午前中は学校医をしている小学校の内科健診に出向く。今日は1,2年生の診察日。こころなしか昨年の児童達よりもお利口さんで静かな気がする。なにはともあれ、200人以上の“モシモシ”も疲れる。
昨夜が深夜勤だったので午後はオフ。でも期外収縮が連発したり動悸が激しいなどとても気分が悪い。睡眠不足がやはり悪いのだろう。胸痛がないのは良いのだが、心臓がらみの不快感は何となく不安感を煽る。マイナ−トランキライザ−が少し効くのではとゴソゴソ探して内服してみる。しばらくして少しだけ落ち着いた。ちょっとまどろむ。
このまま、騙し騙しで自分の体を管理して良いだろうか?やはり、専門医の診察と検査を受けたほうが良いだろうと思う。思い切って母に打ち明けた。明日の午後、健診の帰りに受診する事を伝えた。このまま細動とか起こって欲しくないんだけどな・・・
昨夜が深夜勤だったので午後はオフ。でも期外収縮が連発したり動悸が激しいなどとても気分が悪い。睡眠不足がやはり悪いのだろう。胸痛がないのは良いのだが、心臓がらみの不快感は何となく不安感を煽る。マイナ−トランキライザ−が少し効くのではとゴソゴソ探して内服してみる。しばらくして少しだけ落ち着いた。ちょっとまどろむ。
このまま、騙し騙しで自分の体を管理して良いだろうか?やはり、専門医の診察と検査を受けたほうが良いだろうと思う。思い切って母に打ち明けた。明日の午後、健診の帰りに受診する事を伝えた。このまま細動とか起こって欲しくないんだけどな・・・
朝から慌ただしく患者さん達が詰め掛ける。本当の意味での連休明け。親に連れられて“大人のペ−ス”で計画された旅行で疲れ果てた子供達が具合を悪くしてやってくるパタ−ンが多い。どう考えたって1歳代の乳児と一緒に海外旅行って“超”大変だと思うのだけど・・・
午後はちょっと一息。でも何となく期外収縮が気になってすっきりしない。もう一つの心配事もとても気になる。このまま肉体が衰えていくのだろうか・・・?不安がいっそう募る。
今夜は深夜勤務。仮眠もとうとう出来なかった。でも気持を奮い立たせるため22時から「ER」を見た後、出勤。
午後はちょっと一息。でも何となく期外収縮が気になってすっきりしない。もう一つの心配事もとても気になる。このまま肉体が衰えていくのだろうか・・・?不安がいっそう募る。
今夜は深夜勤務。仮眠もとうとう出来なかった。でも気持を奮い立たせるため22時から「ER」を見た後、出勤。
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朝から休日出勤。今日は患者さんは多いかな?
やはり新建材のせいだろうか、ここに来ると何故か気分が悪くなる。日が射さないし、風通しも悪い。天井はやけに高いし寒寒としている。
ストレス性の期外収縮と思っていたので頻発していたが、放置していた。胸痛があるわけではないが「心臓がでんぐり返った」気がしたり、口から飛び出ていきそうになる。ストレス原因も緩和されたはずなのだが、すっきりしないので心臓外科医のD先生に相談してみた。「今日一日働くならモニタ−を装着してみたら・・・」とのアドバイスを受けた。
装着してみたら、起こらない。案外気のせいかな・・・と安心しかかったが、再び頻発し始めた。一応、怪しいところは記録して後日D先生に解析してもらう事になった。
帰宅すると今日は母の日だったため、Rが母のために時計をプレゼントしていた。実際の母ではないが、してあげていることはまさに“母親”時計をもらって母も嬉しそう。私は今年は“母の日プレゼント”として“誕生年ワイン”を贈った。以前から知り合いのOさんに探してもらっていたのが、丁度この時期に見つかったと知らせがあった。セラ−に大事にしまっている姿はやはり嬉々としていた。
突然Rが私に「これ・・・」とおずおず差し出す。「母の日ならず“叔母の日”って事で・・・」
バス用品で有名な“L〇〇〇”の詰め合わせ。思いがけない嬉しいプレゼント。色々なバス用品がとても良い香りで箱に綺麗に並んでいる。癒されるこの香りに朝からの気分不良や不安感も飛んでいってしまう気がした。
今夜はSも好きなこの香りに包まれて夢を見る・・・
やはり新建材のせいだろうか、ここに来ると何故か気分が悪くなる。日が射さないし、風通しも悪い。天井はやけに高いし寒寒としている。
ストレス性の期外収縮と思っていたので頻発していたが、放置していた。胸痛があるわけではないが「心臓がでんぐり返った」気がしたり、口から飛び出ていきそうになる。ストレス原因も緩和されたはずなのだが、すっきりしないので心臓外科医のD先生に相談してみた。「今日一日働くならモニタ−を装着してみたら・・・」とのアドバイスを受けた。
装着してみたら、起こらない。案外気のせいかな・・・と安心しかかったが、再び頻発し始めた。一応、怪しいところは記録して後日D先生に解析してもらう事になった。
帰宅すると今日は母の日だったため、Rが母のために時計をプレゼントしていた。実際の母ではないが、してあげていることはまさに“母親”時計をもらって母も嬉しそう。私は今年は“母の日プレゼント”として“誕生年ワイン”を贈った。以前から知り合いのOさんに探してもらっていたのが、丁度この時期に見つかったと知らせがあった。セラ−に大事にしまっている姿はやはり嬉々としていた。
突然Rが私に「これ・・・」とおずおず差し出す。「母の日ならず“叔母の日”って事で・・・」
バス用品で有名な“L〇〇〇”の詰め合わせ。思いがけない嬉しいプレゼント。色々なバス用品がとても良い香りで箱に綺麗に並んでいる。癒されるこの香りに朝からの気分不良や不安感も飛んでいってしまう気がした。
今夜はSも好きなこの香りに包まれて夢を見る・・・
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午前中はそんなに忙しくなかった。でも明日は休日出勤。そのためには少し体力温存が必要。
午後はリラックスするためエステへ。顔のお手入れ中に寝てしまった。「ンゴッ」恥かしながら自分の鼾で起きた。普段は鼾かかないんだけどな〜。
特に肌の調子は悪くないとの事。でも「お痩せになられましたね〜」とサロンの人達に会う度に言われた。痩せた原因は色々あるがとりあえずこの体重を維持しようかな〜。出来る範囲で綺麗にしておかなくちゃ!
午後はリラックスするためエステへ。顔のお手入れ中に寝てしまった。「ンゴッ」恥かしながら自分の鼾で起きた。普段は鼾かかないんだけどな〜。
特に肌の調子は悪くないとの事。でも「お痩せになられましたね〜」とサロンの人達に会う度に言われた。痩せた原因は色々あるがとりあえずこの体重を維持しようかな〜。出来る範囲で綺麗にしておかなくちゃ!
連休も明け今日からは仕事モ−ドに復活。でも今日明日も連休の人もいるかと思うとちょっと寂しい・・・
今日は父の外来日。朝から忙しかったらしい。夕方帰るとくたびれていた。休み明けはどうしても忙しい。どうやら連休を取って入る同業者もいるらしい。「最近の若い先生方はスパッと取るけど僕は出来ないなぁ〜」とぼやく父。昔かたぎの考えが染み付いちゃっている。
真面目な仕事人間・・・良いんだか、悪いんだか?!
今日は父の外来日。朝から忙しかったらしい。夕方帰るとくたびれていた。休み明けはどうしても忙しい。どうやら連休を取って入る同業者もいるらしい。「最近の若い先生方はスパッと取るけど僕は出来ないなぁ〜」とぼやく父。昔かたぎの考えが染み付いちゃっている。
真面目な仕事人間・・・良いんだか、悪いんだか?!
