アロマと荒療治

2005年4月22日 日常
朝から市外の仕事。日差しも柔らかく絶好のドライブとなった。予習も兼ねて“Swing Out Sisters”聞きながら車を走らせる。いつ聞いてもちょっとお洒落なメロディが耳に心地よい。

午後は久しぶりに自分の時間が取れた。最近緊張する事ばかりだったので思い切って、お気に入りのリラックスル−ムへ足を向けた。

大好きなアロマをふんだんにまとい、至福の時間を久々に過ごす。こちらのサロンのKさんとFさんと気の置けないお喋りを楽しみながら、とろとろとまどろむ。まさに心も身体もリラックスさせていただいた。

少しずつ取り戻しつつある日常生活。でもまだまだ不安はある。実際、診療自体が怖い。一見さんではなくとも、いつ相手は豹変し牙をむき、襲い掛かって来るかわからない。でも、あせらず、ゆっくりゆっくり克服していかなくてはいけない。そのためには、荒療治だが休日も返上して診療したりする必要がある。

自分に対しての「飴と鞭」。険しい道だが、きっと待ってくれている。

耳よりも顔

2005年4月21日 日常
今夜の夕食は母が久しぶりに外出したので父と仕事を終えて帰宅予定のRと3人でとる。せっかくだからと鰻を用意していってくれた母。Rへのメ−ルに「今夜は鰻だから、早く帰ってね〜」と書き込んだ。
いそいそと帰ってきたRの発した言葉に父と噴出した。
「あ-っ。あれって“うなぎ”って読むの〜?!」
じゃあ、何だと思ったの?との問いにRは真剣な顔で
「“たら”かな〜って思っちゃった・・・」
ホントに想像力もなさ過ぎる・・・一体、どんな発想?!

今夜は巨人戦があっていた。我が家は父が熱狂的ではないが静かな巨人ファン、母と私が熱狂的なアンチ巨人。肩身が狭いだろうと思うがこればっかりは致し方ない。

*今から書くことは巨人ファンの方には申し訳ありません。戯言と思ってご容赦ください。

今夜は清原が500号ホ−ムランをかけての試合。東京ド−ムでしかも阪神戦。清原としては是が非でも達成したいはず。試合は阪神が勝っていたが、途中、満塁で清原の打席になった。舞台は揃っている。

彼は達成できなかった。耳のダイヤのピアスだけがキラキラ輝いていたが、その背中は疲れだけが残っていた。

高校野球で華々しくデビュ−。そしてドラフトで同級生の桑田に出しぬかれ、巨人入りできず西武へ入団。入団した年だったか、あと一人で日本一になるという瞬間、一塁ベ−スにいた彼は泣いていた。それを見て“きっと余程ドラフトの時が悔しかったんだな”と思い“将来、立派な西武の顔となるだろう”と感じた。

しかし、彼は自由な立場になった時、巨人入りを希望した。今までお世話になった西武を捨て、過去に我が身を不要と判断した巨人に嬉々として入った。根っからの関西人なのにオファ−があった阪神には見向きもしなかった。強い強い巨人の選手となった。この事を知った私は叫んだ「清原は男じゃない!!」

「男だから・・・女だから・・・」決め付けるのは余り好きではない。でも一度は自分を見捨てた球団にいくら“ファンだから”とか“ユニフォ−ムを着る事が小さい時からのあこがれだったから”と尻尾を振って行くのは何事だ!!と憤慨した。誰だって巨人に行きたいだろう。星野仙一だって最初は巨人希望だった。「君を採る」と巨人のスカウトに耳打ちされていたそうだが故障が多いとのことで指名をドタキャンされたそうだ。そして中日に入ったわけだが、この時「絶対、巨人キラ−になってやる」と誓ったそうである。事実、星野仙一はそうなった。

実際は、もっと違うのかもしれないが巨人に行ってからの清原はファンの方には申し訳ないが、何となく冴えない。確かに500本のホ−ムランは大記録だが、表情に生彩を欠いている。もし、あのまま西武に居続けていたらどうなったのだろう?そして窮地に立たされていた万年最下位のあの阪神に関西人として誇りを持って単身乗り込んでいたら、どんな表情をしていたのだろう・・・?

