昨日働いてきてクタクタになったところへある一本の電話。私が取ると妙に親しげに
「あっ、○○(私の下の名前)先生ですかぁ?」
と男性の声。この喋り方、トーンは聞き覚えがある。もしかしてと訝しげにそうだと答え、「どちら様ですか?」と問うと、
「私、××企画△△という者ですが、厚生労働省が打ち出した研修医案等で昨今の医者不足に対するご相談や、女性医師の職場復帰等の問題を解消すべく、日々お忙しい先生方にこのようにしてお電話を差し上げています。」
と予想とは違う事を言う。“あれっ?例の業者と違うのか?でも声のトーンは似ているんだけどな〜?”と黙って聞いていると
「そのように現場の医師不足の背景には一人一人の医師の労働が過重になり、本当に先生方は休む間も無くお大変かと思います。健康の面でもついつい無理をなさってはいませんか?」
歯が浮きそう…と思いつつ黙っていた。
「そこで私達はそんな先生方のお手伝いという訳ではございませんが、貯蓄の管理や今では将来受け取れる生命保険というのもありますし、そういったご相談にさせていただければと思い、お電話いたしました。」
“やっぱり!!”(勘はあたったぞ!)
「そこで先生方には一切手出しがなく、また税金対策にも非常に有効な不動産投資がございまして・・・」口調がヒートアップしてきたところで
「もう十分に用意していますので結構です」
と答える私の返事をさえぎりつつ
「あの私達はですね・・・」とまだ言い募る声を聞きながらガシャンと切った。   ムカつく〜!!

この手の不動産勧誘は以前から多かった。最近は殆ど無かったがいわゆる都心のワンルームマンションのオーナーにならないかというものだ。何にもしなくても家賃収入があるし、節税にもなるというのが売り。だけど“うまい話には裏がある”というように何か落とし穴がありそうでハナから無視している。

勤務医だった頃、この種の電話がひっきりなしにかかってきたことがあった。しかも友人を名乗ったり、「○×病院の△□ですが」などと言って取り次がせたりと悪質極まりないものとなってきた。その度に
「あなたは△□先生じゃないんですか?そんな偽名を使うような人と話す必要はありません」とガシャンと切っていた。いつも不快感だけが残った。

当直の時間帯を狙ってかけてきたり、もう我慢ならなかった。他の医師たちも同じ目にあっている。この手の業者は喋り口が非常に似ている。だから冒頭私も疑ったわけであるが、ある医師は「例の喋り方ですぐわかるから返事もせんと、すぐに切る」と怒っていた。しばらく私もそうしていたが、よく考えるとすぐに切られると相手方にはあまり電話料金がかからない。ということはあまり損失が出ない。こちらは不快な思いをさせられているのに何か不公平・・・!!(怒)

そこで私が考えた戦法。相手がここぞといわんばかりにこちらの返事も聞かないでまくし立てるのを利用して、電話をそのまま放置を放置することにした。
案の定かかってきた時に早速試してみた。まず1分間放置。受話器に耳を当てるとまだ喋っている。3分間放置。ええ〜っ!ビックリ!まだとうとうと述べている。5分間放置。続く、続く。でも馬鹿馬鹿しいな…と思ってカルテ書いてたら切れていた。

そんな仕事もせざるを得ないのだろうけど、なんかむなしいというか。偽名騙ってまでもしなければいけない仕事って、一体どうなのかな?一度あんまりしつこいから「そんなに良いお話なら、まずあなたがなさったら?」と言ってみたら急に口籠ってトーンダウンして切れちゃった。でもオレオレ詐欺じゃないけどマニュアルがあるようで、次にそう言ったら「内部の者は出来ません」と言いかえされた。敵も然る者。

だから放置が一番。でも本当は掛かってこない事が一番かな〜。
少し、疲れてきた。今日も休日日勤。

心臓がドコドコするのが多かったりすると、やはり不安がつのる。何となく秋に近づいてきたからか・・・あの“オゾマシイ生き物”とまた遭遇するのか?という気持ちがそうさせるのか・・・