山形チェリ−紀行(番外編チェリ−ランド)
2005年5月5日 旅行昼食のため、三姉妹がお勧めの“チェリ−ランド”に向かった。“チェリ−ランド”とは今流行りの道の駅だ。でもここの道の駅、とても規模が大きい。土地が広いせいもあるのだろうが、とにかく駐車場も広く連休なのにあっさり入れた。かといって訪れる人が少ないわけではない。
屋台や出店や横長く並んだ店先には“だだ茶豆ソフト”や“さくらんぼソフト”など山形色豊かだ。そして一番目を引いたのは“玉こんにゃく”醤油で味付けされた玉型のこんにゃくが5ヶ串刺しにされて売っている。美味しそうに湯気の出る玉こんにゃくを頬張っている人も多い。
昼食は道の駅が経営しているレストランで摂った。食券を買う際にメニュ−前で皆で悩む。I先生と私はざる蕎麦、Yちゃんはもやしラ−メン、NちゃんとMちゃんはイチゴがこたえたらしく二人でいくら丼を分ける事になった。ふとみると“地ビ−ル月山”とある。先程の風景に癒された事もあってやや復活気味の私はすかさず頼んだ。
迎え酒とは良く言ったもの、妙に美味しい。お蕎麦も美味しい。でも運ばれてきたYちゃんのラ−メンをみて驚いた。壷みたいな器だ!以前北海道を旅行した時にやはり一人前の量に驚いた事を思い出した。北国の人は寒さに耐えるため熱量を蓄えるべくよく食べるのかな・・・と思った。
この場でとても感心した事があった。いくら丼が来て長女のNちゃんがMちゃんと分ける為、余分にもらった器によそっていた。見ていると「この位で良い?」とMちゃんに聞いている。Mちゃんが頷くとNちゃんは元々来た器をあげていた。中2と小4だから体格は違う。そして普通こんな時はお姉さんの方が元々きた大きな器を取ると思う。それを自分が小さな器を取り良い方を妹に渡すNちゃんの何気ない行動に感心した。と、同時にI家の教育方針が何となく見えた気がした。皆、このI家のような家族になってくれたら全国の教師と小児科医はどんなに嬉しいか・・・
食欲も満たされ、隣のトルコ館へ腹ごなしにいく。まだI先生は「このトイレの前でトルコ人のオジサンが売っていたシシカバブは美味しかった・・・」とぶつぶつ言っている。トルコ館の中には一般的なトルコ製品と昔の器などが飾ってあった。
しかしシシカバブを売るトルコオジサンは存在した。売れ行きが良かったのだろうか、トイレの前から屋根つきの屋台外へとランクアップしていた。嬉しそうにシシカバブを買うI先生。味見をさせて貰ったが確かに美味しい!ちなみにまた性懲りもなくトルコビ−ルを買って飲む私。
デザ−トは三姉妹がお勧めのJAが経営しているアイスクリ−ム。2本のビ−ルでややお腹が膨れ気味の私は辞退したが、沢山飾ってある色紙を見ているうちに食べたくなった。材料は様々、ここでも山形色いっぱい米・さくらんぼ・紅花など珍しいものがあった。随分並んで購入。私はラムレ−ズンと紅花にした。ちなみにここではビ−ルは売ってなかったので購入せず(当たり前)。
アイスクリ−ムを売っている場所にはさすがチェリ−ランド、さくらんぼの歴史が飾られていた。有名な“佐藤錦”の佐藤さんも写真が飾られていた。
山形を訪れた方は是非チェリ−ランドへ!!そしてトルコ人のオジサンが作るシシカバブを堪能してくださ〜い。
屋台や出店や横長く並んだ店先には“だだ茶豆ソフト”や“さくらんぼソフト”など山形色豊かだ。そして一番目を引いたのは“玉こんにゃく”醤油で味付けされた玉型のこんにゃくが5ヶ串刺しにされて売っている。美味しそうに湯気の出る玉こんにゃくを頬張っている人も多い。
昼食は道の駅が経営しているレストランで摂った。食券を買う際にメニュ−前で皆で悩む。I先生と私はざる蕎麦、Yちゃんはもやしラ−メン、NちゃんとMちゃんはイチゴがこたえたらしく二人でいくら丼を分ける事になった。ふとみると“地ビ−ル月山”とある。先程の風景に癒された事もあってやや復活気味の私はすかさず頼んだ。
迎え酒とは良く言ったもの、妙に美味しい。お蕎麦も美味しい。でも運ばれてきたYちゃんのラ−メンをみて驚いた。壷みたいな器だ!以前北海道を旅行した時にやはり一人前の量に驚いた事を思い出した。北国の人は寒さに耐えるため熱量を蓄えるべくよく食べるのかな・・・と思った。
この場でとても感心した事があった。いくら丼が来て長女のNちゃんがMちゃんと分ける為、余分にもらった器によそっていた。見ていると「この位で良い?」とMちゃんに聞いている。Mちゃんが頷くとNちゃんは元々来た器をあげていた。中2と小4だから体格は違う。そして普通こんな時はお姉さんの方が元々きた大きな器を取ると思う。それを自分が小さな器を取り良い方を妹に渡すNちゃんの何気ない行動に感心した。と、同時にI家の教育方針が何となく見えた気がした。皆、このI家のような家族になってくれたら全国の教師と小児科医はどんなに嬉しいか・・・
食欲も満たされ、隣のトルコ館へ腹ごなしにいく。まだI先生は「このトイレの前でトルコ人のオジサンが売っていたシシカバブは美味しかった・・・」とぶつぶつ言っている。トルコ館の中には一般的なトルコ製品と昔の器などが飾ってあった。
しかしシシカバブを売るトルコオジサンは存在した。売れ行きが良かったのだろうか、トイレの前から屋根つきの屋台外へとランクアップしていた。嬉しそうにシシカバブを買うI先生。味見をさせて貰ったが確かに美味しい!ちなみにまた性懲りもなくトルコビ−ルを買って飲む私。
デザ−トは三姉妹がお勧めのJAが経営しているアイスクリ−ム。2本のビ−ルでややお腹が膨れ気味の私は辞退したが、沢山飾ってある色紙を見ているうちに食べたくなった。材料は様々、ここでも山形色いっぱい米・さくらんぼ・紅花など珍しいものがあった。随分並んで購入。私はラムレ−ズンと紅花にした。ちなみにここではビ−ルは売ってなかったので購入せず(当たり前)。
アイスクリ−ムを売っている場所にはさすがチェリ−ランド、さくらんぼの歴史が飾られていた。有名な“佐藤錦”の佐藤さんも写真が飾られていた。
山形を訪れた方は是非チェリ−ランドへ!!そしてトルコ人のオジサンが作るシシカバブを堪能してくださ〜い。
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山形チェリ−紀行vol.2
2005年5月5日 旅行さすがに飲みすぎたのか、やや頭の芯が重い。でも今朝は良いお天気。そしてここ山形にて“イチゴ狩り”
今朝のお迎えはI先生・長女Nちゃん・次女Yちゃん・三女Mちゃん。彼女達は爽やかな笑顔の「おはようございます」なのに私はドンヨリした「おはようございます」。情けない大人の私・・・
何はともあれ車に乗って出発。まずはお土産の日本酒をゲット!I先生お勧めの「国〇酒店」に立ち寄る。目がグルグル@@になりそうなくらいたくさんの地酒がいっぱい!!!(狂)“う〜ん、これは困った”きっと本気で探し始めたらかなりの時間を要しそう。でも車には可愛らしいお嬢さん方が3人待っててくれている。お待たせするわけにもいかないので、昨晩飲んだお酒を手当たり次第に籠へ。I先生も「これも昨日飲んで美味しかった」とアドバイスしてくれる。そんなわけで選んだお酒は「桜〇」「上〇元」「〇」。宅配の用紙に急いで記入して出発。
高速道路を使って一路、寒河江市へ向かう。途中、車中で楽しい三姉妹の会話を聞きながらイチゴ農園にあっという間に到着。私の記憶のイチゴ狩りはしゃがんで取り手が泥まみれになった記憶があるが、こちらのイチゴ狩りスタイルはやや違う。脚付きのスタンドにイチゴの苗が入っておりちょっと腰をかがめる程度で取れる。これだったら靴も泥んこにならずにすむ。“地方が変わればイチゴ狩りなスタイルも違うんだ”と妙なところで地方色を体感した。甘いイチゴ。Yちゃんは「50個くらい食べたかも〜」と嬉しそうに笑っていた。