明日へ持ち越した500本。ダイヤのピアスの輝きに頼らなくてもキラキラした表情になってこそ、意味があるのではないだろうか・・・
何気に目覚めたら朝6時。“もうそろそろ起きなきゃ・・・”とまどろんでいたらガタガタ。“あ−ッ!また余震・・・しつこいなぁ”なんて思っていたらゆさゆさガタガタ揺れる揺れる!!!慌てて飛び起き、廊下へ。母も洗面所から飛び出てきた。「ひどいよ、今回は!」と父の寝室を覗く。幸いそうこうしているうちに揺れは止った。「大きかったね〜」なんて暢気にしている父。どうも寝起きでよく“震度”は伝わっていなかったようだ。幸せな人・・・

テレビで震度5と報道していた。被害はなかったが余震がおさまりつつある時だっただけに少し吃驚した。家族でお互いに「早朝からこんな目にあうと調子狂うね〜」と言いながら朝食を取りそれぞれの仕事へ。患者さんとも「朝から大変だったね〜」と言いながら診察していると、またもやグラグラ、ゴォ−ッ!!!待合室で「きゃあぁ!!」とお母さん達の悲鳴。短時間でおさまるも何だか気持悪い。ちなみに震度4.

午後も昼食後に揺れた。「本当にもう大概にしてくれ〜」そして震度3。

母などは「常に足元が揺れてる気がする」とぼやいていた。地震馴れしていない地域の者だけに違和感は強いのかもしれない。今夜は余震があるのだろうか・・・

足元は大きな余震で揺れたが、もう“信じる想い”はそこそこの余震では揺れないようになった。母ほどはまだ強くはなれないが、「信じて揺れない想い」を目指そう!
今日は一日何となくブル−な日。でも我が家の開院40周年の日。父の体調がまだ本調子でないため特別なイベントは予定していない。夜は父が知人と出かけたため、母と二人の夕食。

母も最近忙しく気の休まる時もないため、随分ストレスが溜まっている様子。愚痴をこぼす相手も早々居ないので今夜はその相手をした。

母は私が知っている女性の中で一番強い人だと思う。日本で生れたが、祖父の仕事の関係で戦争が終わるまで北京に住んでいた。終戦と同時に引き上げてきたそうだが、引き上げ船3隻のうち前の2隻は魚雷で沈んだそうだ。当初2隻目に乗船予定だった母達一家は九死に一生を得て母国に帰った。引き上げ後、祖父の仕事で北海道に移り住む。当時母は15歳で長女。両親と一緒に幼い兄弟のため買出しに出かけ、夜は皆が寝静まって勉強。そのため睡眠不足で授業中に倒れた事もあるらしい。「そのかわり卒業式では総代を勤めた」と誇らしげに言う母。

勝気な母は時折、強引とも思えるがやはり人以上に苦労をし、自分の人生を切り開いてきた人。96歳でなくなった祖父がいまわの際まで母が男だったら・・・と呟いていた。

幾度となく聞かされた話。でも黙って今夜は傾聴した。ワインも手伝ってホロ酔い気分でご機嫌になっている母。そんな姿を見ながら、今夜は穏やかな夢を見て欲しいと願った。

時折振り返る

2005年4月18日 日常
朝から良いお天気。今日はかなり気温も上がる模様。

朝風呂後、ドライヤ−で髪を乾かしているとゴォ−ッと物音。“えっ!地震の地鳴りか?”慌ててドライヤ−を止め耳を澄まし身体を緊張させた・・・家は揺れず。飛行機の通過音でした。アハハ・・・

よく「子どもの心は汚れていない」とか「子供の様に純真で綺麗な心」等と表現される事が多い。でも本当に“子供”って綺麗な心なんだろうか?

非常にうがった見方と取られるかもしれないが、子供の心はただ単に絵の具の付いていない真っ白いキャンバスなだけではないだろうか?乳幼児をよく観察してみると、誰が教えたわけでもないだろうに、とても意地悪な行動をする児がいたりする。言葉を覚えると言ってはいけないと知っていて、相手の傷つく事を平気で言ってのけたりする。全ての子供がそうではないが、子供の心=綺麗な心として良いものだろうか。

成人し就職し社会に出ると学生時代に想像しえなかったような辛い出来事や傷つく事に遭遇する。そして段々慣れてきて上手にかわしたり、嫌な目にあわされた時に角が立たないように“嫌な目返し”をする事を覚え、自分の汚れた心に目をつぶり騙す。人生が長ければ長くなるほど自分の心が汚れた瞬間というものがわかってくる。