とにかく今週も頑張らねば・・・
朝から話題の人「ホリエモン」氏と「造反下駄」氏とのくだらない“おしゃべり”があっていた。もう“討論”の域からはかなり低いレベルに来てしまっている。政治知識の無い「ホ」氏につられるように「下駄」氏もどうでもよいような次元に落ちちゃっている。普通の人オーラに満ち満ちてきた「下駄」氏。少し気の毒になった。痛々しいよ、全く。

M党の「三白眼」氏も相変わらず重箱の隅をつついたような反対意見しか言わない。同じ党の「眉の薄い腹黒」氏は何も言わずに様子伺い。相変わらずズルイ。

北の「疑惑のデパート」氏。講演会で実の娘まで借り出して応援演説させている。そして「893フォーク歌手」氏と新党つくちゃった。しかもベタな名称。

それぞれにキャラは濃いのだけどね〜
せいぜい悔いの無いように頑張ってくださいな。

無邪気な笑顔

2005年8月19日
朝から西へ南へそして東へと縦横無尽に走る、走る。

今夜は以前勤務していた病院の看護師Hさんと久しぶりの会食。出会ってからもう9年経っている。今は現場を離れての仕事場だが忙しいようでなかなかお互い時間がとれず、久々の再会となった。
本当は「Hさん」なのだがどうしても旧姓の「Tっぺ」で呼んでしまう。なんとなく「Tっぺ」の方が呼び慣れているからかもしれない。

とにもかくにも久しぶりということで大盛上がり。「う○○○ら」の店長Mさんにも「Tっぺ」で紹介してしまった…(苦笑)
気の置けない友人と過ごす時間は私にとって大切な時間。邪気の無いお喋りは何者にも変えがたい癒しの時間。

「Tっぺ、今夜はありがとう…」と心の中で呟く。ウンッ!?またもや旧姓で呼んでしまった…ごめんねK君(=Tっぺご主人)。

花咲く思い出

2005年8月18日
お盆のお参りも兼ねてYが来福。そして今月はYのお誕生月。少し早いがお誕生祝いと称してささやかな宴をひらいた。

顔や性格は父とYはよく似ている。そんなこともあってか、父は特に嬉しそうだった。父がまだ大学の医局員として在籍した頃、各県の出張病院時代を一緒に過ごしたY。昔話に花が咲いた夜。

のらない・・・

2005年8月17日
今週は何か自分でも違和感がある。気持ち的にヘン。

眠りも浅いようだ。よく夢を見ているようなそうでないような「まどろむ」ことが多い。

何かしら気分の乗らない日が続く。周囲に気取られないようにしなければ・・・

残暑を迎える

2005年8月16日 日常
今日はお盆明けの日。来院数が多いといってもそこは夏枯れ時期、そんなには居ない筈・・・と思っていたら甘かった。
何がどう流行っているわけでもないのに、カルテがずんずん並んでいく。おそらく他の病院が休んでいるのもあるのだろう、やたら新患が多い。

新患にはやはり時間がかかる。問診は既往、現病歴ともに大事なもの。手が抜けない。よっていつも以上に披露困憊。

お昼休みもろくに取れないまま午後へ突入。またしても午前の再現。夕食時にはものを食べるのも億劫になってしまった。

張り切って残暑を乗り越えなくては・・・
今日は終戦記念日。戦後60年にもなった。父は60年前の今日、玉音放送を聴いた人だ。やはり泣いたそうだ。同じ戦前派でも母は違う。北京に居た為、戦争の物資不足は体験しなかったそうだ。しかも玉音放送も聴いていない。そのかわり引き上げ船に乗るときに「あぁ、日本は負けたんだ」と初めて認識したという。

いつも話題の「靖国参拝」。今年は首相は行かないようだ。やはり来月の衆院選が気になるところか・・・?