その後小高い丘に行き、最上川を真中にその向こうにまだ残雪をたっぷりかぶった月山をみた。爽やかな初夏を思わせる青空に雪山。九州出身の私には不思議な光景。こんなに汗ばむほど暑いのに雪山を見た。理論上、確かに月山の頂上は気温が低いだろうから雪が残っていてもおかしくはない。でも下界から見たときはそれは不思議な光景に映る。私も月山の雪のように根強い女性にならなくてはいけない。大事な人をどっしりと支えられるような力強い女性になりたい。派手さはないが壮大な美しさを持った風景だった。
お父さんであるI先生をからかいながら写真をとる三姉妹達を見ているとのどかで心が和まされた。
のどかな時間の後はやはり食欲!!I先生は美味しいお蕎麦を私に食べさせたかったようだが、何故かお嬢さん方は私をある場所へ誘う。「え〜“あそこ”に行くの〜」とI先生。でもせっかく彼女達がご推奨の“あそこ”にも行ってみたい。「昨日お蕎麦食べたし、そこに行きましょう」私の一言で決定。行くとなったらI先生、「そう言えばあそこにはトルコ人が屋台を出していてシシカバブが美味しかった」等と急に乗り気に。一行はまっしぐらに“あそこ”へトルコ人に会いに(?)向かった。
昼食後、しばらくして再び山形市内に戻った。そろそろ私は帰らなければならない。山形駅のタ−ミナル駐車場に車を停め、駅から出ている仙台空港行きのバスのチケットを購入した。早すぎたかなと皆で思っていたが、丁度良かった!15時台のこのバスを逃すと次は17時台しかない。17時台では飛行機に乗り遅れてしまう。やはり何事も早めが大事。
停留所で写メを撮ったりして三姉妹とはしゃいでいたが、とうとうバスが来てしまった。来た時と同様、採算度外視の少人数の乗客。再度この路線の採算が心配になった・・・
バスに乗り込み窓の外を見る。三姉妹とその父が一所懸命手を振ってくれている。発車と同時に信号待ち。その間も手が千切れんばかりに振る。いよいよ発車。三女のMちゃんがバスを追って見送ってくれた。
来て良かった、山形。また訪れたい山形。そして必ず再会したいI家の三姉妹。最後にありがとう、I先生。
今朝のお迎えはI先生・長女Nちゃん・次女Yちゃん・三女Mちゃん。彼女達は爽やかな笑顔の「おはようございます」なのに私はドンヨリした「おはようございます」。情けない大人の私・・・
何はともあれ車に乗って出発。まずはお土産の日本酒をゲット!I先生お勧めの「国〇酒店」に立ち寄る。目がグルグル@@になりそうなくらいたくさんの地酒がいっぱい!!!(狂)“う〜ん、これは困った”きっと本気で探し始めたらかなりの時間を要しそう。でも車には可愛らしいお嬢さん方が3人待っててくれている。お待たせするわけにもいかないので、昨晩飲んだお酒を手当たり次第に籠へ。I先生も「これも昨日飲んで美味しかった」とアドバイスしてくれる。そんなわけで選んだお酒は「桜〇」「上〇元」「〇」。宅配の用紙に急いで記入して出発。
高速道路を使って一路、寒河江市へ向かう。途中、車中で楽しい三姉妹の会話を聞きながらイチゴ農園にあっという間に到着。私の記憶のイチゴ狩りはしゃがんで取り手が泥まみれになった記憶があるが、こちらのイチゴ狩りスタイルはやや違う。脚付きのスタンドにイチゴの苗が入っておりちょっと腰をかがめる程度で取れる。これだったら靴も泥んこにならずにすむ。“地方が変わればイチゴ狩りなスタイルも違うんだ”と妙なところで地方色を体感した。甘いイチゴ。Yちゃんは「50個くらい食べたかも〜」と嬉しそうに笑っていた。
その後小高い丘に行き、最上川を真中にその向こうにまだ残雪をたっぷりかぶった月山をみた。爽やかな初夏を思わせる青空に雪山。九州出身の私には不思議な光景。こんなに汗ばむほど暑いのに雪山を見た。理論上、確かに月山の頂上は気温が低いだろうから雪が残っていてもおかしくはない。でも下界から見たときはそれは不思議な光景に映る。私も月山の雪のように根強い女性にならなくてはいけない。大事な人をどっしりと支えられるような力強い女性になりたい。派手さはないが壮大な美しさを持った風景だった。
お父さんであるI先生をからかいながら写真をとる三姉妹達を見ているとのどかで心が和まされた。
のどかな時間の後はやはり食欲!!I先生は美味しいお蕎麦を私に食べさせたかったようだが、何故かお嬢さん方は私をある場所へ誘う。「え〜“あそこ”に行くの〜」とI先生。でもせっかく彼女達がご推奨の“あそこ”にも行ってみたい。「昨日お蕎麦食べたし、そこに行きましょう」私の一言で決定。行くとなったらI先生、「そう言えばあそこにはトルコ人が屋台を出していてシシカバブが美味しかった」等と急に乗り気に。一行はまっしぐらに“あそこ”へトルコ人に会いに(?)向かった。
昼食後、しばらくして再び山形市内に戻った。そろそろ私は帰らなければならない。山形駅のタ−ミナル駐車場に車を停め、駅から出ている仙台空港行きのバスのチケットを購入した。早すぎたかなと皆で思っていたが、丁度良かった!15時台のこのバスを逃すと次は17時台しかない。17時台では飛行機に乗り遅れてしまう。やはり何事も早めが大事。
停留所で写メを撮ったりして三姉妹とはしゃいでいたが、とうとうバスが来てしまった。来た時と同様、採算度外視の少人数の乗客。再度この路線の採算が心配になった・・・
バスに乗り込み窓の外を見る。三姉妹とその父が一所懸命手を振ってくれている。発車と同時に信号待ち。その間も手が千切れんばかりに振る。いよいよ発車。三女のMちゃんがバスを追って見送ってくれた。
来て良かった、山形。また訪れたい山形。そして必ず再会したいI家の三姉妹。最後にありがとう、I先生。
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山形チェリ−紀行vol.1(夜編)
2005年5月4日 旅行I先生の案内で夕食に出かける。でも連休のためか、案内されるお店、お店お休みばかり。ようやく開いているお店があったが満席でいつ空くか解らないという言われた。「困った〜」と頭を抱えるI先生。「よしもう一軒このあたりに・・・」と案内された「味〇海」。良かった!空いていた!
「せっかくだから日本酒が飲みたい」のリクエストにピッタリなお店だった。さすがに山形県産の日本酒がズラリ。どれを選んでよいのか、嬉しい迷い。グラスの大と小があり、お値段も廉い。九州では1000円以上するお酒が500〜600円だ。とにかく山菜の天婦羅や鰤カマ等をつつきながら美味しい日本酒を堪能した。
I先生が勧めてくれた「黒〇」かの有名な「十〇代」の杜氏のお父さんが作られたお酒だそうだ。どっしりとして力強い味だ。それでいて重くない。身体に優しくなじんでいく味だ。今回来て本当に良かったと感じさせられた。奇しくも店員さんが私と同県の出身だった。山形大学に在籍していてアルバイトにきているとの事。思いがけない出会いに大いに盛り上がった。
明日はドライバ−として頑張らなくてはいけない当直明けのI先生はここで帰宅。でも「ここなら女性が一人でも安心」とよく行っているというBar「魅〇亭」を教えてくれた。連休のためか、ここは誰もいない。必然的にマスタ−とお話しすることになった。心地よいアルコ−ルの酔いも手伝って喋る私の話を静かに談笑しながら、マスタ−はお相手をしてくださった。そのうちに「美味しいお蕎麦があるので茹でてあげましょう」ということになりご馳走になる。とても美味しいお蕎麦だった。
今宵は時間がゆっくり流れている。山形の夜は優しい。いつの日か、この“優しい夜”をSと過ごしたい。