私のこれまでの人生の中でそんな瞬間は多々あった。それが続いた時、これではいけないと反省し幾度となく読み返している本がある。
「兎の眼」灰谷健次郎 である。児童小説であるが新潮社から文庫本で出版してある。主人公は鉄三という子供とその担任の小谷先生(女性)である。でも私が引きつけられる人物は鉄三の祖父の「バクじいさん」だ。バクじいさんは朝鮮が日本の植民地だった頃に青年として過ごした人だ。その頃の話を小谷先生に話すくだりがある。語り口は優しいが人間が如何に愚かであさましく醜い者かという事を言うのである。それを見てきた上で小説の中の現在の優しい眼をしたバクじいさんが居るのである。

読んでもあまり共感されない方も居るかもしれないが、私はいつもこの部分を読む度に胸が傷む。何回読んでも同じ所で目頭が熱くなり胸がぐっと詰まる。そして最後まで読み終えた時、いくらかでも自分が反省し浄化したような気持になる。

私の中で綺麗な心の持ち主は「バクじいさん」なのである。おそらくこれからも変わる事はない。現代の自己中心的な人、非常識な人に是非読んで頂けないものだろうか。

穏やかに・・・

2005年4月17日 日常
朝から休日出勤。喘息を含め様々な患児が来院する。新しい建物と新しいシステムに代わったため、これまた新しく雇われたスタッフがオロオロとして中々スム−ズにいかない。当然の事ながら待たされて怒っている人、怒鳴っている人がいた。中には待ち時間が長かった挙句に診たのが研修医だったと激怒している人がいた。

でも研修指定病院というのはあらかじめ掲載しており、知った上で受診したという事は納得済みと理解される。研修医が診たといっても必ず指導医が相談を受けチェックをした上で処方を行っているわけだから、全く野放しでの研修医診察というわけではない。

とにかく、病院で吠えるのは止めていただきたい。そして言った者勝ちのように受付でごねて順番を早くしてもらわないで・・・皆、同じように具合が悪くて受診しているのだから・・・

疲労困憊で帰宅。何か調子が悪い。新建材のせいかな・・・早めの就寝。

FOMA P700

2005年4月16日 日常
昨日の事もあり、朝から疲れた身体を引きずるようにして活動する。午後もボ−ッとして過ごす。

最近は大好きだった読書もしていない。映画も見に行ってない。そろそろ自分自身を取り返さなければ、いけないと思う。

たまたま携帯の液晶が全く駄目になったので新しい携帯にした。シャンパンピンクのFOMA。何か良い事をもたらしてくれるだろうか?

憎しみの顛末

2005年4月15日 日常
今日の“問題”を考えると気が重い。食事も咽喉を通らない。今週は殆んど眠れていない。頭の芯が少し眠気で侵されている。車の運転があるのでフリスクを始終口にほおり込む。

午後の遅い時間にそれは始まる。待つ間、云い様のない不安と恐怖に襲われ何度もトイレに吐きに行く。こんな情けない姿をあれには見せられない。そう何度も自分に言い聞かせた。

そして、その時間はやってきた・・・

心細さ

2005年4月14日 日常
明日は気が滅入る事が控えている。そのせいか、夜が眠られない。一旦入眠しても夜中に何回か起きてしまう。

自分は気が強いほうだと思っていた。実際、今の職業を続けていくにはある程度、気を張っていかねばならない。こんな事で滅入る私ではなかったのに・・・と情けない気持もある。

不快な眠気と吐き気が混同したような気分のまま一日を過ごす。自己嫌悪のまま、明日を迎えるのか・・・
午前の診療を終えて午後W産婦人科へ。着くなり、私の姿を見た看護師Sさんが「あ〜良かった。今日はAzure先生だ〜」と言うなり他の人に知らせに行った様子。「?」のまま着替えて降りていくと院長や他のスタッフからも同様の事を言われた。今日に限って何故こんなに歓迎されるんだろう・・・頭の中は“??”

後で理由がわかった。先週インフルエンザで私がダウンした際に頼んだ医師とどうやらここのスタッフが合わなかったらしい。「でもさぁ、またお願いする状況はあるよ。悪い人じゃないよ。」と一所懸命フォロ−する私に先程のS看護師さんは「じゃあ、その時は私休みます!とにかく先生は今後絶対に病気しないで下さい!」と怖い顔して言った。

合う、合わないは人それぞれ。色々な人と接していかなくてはならない私たちの職業は相手に合わせる必要がある。今回の先生もそんなに強引な人ではないのだが、最初歯車が狂えば・・・という風に尾を引いたのであろう。

でもどんな状況でも人から頼りにされ歓迎されるというのは嬉しい。「来週も元気にいらしてください」と声を掛けられながら帰る。何となく、気恥ずかしいけどちょっぴり嬉しいな・・・!