朝からテレビで衆院選について色々な論争があっている。でも何故か薄っぺらく聞こえてしまう。表現があまりにもワイドショー的過ぎる。どうして普通に「対抗馬」「対立候補」と言わなくて「刺客」なんだろう?そのほうが面白いからか?その「刺客」が女性が多いから「くのいち」なのか?大事な選挙なのにマスコミは馬鹿にしている。

首相の是非はともかく彼は主義主張が一貫している。彼の政治テーマとも言える“郵政民営化”。これを公約の一つとして彼は総裁選に望み、選ばれた。選んだということはその公約に賛成ということと一緒である筈だ。なのに、あとからろくな理由もなしに「反対」を叫び根回しして参院選で否決した。造反組のお頭K議員は衆院選で可決された時「今回はやられたけど今度(参院)ではノックアウトしますよ〜」とニタリとしていたが、子供の喧嘩じゃあるまいし、幼稚な表現をする人だと思った。参院で否決された時、「してやったり」と思ったに違いない。でも首相はそんなレベルで考えていなかった。

まさか本当に解散するとは思わなかったであろう。今までの首相連中達であると我が身保身のため、ナアナアで解散せず郵政民営化は先送りになり郵政族は一安心・・・という結末であったであろう。しかし“変人”は違った。本当に解散し(しかも即刻)造反組には党の公認を取り消すというぺナルティまで与えた。「やりすぎだ」「ファシズムの始まりだ」などと騒いでるおっさん達。貴方達が自ら蒔いた種なんです。しかも今の日本の若者達にファシズム思想が受け入れられるなんて逆立ちしても無理。「ファシズム〜?何〜それ?え〜っ。面倒くさいや〜」で終わるのがオチ。自分さえ良ければよい“自己中心型”の人間ばかりですからありえません。

何はともあれ、興味深く政治というものが近く感じられた郵政民営化法案を契機とした一連の政治の動き。見逃せない。“変人”はどこまで見越しているのだろう。悪しき“馴れ合い密室政治”に終止符が打たれるのだろうか?

お盆

2005年8月14日 日常
今日は11時にお寺さんが来られる。その前にTの運転でお墓参りに父と3人で出かけた。本来なら県外にあるお墓だが、再三行けない事とこの地に本籍を移した事もあって近くにできた霊園に新しくお墓を建てた。でも新しいと思っていたお墓も墓石の後ろを見るともう20年も経っていた。「早いもんだな〜」と感慨深げに父が呟いていた。

家に着くと丁度袈裟姿のお寺さんがいらしていた。暑いのにこうしてわざわざ足を運んでこられる。もうとうに80歳は超えていらっしゃるようだがお元気そうだ。お経の後、ありがたいお話をいくつか聞かせていただき、今年のお参りも滞りなく終えた。

ある意味季節感なし

2005年8月13日
今日から我が院はお盆休み。オーソドックスコースの〜15日までという予定。夏休みをとって隣市からTが帰省してくる。心なしか両親も嬉しそうだ。

所用があったので市内に出かけた。久しぶりだから母も一緒に行きたかったようだが「きっと、人が沢山出てるわよね〜。疲れそうだから止めておくわ」と用事だけ仰せつかった。

しかしっ!!人があまり居ない!!お盆というと凄くにぎわったデパートその他、いつもよりも少ないくらいだ。おかしいぞ・・・
よく考えて謎は解けた。以前はお盆前後から夏のバーゲンが始まっていた。帰省とあわせて売ろうという商戦だったのだろうが、最近はバーゲンは7月に入るとすぐに始まる。バーゲンという旨味がないと皆さん寄り付かないのね〜