「せっかくだから日本酒が飲みたい」のリクエストにピッタリなお店だった。さすがに山形県産の日本酒がズラリ。どれを選んでよいのか、嬉しい迷い。グラスの大と小があり、お値段も廉い。九州では1000円以上するお酒が500〜600円だ。とにかく山菜の天婦羅や鰤カマ等をつつきながら美味しい日本酒を堪能した。
I先生が勧めてくれた「黒〇」かの有名な「十〇代」の杜氏のお父さんが作られたお酒だそうだ。どっしりとして力強い味だ。それでいて重くない。身体に優しくなじんでいく味だ。今回来て本当に良かったと感じさせられた。奇しくも店員さんが私と同県の出身だった。山形大学に在籍していてアルバイトにきているとの事。思いがけない出会いに大いに盛り上がった。
明日はドライバ−として頑張らなくてはいけない当直明けのI先生はここで帰宅。でも「ここなら女性が一人でも安心」とよく行っているというBar「魅〇亭」を教えてくれた。連休のためか、ここは誰もいない。必然的にマスタ−とお話しすることになった。心地よいアルコ−ルの酔いも手伝って喋る私の話を静かに談笑しながら、マスタ−はお相手をしてくださった。そのうちに「美味しいお蕎麦があるので茹でてあげましょう」ということになりご馳走になる。とても美味しいお蕎麦だった。
今宵は時間がゆっくり流れている。山形の夜は優しい。いつの日か、この“優しい夜”をSと過ごしたい。
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山形チェリ−紀行vol.1(昼編)
2005年5月4日 旅行快晴のお天気の中、J〇Lの仙台行きの飛行機は飛び立った。そして約2時間後、仙台空港に降り立った私は山形行きのバスに乗り込んだ。これがチェリ−紀行の始まりだった。
宮城交通の高速バスは一路山形へ。乗車人数はわずか7人。これで再三取れるのかな〜とちょっと心配。友人のI先生から「終点の1個前の停留所で降りるように、そしたら駅前だから」との指示があったので、素直にそれに従った・・・何処にも駅はない!デパ−トらしき建物の前にキャリ−バックと焼酎の甕を持った南国の旅行者がポツネンと立たされた。携帯でI先生に連絡するとどうも終点が変更になっていたらしい。そのまま歩いていけば駅前だからといわれ、ガラガラとキャリ−を引きながら歩く。実は左足の小指の爪が剥げかけてちょっと痛い。少しI先生を恨めしく思う。街並みはゆったりとしていてのどかな空気が漂っている。やたら「出羽桜」と「さくらんぼ」の言葉が目に付く。私の住む街でいうところの「明太子」みたいなものだろう。
何はともあれ、駅前に到着。今夜の宿泊は駅の上の「メ〇〇〇〇〇ン」
部屋の到着して程なくI先生から電話。下のロビ−まで迎えに来てくれていた。支度をして降りると次女のYちゃんと三女のMちゃんも一緒だ。見るからに純真そうなお嬢ちゃんたち。ややはにかみながらも「こんにちは」とお互いご挨拶。
I先生の運転でまずは簡単に山形市内を見て回る。I先生勤務の病院はなかなか立派な病院。病床数も聞けばかなりのもの、小児科の病床数も大学病院並みだ。そんな規模の一般外来・専門外来・病棟診察・当直業務などをこなし、今年からさらに研修医指導も加わるとなるとI先生の身体はいくつあっても足りない。忍者の様に分身の術を使わないとやってはいけない。少なくとも私とお酒を酌み交わせる程度には健康体でいていただきたいものだ。
車は次第に山道へ。桜がまだ咲いているという「野草公園」に案内される。ここは自然のままに様々な野草が生えていて今の時期には「山桜」の大きな木が見頃だそうだ。しかし異常気象の成果、ソメイヨシノが同時に咲いていた。「水芭蕉も綺麗に咲いているよ」とI先生が教えてくれた。I先生の凄いところは医学以外にも結構色々な事を知っている。この公園の中では「植物博士」になっていた・・・
YちゃんとMちゃんのお勧めのアイスクリ−ムを食した後はI先生のご自宅へ向かった。
ご自宅にはI先生の奥様と次男のY君が待っていた。奥様は優しそうでとても心の暖かそうな女性だ。私も奥さんをもらうとしたらこのような女性を・・・イヤイヤ私は男らしいとは言え、性別は女性だった。そしてまだ2歳のY君。とても愛くるしい。聞くところによると皆が可愛がるので仕事が忙しくてあまり会えないI先生のランクはY君の頭の中ではサッカ−ボ−ル以下らしい。かわいそうなI先生・・・
そうこうしているうちに長女のNちゃんが卓球の試合を終えて帰宅。そして近くに住んでおられる奥様のお父様もY君のご機嫌伺いに来られた。お茶をいただきながらしばしの歓談。初対面なのにそう感じない。
そして夕方になり、明日の再会を誓い合っていI先生に案内されて山形市内の日本酒処に繰り出す。さあこれからが本番!!
宮城交通の高速バスは一路山形へ。乗車人数はわずか7人。これで再三取れるのかな〜とちょっと心配。友人のI先生から「終点の1個前の停留所で降りるように、そしたら駅前だから」との指示があったので、素直にそれに従った・・・何処にも駅はない!デパ−トらしき建物の前にキャリ−バックと焼酎の甕を持った南国の旅行者がポツネンと立たされた。携帯でI先生に連絡するとどうも終点が変更になっていたらしい。そのまま歩いていけば駅前だからといわれ、ガラガラとキャリ−を引きながら歩く。実は左足の小指の爪が剥げかけてちょっと痛い。少しI先生を恨めしく思う。街並みはゆったりとしていてのどかな空気が漂っている。やたら「出羽桜」と「さくらんぼ」の言葉が目に付く。私の住む街でいうところの「明太子」みたいなものだろう。
何はともあれ、駅前に到着。今夜の宿泊は駅の上の「メ〇〇〇〇〇ン」
部屋の到着して程なくI先生から電話。下のロビ−まで迎えに来てくれていた。支度をして降りると次女のYちゃんと三女のMちゃんも一緒だ。見るからに純真そうなお嬢ちゃんたち。ややはにかみながらも「こんにちは」とお互いご挨拶。
I先生の運転でまずは簡単に山形市内を見て回る。I先生勤務の病院はなかなか立派な病院。病床数も聞けばかなりのもの、小児科の病床数も大学病院並みだ。そんな規模の一般外来・専門外来・病棟診察・当直業務などをこなし、今年からさらに研修医指導も加わるとなるとI先生の身体はいくつあっても足りない。忍者の様に分身の術を使わないとやってはいけない。少なくとも私とお酒を酌み交わせる程度には健康体でいていただきたいものだ。
車は次第に山道へ。桜がまだ咲いているという「野草公園」に案内される。ここは自然のままに様々な野草が生えていて今の時期には「山桜」の大きな木が見頃だそうだ。しかし異常気象の成果、ソメイヨシノが同時に咲いていた。「水芭蕉も綺麗に咲いているよ」とI先生が教えてくれた。I先生の凄いところは医学以外にも結構色々な事を知っている。この公園の中では「植物博士」になっていた・・・
YちゃんとMちゃんのお勧めのアイスクリ−ムを食した後はI先生のご自宅へ向かった。
ご自宅にはI先生の奥様と次男のY君が待っていた。奥様は優しそうでとても心の暖かそうな女性だ。私も奥さんをもらうとしたらこのような女性を・・・イヤイヤ私は男らしいとは言え、性別は女性だった。そしてまだ2歳のY君。とても愛くるしい。聞くところによると皆が可愛がるので仕事が忙しくてあまり会えないI先生のランクはY君の頭の中ではサッカ−ボ−ル以下らしい。かわいそうなI先生・・・
そうこうしているうちに長女のNちゃんが卓球の試合を終えて帰宅。そして近くに住んでおられる奥様のお父様もY君のご機嫌伺いに来られた。お茶をいただきながらしばしの歓談。初対面なのにそう感じない。
そして夕方になり、明日の再会を誓い合っていI先生に案内されて山形市内の日本酒処に繰り出す。さあこれからが本番!!
