくてはいけない。こんな事で負けてはいけない。でも今はようやく心の平穏を取り戻しつつある時期。ここで無理をしてまたグラついたら・・・細い平均台を歩くような今の私。歯を剥き出してニタリと笑っている“生き物”が見えてきそうだ。怖くて堪らない。どうして・・・

平均台を落ちないようにしなければ。きっといつかは幅が広がる筈のこの平均台。しがみついてでも落ちちゃいけない。

戸惑う日々

2005年10月5日 日常
産科で1ヶ月健診をしていると、赤ちゃんの服や母子手帳からタバコ臭がすることがある。やんわり“突然死”などを絡めてやんわり注意するが、聞いているほうは何処吹く風といった所。

育児に関してのアンケートで「子供を可愛くないと思うことがある」に結構○が付いている。垢だらけの皮膚や青い鼻汁の鼻栓で口呼吸していても母親の爪はキラキラネイルアート。

「あ、この子達、父親違うから」と普通に子供を指差してニッコリ微笑んで言う母親。

“子はかすがい”なんて死語に近く来ている昨今の日本社会。小児科医として何をすべきか、戸惑いの毎日。
先日購入した江戸川乱歩賞作品「天使のナイフ」。滅多にハードカバーで買わないのだが「『13階段』と肩を並べる位の評価」と書いてあるからには手に取らざるを得なかった。久々にドキドキする。

いずれにしても“更生”に関連したストーリー。広辞苑で“更生”を引くと?生き返ること。よみがえること?反省・信仰などによって心持が根本的に変化すること。過去を清算し生活態度を改めること。となっている。少年犯罪が絡んだこの小説にとっての意味はもちろん?。

宮部みゆき氏をはじめ「巧いミステリー作家」と言うのは実に多彩な登場人物の心理描写が長けている事が条件の一つと思える。文体で群を抜いて好きなのは、やはり宮部みゆき氏。内容はかなりグロテスクだったりするのだが、非常に優しい文章ゆえ、血の臭いが全くしない。しかしその時代背景を巧く巻き込み、作品を仕上げている。時代を取り込むのが巧みと言えば松本清張氏だ。戦後の20年〜40年代の高度成長期を利用し、時代にあった作品がどれも評価されている。

人は変わる。文明も変わる。生活背景も変わる。そしてその時代時代の素晴らしい作品が生まれる。

法律は人が頭をつき合わせて考えて出来上がる。だから、時代によってその法律は変化していく。特に少年犯罪の増加、極悪さ等から昨今の法律で一番変化したいえば「少年法」であろう。被害者の気持ち、加害者の気持ち。そして双方の家族の気持ち。その犯罪の内容により随分異なるであろうが、その感情は計り知れないものがあると思う。

でも一つだけ変えてはいけない法律。それは憲法第9条。唯一核体験国日本だからこそ、いえる平和憲法。戦争を知っている人は年々減ってきている。テレビの映像で見る今のイラク戦争などは見る子供によってはゲームのように思えるかもしれない。

「知らない」と言うことは恐ろしいことも意味する。読み進める途中、ふとそう思った。

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