時代が変われば人の流れも変わる。季節感がなくなったのは野菜や果物だけではないようだ・・・

静かに

2005年8月12日
20年前の悲しい出来事に合掌。
暑い夏がやってくると、必ず目にする事故「熱中症」。車内に子供を放置したまま買い物やパチンコに興じた母親が、戻ってくるとぐったりしている我が子を見つけ病院に連れて行くも、もうこと切れているといった事故(ある意味事故とは云えないかもしれないが)。

以前から何度も何度も報道され「車内が60度以上の高温になる」とか、「このような子供の扱いに親としての責任を問う」等の意見は繰り返しあっていた。

でも・・・この事故はなくならない。何故かいつか何処かであっている。一体、何故なんだろう。人というものは“学習する”生き物であるのに、全くこういった事柄は“学習”されない。

私が小さいころ、母は外出した際は必ず手をつないでくれた。人混みであればあるほどギュッと手を握ってくれていた。でも今のお母さん達は違うタイプが多い。公共の場を周囲の迷惑を顧みずに我が子を走り回らせ、自分達は友人とお喋りに夢中。レストランでも奇声を上げ、居酒屋で他の卓の周りを走り運んでくる店員さんの足元をチョロチョロしててもビ−ルや酎ハイ片手に知らん顔。しかし転んで頭を打とうものならお店に文句をいう。「こんなところにテ−ブルを置くから」「こんな角のあるテ−ブルなんて危ない」

見ていて情けない。わが国が崩壊するのを目にするのだろうか?
そんな日が来ないことを祈る。

極彩色の夏の夜

2005年8月10日 日常
今夜は友人医師M君のお誘いで隣県のY町まで花火大会を見に行く。Y町は港町。M君のご自宅は湾内に面しているため、眼前に花火が観覧できるらしい。

長い道中を経てようやくM君邸に到着。と同時に花火が上がり始めた。M君に急がされて階上のテラスに上がった。眼前には大きな色鮮やかな花火が勢いよく打ちあがっている。しかもテラスには100人くらいのお客さんが各々のテ−ブルを囲んで楽しそうに観賞している。

“う〜ん・・・花火も凄いがお客さんの数も凄いぞ!恐るべしM君”と心の中でつぶやいた。

何はともあれ雄大で色鮮やかな花火が漆黒の夜空に映える。大きな球形のものから枝垂桜の様に余韻たっぷりの情緒あふれるものまで、途切れなく夏の夜を彩る。

久しぶりに見た大きな大きな花火。こんなに素敵な夏の夜を見せてくれたM君に感謝。私の人生にはどんな花火が打ちあがるのだろう?それはまだまだ秘密のようだ・・・

最後に「協賛もしとらんでから、ヨカ花火ば見せてもろうたね〜」と酔ったM君の言葉には皆で笑ってしまった・・・!

偶然って凄い!!

2005年8月9日
午後からお休みを頂いて市内に出かけた。用事を済ませ某D百貨店へいくと偶然エスカレーターにて依然働いていた病院の看護師Kさんとバッタリ。最初はお茶でもが段々夕時になり、結局夕食もご一緒した。懐かしい思い出話に花を咲かせ、また再会を誓い合った。

粘るっ!!

2005年8月8日
昨夜は楽しいあまりやや羽目をはずした・・・とはいえ、以前ほど悪い酔い方はしなくなった。

朝から色々な方が来院。スム−ズに・・・とは言わないが、何とか無事に乗り切った。

今週も頑張ろう!

イベリコ君に感謝

2005年8月7日
久しぶりの日曜出勤。患者数は忙しくはないが、諸々の理由で何となく疲労感が漂う。

夕方は以前から約束していた行きつけの美容室の受付スタッフの女性と3人でお食事に出かける。高砂のワインレストラン「ヴ○○○○ン」で岩牡蠣やイベリコ豚の生ハムを堪能。女性だけでおおいに盛り上がる。