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朝から良いお天気だが、夜勤明けのためか思考回路と身体がボ−ッとしている。
少し自室が散らかり始めたため、掃除をする事にした。また冬物の毛皮やコ−トはクリ−ニングに出してしまわなければならない。だってそうしないと虫君に食べられちゃって、来季に哀しい事態になってしまうから・・・
明日から山形。その用意もしなくては!季節感覚がわかんないから色んなバ−ジョンの洋服を持っていかなくちゃ。
少し自室が散らかり始めたため、掃除をする事にした。また冬物の毛皮やコ−トはクリ−ニングに出してしまわなければならない。だってそうしないと虫君に食べられちゃって、来季に哀しい事態になってしまうから・・・
明日から山形。その用意もしなくては!季節感覚がわかんないから色んなバ−ジョンの洋服を持っていかなくちゃ。
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私の仕事は出生してすぐの新生児から思春期を終えほぼ大人に近い子供達まで、彼らが健全な心身を持って成長する事をお手伝し、指南していく仕事である。昨今は「医療もサ−ビス業の一環だ」と根本的にずれて考えているお偉いさん方も多く、その改善の一環として病院内で患者の名前を呼ぶ際に「〇〇様〜」と義務付けているところもある。これは全く持って意味のない“改善策”であろうし、今まで子供だったら「〇△ちゃん」と呼ばれ、お年よりであれば「あらぁ〜△〇さん、元気にしとんしゃったね〜」と馴染みの看護師に声を掛けられた方がよっぽどしっくりくるというものだ。
如何せん、私はまだ親にはなっていない。だからといって子供を診療し、その成長に携わってはいけないことは無いと思う。この理論が通用するのであれば、産科の先生は出産経験が出来ない男性はなれないということになってしまう。以前、私はある母親から次のような事を言われた事がある。「でも先生は所詮母親になっていないから、真の子育てを御分かりにならないんじゃないですか?」
「真の子育ての御分かり」ってなんなのだろう。
先程の母親の言葉は私に対して随分な失礼な暴言と思う。それを澄ました顔で言ってのけたこの母親は人としてあまり褒められた者ではないなと感じ、このような母親に育てられる子供が少し可哀想にもなり、また同じような母親が出来上がるのだろうかと寂しく思った。
古き考えがすべて良いとは思わないが、最近の親子関係には時折首を捻る場面が多い。私が小さい時には夜間診療する病院などなく、急に具合が悪くなった子供を髪を振り乱した母親が抱えて、よく診療所のドアを叩き、父が診察していた事を憶えている。「朝から具合が悪い時には、早く連れて来なさい。子供が可哀想ですよ」と厳しい父はよく母親に注意していた。そして一所懸命に患者の事を思う父は母親に対して厳しくて有名だったが、くじけず付いて来られたお母さん方は多くいた。今ではその「お母さん」が「おばあちゃん」になり、孫の受診の際にたまたま父と顔を合わすと懐かしそうに「よく先生に怒られました」と笑っている。今では随分好々爺になってしまった父だが、そう言われると恥かしそうにしている。
最近の親たちは「子供自身の意思を尊重したい」というがその考えは裏を返せば「嫌がることを言って嫌われたくない」と同じことだ。前の晩から10回以上も吐いている子供に点滴が必要だというと、子供に向かって「どうする?点滴する?」と2,3歳の幼児に向かって平気で尋ねている。当然、子供は針を刺されて痛いわけだから嫌がるに決まっている。「子供が嫌がっていますし・・・お薬じゃ駄目ですか?」「顔色が真っ青で経口摂取が出来ないから、直接血管に水分を補充しないと脱水になるんですよ。脱水はこじれるとやっかいですよ」ここまで医師に説明させて「先生がどうしてもしなきゃいけないって言ってるから、仕方ないね」と子供には伝えられた。
せっかく処方しても「うちの子はお薬を飲みません」と胸を張って言われる。「一回飲ませたら苦いって嫌がったものですから・・・それきり飲ませていません」たった一回の抵抗であきらめてしまう。何かに混ぜて何とかして飲ませようとか、嫌がって噴出してもまた再度飲ませたという話はあまり聞かない。とにかく我が子が嫌って言う味は駄目なもの、我が子がすんなり飲めるようなお薬はないんですか?というのが本音なのだろう。でもこのような親御さんに限って「全然良くならない」と不満を訴えられる。最近は平然とした顔で「困りましたね〜お薬を持っているだけでは良くならないですものね。やはり飲んでこそ効果がありますから。ホント、困りましたね〜」とさりげなくかわせるようになった私。
以前と違って薬の味は随分改良されている。各製薬会社もこの件に対しては結構力を入れている。ただし抗生剤などはやはり後味に苦味が残る事が多い。でもこの抗生剤などのおかげで肺炎などでも外来治療でよくなる事も多い。
我が子に嫌われたくない親御さん達。我が子の病気よりも旅行や遊び事を優先する親御さん達。夜遅くまでコンビニでウロウロしている幼児。子供は顔中カピカピに乾いた青い鼻汁だらけなのに、お化粧ばっちり、ネイルア−トまでしている美しい母親。深夜受診で「熱が高くて心配だから順番を早くして診てくれ!!」と散々受付でごねて診察室に入ってきた母親の頭にはツバが有に20cmはあろうかと思われるお洒落帽子があった。真夜中でも紫外線が怖いのかな?サングラスをしてくる父親もいる。超恥かしがりやさんなのかな?生後2ヶ月の赤ちゃんを真夏の炎天下海水浴に連れて行って皮膚は真っ赤、39℃まで熱発。お母さんがストレスが溜まってどうしても海水浴に行きたかったんだそうな。
中学生・高校生は男女かまわず足を広げてコンビニの前で座り込み。そしてこれまた男女問わず眉が異常な細細さん。健康な皮膚にファンデ−ションを塗りこみ、お金がないからとアイラインは油性マジック。
乳幼児のうちから髪を茶髪にされ、赤ちゃんが飲み込むかもしれないようなカッチン留めをつけて上げ、通気性の悪いピチピチのシャツやゴワゴワのジ−ンズを穿かされ、がに股で歩かざるを得ないヨチヨチ歩きの僕達。でもお名前はとってもお洒落。何人か解らないお名前が多い事。そしてその画数の多い事。ご両親はとっても漢字好きなんでしょうね。
でも成人して大きな声でフルネ−ム呼ばれたらちょっとだけ、恥かしいかも。名刺交換のときも出しづらいかもね、きっと驚かれて。
今日は少し毒を吐きすぎました。でもこれが今の現状の多くです。しかし、そんな中、とてもホッとさせられるような親子を診たりします。そんな時にはまだ日本人も捨てたもんじゃないのかな、あきらめないで子供たちの健康な心身を守るために、お手伝いが出来たらと自分を叱咤激励・・・!!
如何せん、私はまだ親にはなっていない。だからといって子供を診療し、その成長に携わってはいけないことは無いと思う。この理論が通用するのであれば、産科の先生は出産経験が出来ない男性はなれないということになってしまう。以前、私はある母親から次のような事を言われた事がある。「でも先生は所詮母親になっていないから、真の子育てを御分かりにならないんじゃないですか?」
「真の子育ての御分かり」ってなんなのだろう。
先程の母親の言葉は私に対して随分な失礼な暴言と思う。それを澄ました顔で言ってのけたこの母親は人としてあまり褒められた者ではないなと感じ、このような母親に育てられる子供が少し可哀想にもなり、また同じような母親が出来上がるのだろうかと寂しく思った。
古き考えがすべて良いとは思わないが、最近の親子関係には時折首を捻る場面が多い。私が小さい時には夜間診療する病院などなく、急に具合が悪くなった子供を髪を振り乱した母親が抱えて、よく診療所のドアを叩き、父が診察していた事を憶えている。「朝から具合が悪い時には、早く連れて来なさい。子供が可哀想ですよ」と厳しい父はよく母親に注意していた。そして一所懸命に患者の事を思う父は母親に対して厳しくて有名だったが、くじけず付いて来られたお母さん方は多くいた。今ではその「お母さん」が「おばあちゃん」になり、孫の受診の際にたまたま父と顔を合わすと懐かしそうに「よく先生に怒られました」と笑っている。今では随分好々爺になってしまった父だが、そう言われると恥かしそうにしている。
最近の親たちは「子供自身の意思を尊重したい」というがその考えは裏を返せば「嫌がることを言って嫌われたくない」と同じことだ。前の晩から10回以上も吐いている子供に点滴が必要だというと、子供に向かって「どうする?点滴する?」と2,3歳の幼児に向かって平気で尋ねている。当然、子供は針を刺されて痛いわけだから嫌がるに決まっている。「子供が嫌がっていますし・・・お薬じゃ駄目ですか?」「顔色が真っ青で経口摂取が出来ないから、直接血管に水分を補充しないと脱水になるんですよ。脱水はこじれるとやっかいですよ」ここまで医師に説明させて「先生がどうしてもしなきゃいけないって言ってるから、仕方ないね」と子供には伝えられた。
せっかく処方しても「うちの子はお薬を飲みません」と胸を張って言われる。「一回飲ませたら苦いって嫌がったものですから・・・それきり飲ませていません」たった一回の抵抗であきらめてしまう。何かに混ぜて何とかして飲ませようとか、嫌がって噴出してもまた再度飲ませたという話はあまり聞かない。とにかく我が子が嫌って言う味は駄目なもの、我が子がすんなり飲めるようなお薬はないんですか?というのが本音なのだろう。でもこのような親御さんに限って「全然良くならない」と不満を訴えられる。最近は平然とした顔で「困りましたね〜お薬を持っているだけでは良くならないですものね。やはり飲んでこそ効果がありますから。ホント、困りましたね〜」とさりげなくかわせるようになった私。
以前と違って薬の味は随分改良されている。各製薬会社もこの件に対しては結構力を入れている。ただし抗生剤などはやはり後味に苦味が残る事が多い。でもこの抗生剤などのおかげで肺炎などでも外来治療でよくなる事も多い。
我が子に嫌われたくない親御さん達。我が子の病気よりも旅行や遊び事を優先する親御さん達。夜遅くまでコンビニでウロウロしている幼児。子供は顔中カピカピに乾いた青い鼻汁だらけなのに、お化粧ばっちり、ネイルア−トまでしている美しい母親。深夜受診で「熱が高くて心配だから順番を早くして診てくれ!!」と散々受付でごねて診察室に入ってきた母親の頭にはツバが有に20cmはあろうかと思われるお洒落帽子があった。真夜中でも紫外線が怖いのかな?サングラスをしてくる父親もいる。超恥かしがりやさんなのかな?生後2ヶ月の赤ちゃんを真夏の炎天下海水浴に連れて行って皮膚は真っ赤、39℃まで熱発。お母さんがストレスが溜まってどうしても海水浴に行きたかったんだそうな。
中学生・高校生は男女かまわず足を広げてコンビニの前で座り込み。そしてこれまた男女問わず眉が異常な細細さん。健康な皮膚にファンデ−ションを塗りこみ、お金がないからとアイラインは油性マジック。
乳幼児のうちから髪を茶髪にされ、赤ちゃんが飲み込むかもしれないようなカッチン留めをつけて上げ、通気性の悪いピチピチのシャツやゴワゴワのジ−ンズを穿かされ、がに股で歩かざるを得ないヨチヨチ歩きの僕達。でもお名前はとってもお洒落。何人か解らないお名前が多い事。そしてその画数の多い事。ご両親はとっても漢字好きなんでしょうね。
でも成人して大きな声でフルネ−ム呼ばれたらちょっとだけ、恥かしいかも。名刺交換のときも出しづらいかもね、きっと驚かれて。
今日は少し毒を吐きすぎました。でもこれが今の現状の多くです。しかし、そんな中、とてもホッとさせられるような親子を診たりします。そんな時にはまだ日本人も捨てたもんじゃないのかな、あきらめないで子供たちの健康な心身を守るために、お手伝いが出来たらと自分を叱咤激励・・・!!
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真夜中に・・・
2005年5月1日真夜中の豪雨。激しい雨音がとりまいている。
でも今は深夜。ぐっすりと眠っている人には気が付かれない事。
真夜中の豪雨は私の涙に似ている。私の悲しみの時間帯は“真夜中”。
誰にも気が付かれないように、涙を流す。思い切り、気が済むまで涙を流す。涙が枯れ果ててしまうまで、悲しみを噴出す。
そして朝。路面は濡れているけど空には明るい日差し。
人は皆、濡れた路面よりもキラキラした朝の空を見上げる。私も見上げる。
そして何事もなかったかのように、新しい一日が始まる。
でも今は深夜。ぐっすりと眠っている人には気が付かれない事。
真夜中の豪雨は私の涙に似ている。私の悲しみの時間帯は“真夜中”。
誰にも気が付かれないように、涙を流す。思い切り、気が済むまで涙を流す。涙が枯れ果ててしまうまで、悲しみを噴出す。
そして朝。路面は濡れているけど空には明るい日差し。
人は皆、濡れた路面よりもキラキラした朝の空を見上げる。私も見上げる。
そして何事もなかったかのように、新しい一日が始まる。
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午後からは休診。とはいっても昼食時間は14時過ぎ。連休前のせいもあるのだろうが、やはり短時間で多くの患者さんの診察をするのは疲れる。いかん、いかんこんな事じゃ!!だってこれからこの生活、トラブルなければ長々と続くんだから。
今回始めて溜まったJのマイレ−ジを使って航空券購入。手際が悪い私はコンピュ−タ−と睨めっこ。すったもんだのあげく何とか手中に収めた。えへへ・・・「ただ」ってやっぱり嬉しいもん。
今夜もお友達のTさんとお出かけ。きっとこのBLOGを読まれている人からは「出すぎ!!」って怒られそうだが、たまたま重なった事だし、冬場からこっちなんて楽しみもなかったから、少しばかりは羽を伸ばしたいのだ。今夜の場所は大人的な隠れ家「ひ〇」。以前一度行ったが、少し謎めいていてちょっと気になった。私はこのように気になったお店は必ず間をあまり置かずして2回目の訪問をしてみる。そして本当に“お気に入り”になれるかどうか、考えてみる。
Tさんはとても素敵な女性。私にとっては頼れるお姉さんだ。今夜も少し甘えさせていただいた。そしてそのパワ−を頂いた。Tさん、有難うございました。
今回始めて溜まったJのマイレ−ジを使って航空券購入。手際が悪い私はコンピュ−タ−と睨めっこ。すったもんだのあげく何とか手中に収めた。えへへ・・・「ただ」ってやっぱり嬉しいもん。
今夜もお友達のTさんとお出かけ。きっとこのBLOGを読まれている人からは「出すぎ!!」って怒られそうだが、たまたま重なった事だし、冬場からこっちなんて楽しみもなかったから、少しばかりは羽を伸ばしたいのだ。今夜の場所は大人的な隠れ家「ひ〇」。以前一度行ったが、少し謎めいていてちょっと気になった。私はこのように気になったお店は必ず間をあまり置かずして2回目の訪問をしてみる。そして本当に“お気に入り”になれるかどうか、考えてみる。
Tさんはとても素敵な女性。私にとっては頼れるお姉さんだ。今夜も少し甘えさせていただいた。そしてそのパワ−を頂いた。Tさん、有難うございました。
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暦では祭日だが、私にとっては今日もお仕事。隣市の休日診療の日勤に出かけた。大型連休の前のためか、帰省中の患児も多い。発熱児が多いのは当たり前だが、何故か吐いている児も多い。でも吐いているのにグラタンやハンバ−ガ−や炭酸ジュ−スを与えるのは止めてぇ〜
ここは久しぶりの勤務。特にお昼休みの時間は設定されていないが不思議に正午から来院者の足が落ちる。この隙に私達は昼食をとる。ここの施設から昼食は支給されるのだが、往々にしてこの手のお食事はあまり美味ではない。自分で持ち込む先生も多いようだが私はなるべく用意されたものは食べるようにしている。ここの食堂は隣のI病院のそれを使用しているので、隣まで移動して昼食を摂る。
行くと誰もいない。用意された食事をお盆にとり、冷えかけた食事をもそもそと食べていた。その時、背後のドアが開きここの職員だろうか、医師と思われる男性の声と看護師と思われる女性の声がした。
その声の持ち主の男性は私が人生の中で二度と遭遇したくない5本の指に入る人だった。ただでさえ、美味でない昼食がさらに増悪。さっさと箸をおき出て行こうとしかけたその時・・・背後から「Azureさん?」
無視するわけにもいかないので、デパ−トのマネキン以上の無表情な顔つきで「こんにちは」とだけ挨拶し、その場を立ち去った。
10数年前、私はその人に痛い目にあわされた。騙され大きな傷を心に負った。しかしもう社会人の一人だったので傷がイタイイタイと泣いてばかりもいられず、ただひたすらに働いた。当時そんな私を見て母がこう慰めてくれた。「どちらかを選ばなければいけないのなら、人間、騙すより騙される人間を選びなさい。そして騙されたからといって悲観しては駄目。神様がちゃんと見ていてくださるから。騙された人にはきっと良い事があるから・・・但し騙されてばっかりと言うのはいけないけど」
何となく不快な気持になってしまった。でもこの後、溜飲が下がる気持にさせられる事が合った。たいした事でもないが、心の片隅に腐り方が醜くみるのも拒んでいた封印していた食べ物をようやく捨てた気持になれた。
今、私は自分の目で長期に渡って見てきた人を愛し、信じている。きっとその人との明日は必ずやってくると信じている。たとえ時間がかかろうとも、明日は来てくれる。
ここは久しぶりの勤務。特にお昼休みの時間は設定されていないが不思議に正午から来院者の足が落ちる。この隙に私達は昼食をとる。ここの施設から昼食は支給されるのだが、往々にしてこの手のお食事はあまり美味ではない。自分で持ち込む先生も多いようだが私はなるべく用意されたものは食べるようにしている。ここの食堂は隣のI病院のそれを使用しているので、隣まで移動して昼食を摂る。
行くと誰もいない。用意された食事をお盆にとり、冷えかけた食事をもそもそと食べていた。その時、背後のドアが開きここの職員だろうか、医師と思われる男性の声と看護師と思われる女性の声がした。
その声の持ち主の男性は私が人生の中で二度と遭遇したくない5本の指に入る人だった。ただでさえ、美味でない昼食がさらに増悪。さっさと箸をおき出て行こうとしかけたその時・・・背後から「Azureさん?」
無視するわけにもいかないので、デパ−トのマネキン以上の無表情な顔つきで「こんにちは」とだけ挨拶し、その場を立ち去った。
10数年前、私はその人に痛い目にあわされた。騙され大きな傷を心に負った。しかしもう社会人の一人だったので傷がイタイイタイと泣いてばかりもいられず、ただひたすらに働いた。当時そんな私を見て母がこう慰めてくれた。「どちらかを選ばなければいけないのなら、人間、騙すより騙される人間を選びなさい。そして騙されたからといって悲観しては駄目。神様がちゃんと見ていてくださるから。騙された人にはきっと良い事があるから・・・但し騙されてばっかりと言うのはいけないけど」
何となく不快な気持になってしまった。でもこの後、溜飲が下がる気持にさせられる事が合った。たいした事でもないが、心の片隅に腐り方が醜くみるのも拒んでいた封印していた食べ物をようやく捨てた気持になれた。
今、私は自分の目で長期に渡って見てきた人を愛し、信じている。きっとその人との明日は必ずやってくると信じている。たとえ時間がかかろうとも、明日は来てくれる。
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昨夜はぐっすり眠ったせいか、今朝は爽やかな目覚め。今日も一日頑張ろう!!と思う。
明日がお休みのせいか、やはり受診者多し。そして帰省してきて具合が悪くて受診してくる児も多い。今年は大型連休だから、海外に出かける人も多いとニュ−スで言っていた。いいなぁ・・・ちょっと羨ましいぞ!