昼間の疲れも吹き飛ぶ楽しい夜だった。

忘れない夾竹桃

2005年8月6日
小学生だったころ、今日のこの日は「出校日」だった。昭和20年敗戦色が色濃くなってきた毎日をただ黙々と“日本が敗戦しない”を心の支えにしてきた人たちが、それまでどおり迎えた朝だったに違いない。そして一瞬にして光が何もかもを奪い、焼け野原だけが残った。その地で生命を持った者は地獄だったであろう。水を求め、町の中心を流れる川に人々が集まり息絶えた。

数年前、学会が広島であった。会場が原爆記念館に隣接していたため、合間をぬって訪れてみた。様々な遺品が寄贈され展示されていた。悲惨さに目を覆いたくなるものも合った。しかし目をそむけず一つ一つ丹念に見せてもらった。

有名な銀行前の人影。銀行が開くのを待っていて被災された方だ。でもその肉体は一片たりとも無く、石階段に焼き付けられている人影だけを残した。銀行が開いたらこの人はその日何をしようと思っていたのだろう・・・涙で人影がぼやけて見えた。

先日見た番組で米国のテキサス州で核兵器関係の集会があっていた。その場にいた人たちは「原爆が投下されたから第二次世界大戦は終結した」と原爆を礼賛している。また米国の某進学校ハイスク−ルでは核兵器についてグル−プディスカッションをしていた。日本に投下された原爆についてどう思うかがテ−マのようだったが、半数以上が賛成派だった。

学校側の許可を得て日本からの番組関係者が広島・長崎の原爆資料を生徒達に見せていた。彼らは初めて目にするものだったようだ。次第に表情が変化していく生徒達。中には涙ぐんでいる生徒もいた。最後にかなり強く“賛成派”を主張していた女性徒が言葉をつまりつまりこう言っていた。

「あまりにも真実を知らなかった。真実を知らずして答えを出していた自分達が恥ずかしい、そして怖い。」

何の理由でか、出校日でなくなってしまった8月6日。でも毎年心の中で私は“夾竹桃の歌”を歌う。

父親の想い

2005年8月5日 日常
夜は父親とともに医師会関係の宴席へ出かけた。某ホテルの宴会場で立食パ−ティ。懐かしい顔にも出会えた。久しぶりに交わす会話もまた楽しい。

私を含め、二世代医院も多くなってきた。世代交代の時期が来ているのだろう。開業医の中には跡継ぎがいなく閉院されるところもある。私はあまり出来は良くないが、かろうじて父親と同業者になり、その中でも同じ道を選んだ。
「立食は疲れるから嫌だな〜」等と往きのタクシ−の中でぼやいていた父も広い宴会場を動き回り、会話を楽しんでいる様子。その姿を見てやはりこの道を選んで良かったと思うと同時に、その継続の責任の重さに再度気を引き締めた。

二次会は先輩の先生に連れられて歓楽街Nへ。父と同世代の先生が嬉しそうに「うちの倅は出来が悪いが優しい。本当に優しい」と何度も言っておられた。少し時間がかかって医師免許を取られた其処の若先生だが、真面目な立派な二代目として頑張っている。「もう後は天国に行く準備だけや」と笑いながら言われる先生にほのぼのとしたものを感じると同時に少しだけジ−ンときた。

気持ちの良いほろ酔い加減で少しだけ早目の帰宅。

ひょえ〜

2005年8月4日 日常
疲れた身体に喝をいれ、午後は1歳半健診へ出かける。泣き声が充満した狭い部屋の中、黙々と健診する。思いのほか、今回はアトピ−様の皮膚をした児が多くない。体格もほぼ正常範囲内ばかりだった。あくまでも「健診」であり、これは良いこと。「問題ないようですね」の言葉に母親も安心するようだ。

でも一つだけビックリしたことが・・・秘密に。

疲れた

2005年8月3日 日常
夕方から親戚関係のお食事会。幹事は私である為、今夜は酔えない。食事・お酒・場所、それぞれの内容に皆満足してくれた様子。安堵するとともに、ちょっと疲れてしまった・・・

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