18時までしっかり働いた。今夜もお出かけ。今週は何故かお出かけが多くなってしまった。隣県のY市から友人のM君がやってくる予定。M君はY市で昨年開業した。私よりも2歳年下だ。イメ−ジ的には「懐の深いお殿様」。
随分前に救急病院で一緒になった。M君は内科だから話す機会はない筈だったが、内科の患者で風疹らしき人がいるとの事で急遽小児科の私が呼ばれた。診察後「症状や経過からやはり風疹でしょう」と伝えた。ただ感染疾患であるため、仕事は休むようにも伝えた。その患者さんは若い男性で確かバスの運転手さんだった。全身状態はあまり悪くないため「でも元気だから今はたいした事ないし、仕事してもいいでしょう?」とヘラヘラ笑って尋ねてきた。まだ血の気が多かった当時の私は、怖い顔をして「幼少時に罹るこのような疾患は大人になって罹ると重症化しますよ。ひどい時には脳炎にもなります。ましてや、貴方のお仕事は沢山の人と接触するご職業でしょう?そのような甘い考えで仕事をして、もし他の人に感染したらどうするんですか?絶対にだめです。」と冷たく言い放ったそうだ。その男性は“脳炎”と言う言葉に震え上がり、横で一部始終を見ていたM君も同じくらい震え上がったそうだ。そして何故かM君はビシバシ言ってのけた私の“男らしさ”に惚れたらしく、それ以来の友人関係だ。
久しぶりの再会。以前と変わらず優雅な物腰。彼を見ると何故かその気持の大らかさや柔らかい物腰から“お殿様”を連想してしまう。日本酒好きなお殿様を今宵は「う〇〇〇〇」へご案内。なかなか気に入ってくれたご様子だった。
近況報告を交えた楽しいお喋りをしているとM君から言われた。
「相変わらず、男らしい!!変わってないですよね〜」
M君は褒めてくれているつもりだろうが、言われた私は何となく微妙・・・
他の女性は賞賛の意味でこの言葉を手向けられたら、どんな気持になるのかな〜
明日がお休みのせいか、やはり受診者多し。そして帰省してきて具合が悪くて受診してくる児も多い。今年は大型連休だから、海外に出かける人も多いとニュ−スで言っていた。いいなぁ・・・ちょっと羨ましいぞ!
18時までしっかり働いた。今夜もお出かけ。今週は何故かお出かけが多くなってしまった。隣県のY市から友人のM君がやってくる予定。M君はY市で昨年開業した。私よりも2歳年下だ。イメ−ジ的には「懐の深いお殿様」。
随分前に救急病院で一緒になった。M君は内科だから話す機会はない筈だったが、内科の患者で風疹らしき人がいるとの事で急遽小児科の私が呼ばれた。診察後「症状や経過からやはり風疹でしょう」と伝えた。ただ感染疾患であるため、仕事は休むようにも伝えた。その患者さんは若い男性で確かバスの運転手さんだった。全身状態はあまり悪くないため「でも元気だから今はたいした事ないし、仕事してもいいでしょう?」とヘラヘラ笑って尋ねてきた。まだ血の気が多かった当時の私は、怖い顔をして「幼少時に罹るこのような疾患は大人になって罹ると重症化しますよ。ひどい時には脳炎にもなります。ましてや、貴方のお仕事は沢山の人と接触するご職業でしょう?そのような甘い考えで仕事をして、もし他の人に感染したらどうするんですか?絶対にだめです。」と冷たく言い放ったそうだ。その男性は“脳炎”と言う言葉に震え上がり、横で一部始終を見ていたM君も同じくらい震え上がったそうだ。そして何故かM君はビシバシ言ってのけた私の“男らしさ”に惚れたらしく、それ以来の友人関係だ。
久しぶりの再会。以前と変わらず優雅な物腰。彼を見ると何故かその気持の大らかさや柔らかい物腰から“お殿様”を連想してしまう。日本酒好きなお殿様を今宵は「う〇〇〇〇」へご案内。なかなか気に入ってくれたご様子だった。
近況報告を交えた楽しいお喋りをしているとM君から言われた。
「相変わらず、男らしい!!変わってないですよね〜」
M君は褒めてくれているつもりだろうが、言われた私は何となく微妙・・・
他の女性は賞賛の意味でこの言葉を手向けられたら、どんな気持になるのかな〜
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昨夜の“睡眠不足がらみの二日酔い”のせいか、身体の切れが悪い。それでも何故か、4月と言うのに患者さんは多い。通常、新学期が始まる4月は受診者減るんだけど・・・
午後は院外で1ヶ月健診。キレの悪い身体に鞭を打ちながら、営業スマイルで健診。ちょっと疲れた。
普段はすぐに帰宅するのだが、何故か異常に眠い。昨日はそんなに遅く帰ったわけではないのだが、一昨日の分が影響しているのだろうか・・・とにかく居眠り運転は出来ないので少しだけ医局で休んで帰る事とした。大きな事故の後だから、気持を引き締めていかないと・・・
午後は院外で1ヶ月健診。キレの悪い身体に鞭を打ちながら、営業スマイルで健診。ちょっと疲れた。
普段はすぐに帰宅するのだが、何故か異常に眠い。昨日はそんなに遅く帰ったわけではないのだが、一昨日の分が影響しているのだろうか・・・とにかく居眠り運転は出来ないので少しだけ医局で休んで帰る事とした。大きな事故の後だから、気持を引き締めていかないと・・・
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今日は夜間診療明けだが、そのまま我が家の診療へ突入。気持だけはテンション高く仕事をこなすが、段々午後になるとガソリン切れ・・・
今夜は知り合いの先生とお食事に出かけるので、午後は午睡をとることにした。しかし、暑くて眠れない!!しかも地震で落ちた瓦の修繕だ何だと工事の音にも私の大事な“お昼寝”を妨害された。
殆んど一睡も出来ないまま、夕方待ち合わせの場所に出かけた。今夜の場所はイタリアンの「カ〇〇〇〇〇・〇〇〇ヨ」。私が大好きなイタリアン。気取っていなくてイタリアの居酒屋って雰囲気がお気に入りだ。今夜ご一緒する先生は市内で開業されているK先生。数年前、医師会の座談会でご一緒させていただき、推理小説の話で盛り上がった事からこのように定期的に食事とお酒を楽しみながら、最近のミステリ−情報を交換するのだ。私よりも大先輩なのだが、とても気さくで、とても真面目な先生だ。
今夜も楽しいお話と美味しいお食事を堪能した。でもちょっとだけ睡眠不足の身体には多すぎたアルコ−ルだったかも・・・?!だってきっちりグラッパまで飲んじゃった(>_<)!!!
今夜は知り合いの先生とお食事に出かけるので、午後は午睡をとることにした。しかし、暑くて眠れない!!しかも地震で落ちた瓦の修繕だ何だと工事の音にも私の大事な“お昼寝”を妨害された。
殆んど一睡も出来ないまま、夕方待ち合わせの場所に出かけた。今夜の場所はイタリアンの「カ〇〇〇〇〇・〇〇〇ヨ」。私が大好きなイタリアン。気取っていなくてイタリアの居酒屋って雰囲気がお気に入りだ。今夜ご一緒する先生は市内で開業されているK先生。数年前、医師会の座談会でご一緒させていただき、推理小説の話で盛り上がった事からこのように定期的に食事とお酒を楽しみながら、最近のミステリ−情報を交換するのだ。私よりも大先輩なのだが、とても気さくで、とても真面目な先生だ。
今夜も楽しいお話と美味しいお食事を堪能した。でもちょっとだけ睡眠不足の身体には多すぎたアルコ−ルだったかも・・・?!だってきっちりグラッパまで飲んじゃった(>_<)!!!
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診療中に大変なニュ−スを聞いた。また起こってはならない事故が起きてしまった。多くの方がその尊い命を犠牲にし、それ以外の方も負傷されているようだ。昼休みにその凄惨な現場の映像が映し出されていた。列車は溶けた棒状の飴の様に捻じ曲がり原形を留めていない。突っ込まれたマンションの階下部分も随分破損していた。
遠く離れた私ですらも目を覆いたくなる光景。近隣の人はさぞ辛い事だろう。
ひとしきり現場の状況を伝えた後、マスコミはこぞって“事故の原因究明”称して“犯人探し”を始めた。スピ−ドの出しすぎの脱線、そして運転士の名前・職歴・過去の経歴まで声高らかに報道している。
確かにその列車を運転していた者とその会社が責任の多くを担うのかもしれないが、実際にその瞬間を見ていないからには事故の経過の断定は出来ない。そしてこのように個人の名前が出てしまうと、まるで自分が正義の味方になったかのように、電話などでその家族を攻撃する心無い人が出てきてしまう。
今回の事故やその後の報道もそうだが、全てにおいて人は慎重にならなければいけない。私達も同様に診療以外でも自分の行動や言動には責任を持たなくてはならない。
今回の事故で犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。
遠く離れた私ですらも目を覆いたくなる光景。近隣の人はさぞ辛い事だろう。
ひとしきり現場の状況を伝えた後、マスコミはこぞって“事故の原因究明”称して“犯人探し”を始めた。スピ−ドの出しすぎの脱線、そして運転士の名前・職歴・過去の経歴まで声高らかに報道している。
確かにその列車を運転していた者とその会社が責任の多くを担うのかもしれないが、実際にその瞬間を見ていないからには事故の経過の断定は出来ない。そしてこのように個人の名前が出てしまうと、まるで自分が正義の味方になったかのように、電話などでその家族を攻撃する心無い人が出てきてしまう。
今回の事故やその後の報道もそうだが、全てにおいて人は慎重にならなければいけない。私達も同様に診療以外でも自分の行動や言動には責任を持たなくてはならない。
今回の事故で犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。
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不精もたまには・・・
2005年4月24日 日常久々の休日。以前から気になっていた眉メイク専門店「ア〇〇〇〇ア」が市内にオ−プンしたので早速予約をしていった。
私はどちらかと言うとあまりお化粧はこらないし、上手でもない。今の高校生の方がよっぽど詳しいかもしれない。そこそこにお化粧し始めたのは大学2年生からだった。
私の眉毛はあまり形が良くない。最近、抜いている人が多いがどう抜いてよいかもわからないし、不精な性分なのでそのまま放置していた。当直の時など女医達の顔が眉毛を書いていないと随分印象が変わることもあって、今まで顔のパ−ツの中では未開発区域だった。それを専門のプロが指南してくれると言うのだから、この機会に・・・と思い予約をしたのだった。
一通り、アレルギ−チェックの問診を書かされた後、名前を呼ばれた。店内はスモ−キ−なピンクとこげ茶を基調とした落ち着いた感じだ。担当の方が自己紹介をした後、簡単に私の眉を査定し始めた。
まず非常に驚かれたのは「眉毛がふんだんに残っている」と言う事だった。いじってないから当たり前なのだが、前述したが最近の女性は殆んどが抜いているらしい。「私も伸ばしているところです」と担当の人も言っていた。
様々なパタ−ンの眉があるようだが、ある一つの形を選んでくれて型を取り、はみ出ている部分をワックスなるもので抜かれた。抜く瞬間は結構痛いが、これも美しくなるためと言い聞かせて、我慢我慢。
40分後、私の眉は仕上がった。まるで剪定されていなかった庭に腕の良い庭師さんが入った後の様に綺麗に整えられていた。「しっかりご自身の眉が残っていますから、殆んど書き足されないでも大丈夫ですよ〜」と褒められちゃった。
日差しも穏やかな小春日和。誰かにこの眉をまだ披露出来ないのは残念だけど、その日がやってくるまで少しずつ自分磨きに専念しようっと!
不精な性分もたまには良い事をもたらす・・・!!
私はどちらかと言うとあまりお化粧はこらないし、上手でもない。今の高校生の方がよっぽど詳しいかもしれない。そこそこにお化粧し始めたのは大学2年生からだった。
私の眉毛はあまり形が良くない。最近、抜いている人が多いがどう抜いてよいかもわからないし、不精な性分なのでそのまま放置していた。当直の時など女医達の顔が眉毛を書いていないと随分印象が変わることもあって、今まで顔のパ−ツの中では未開発区域だった。それを専門のプロが指南してくれると言うのだから、この機会に・・・と思い予約をしたのだった。
一通り、アレルギ−チェックの問診を書かされた後、名前を呼ばれた。店内はスモ−キ−なピンクとこげ茶を基調とした落ち着いた感じだ。担当の方が自己紹介をした後、簡単に私の眉を査定し始めた。
まず非常に驚かれたのは「眉毛がふんだんに残っている」と言う事だった。いじってないから当たり前なのだが、前述したが最近の女性は殆んどが抜いているらしい。「私も伸ばしているところです」と担当の人も言っていた。
様々なパタ−ンの眉があるようだが、ある一つの形を選んでくれて型を取り、はみ出ている部分をワックスなるもので抜かれた。抜く瞬間は結構痛いが、これも美しくなるためと言い聞かせて、我慢我慢。
40分後、私の眉は仕上がった。まるで剪定されていなかった庭に腕の良い庭師さんが入った後の様に綺麗に整えられていた。「しっかりご自身の眉が残っていますから、殆んど書き足されないでも大丈夫ですよ〜」と褒められちゃった。
日差しも穏やかな小春日和。誰かにこの眉をまだ披露出来ないのは残念だけど、その日がやってくるまで少しずつ自分磨きに専念しようっと!
不精な性分もたまには良い事をもたらす・・・!!
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今夜は急遽「開業40周年のささやかな宴」を開催する事になった。父がまだ市内まで出かけて夕食をとることに不安を感じていたのであらかじめ計画していなかったのだが、数日前に「今度の土曜日にでも行ってみようか?」と言ったので、母とこれ幸いと今夜の設定をした。
通常は和食派なのだが、何か記念にと考えワインレストラン「プ〇〇〇〇〇マ」にした。ここのOさんに無理を言って開業年の“1965”、改装年の“1975”のヴィンテ−ジワインを用意していただいた。
人数は10人、近しい人たちだけを招待した。
シャンパンを最初に頂いた後、早速“1965”のワインを。ブルゴ−ニュの赤で液面も殆んど下がっておらず、状態も良さそうだ。静々と注がれるワイン。色は赤と言うよりやや赤褐色へ変化していた。そしてデキャンタした後の澱の多いこと!!さすが40年。両親も感慨深げにに見ていた。
きっと両親の頭の中では走馬灯のように色々な光景が浮かんでいるに違いない。決して楽しい思い出ばかりでもないだろうけど、大きなトラブルもなく続いてきた。「最近は親子4代目の患者さんが来始めた。」と嬉しそうに皆に父は話して聞かせていた。
最後のフィナ−レとしてデザ−トワインで“1975”が登場。程よい甘さが、明るい未来を祝福してくれているようだった。
通常は和食派なのだが、何か記念にと考えワインレストラン「プ〇〇〇〇〇マ」にした。ここのOさんに無理を言って開業年の“1965”、改装年の“1975”のヴィンテ−ジワインを用意していただいた。
人数は10人、近しい人たちだけを招待した。
シャンパンを最初に頂いた後、早速“1965”のワインを。ブルゴ−ニュの赤で液面も殆んど下がっておらず、状態も良さそうだ。静々と注がれるワイン。色は赤と言うよりやや赤褐色へ変化していた。そしてデキャンタした後の澱の多いこと!!さすが40年。両親も感慨深げにに見ていた。
きっと両親の頭の中では走馬灯のように色々な光景が浮かんでいるに違いない。決して楽しい思い出ばかりでもないだろうけど、大きなトラブルもなく続いてきた。「最近は親子4代目の患者さんが来始めた。」と嬉しそうに皆に父は話して聞かせていた。
最後のフィナ−レとしてデザ−トワインで“1975”が登場。程よい甘さが、明るい未来を祝福してくれているようだった。
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