クタクタ・・・

2005年4月12日 日常
午後から3歳児健診へ出向く。大体3歳位になると健診を怖がって泣いたり、暴れたりしない事が多い。言葉も大体わかるし、無駄な労力も要らない。

と思っていたら、今日は違った。一人が泣き出すとつられ泣き始める。部屋が狭いので声がこだまし、診察で尋ねる声も次第に叫ぶような感じになる。診察で暴れられると、なまじ身体が大きいので診察側も足げりをくらったりする。我が子の靴(しかもガッチリしたスニ−カ−タイプ)を履いた足がガンガン私に当たっているのに、そ知らぬ顔の母親。誰だって当たると痛いんですよ〜。

医師2人で健診するわけだが、もう一人の先生は健診だけをバイトにされている女医さんだった。だからであろうか、健診とは思えないほどゆっくりゆっくりお話されている。でもそのペ−スだと残念ながら夜までかかってしまう。彼女が一人にかける時間で私は3人・・・そうこうしながら、ようやく終了。それでも3時間かかった。

身も心もクタクタ。早く寝たい。今日はゆっくり眠れる・・・と思ったら今週控えている事が気になり、眼が冴える。羊数えたいのに、羊の顔があの“生き物”の顔になる〜!!

辛い夜が始まってしまった・・・

秘密返し

2005年4月11日 恋愛
昔、キャンディ−ズの歌に「微笑返し」というのがありましたが・・・今日は「秘密返し」です・・・年がバレちゃう。

梅と桜

2005年4月11日
朝から花吹雪。早いものでもう新緑の葉が出てきている。綺麗な花の命は短し。

我が家の桜はソメイヨシノだが、よその桜よりも美樹木さん(贔屓目もあるが・・・)。枝ぶりもとっても決まってる。

母は桜があまりお好みではないらしい。「ワァ−ッと咲いてすぐにワァ−ッと散るでしょ!それが派手で花の命も短くって風流という人も居るけど私は梅の方が密やかで好き。そっと咲いて皆の目をいつのまにか和ませてる。だけど決して地味じゃない。貴方もそんな女性になりなさい」とこの時期になると私にいつも言って聞かせてくれる。

でもお花見の時は先頭に立ってモリモリお酒を飲んでる母。桜のように華麗で綺麗なお姿をそうやってこれからも見せてくださいな。でも桜と違って梅のように長〜い事、その御姿、みせてね!

花冷えの休日

2005年4月10日 日常
昨夜、地鳴りと共に震度4弱の地震が起きた。先月のあの恐怖が蘇る。思わずテ−ブルを握り締めてしまった。

今日は久しぶりにゆっくりとした休日。昼からの雨でせっかくの桜も散ってしまうのだろう。お花見のため昨夜から来ていたTも夕方隣市に帰っていった。Rはピアノの練習をするといって応接間に引っ込んでいたが、休憩と称して出てきてそのまま夕方まで昼寝をしていた。父から「夢の中でピアノの猛練習が出来ただろう」とからかわれていた。

少し花冷えの日曜日。今週は一体どんな日々を送るのだろう・・・

桜の想い

2005年4月9日 恋愛
貴方と去年一緒に見た桜は今年も満開に咲きました。去年よりも花芽は多くつきました。

憶えていますか?夜桜の見方を教えたのを。桜の枝の下から空を見上げます。紺碧の夜空を背景としてくっきりと薄桃色の桜が浮かび上がり、「綺麗だな〜」と感動していましたね。

去年あんなに感動してくれた一人の観客が減って今年の桜さん達が寂しがっていました。来年はもっと、もっと沢山の花が咲いてくれる事でしょう。そしてより鮮やかに紺碧の夜空とのコントラストをみせてくれる事でしょう。
午前は1ヶ月健診。母乳を飲ませたいのだが諸事情で飲ませられず悩んでいるお母さんが居るとの事。聞けばある程度は搾乳できるが、それ以上に張り乳腺炎一歩手前だとの事。炎症を起こしてしまってはいけないので、母乳が抑えられる薬剤を飲むかどうか迷っていると言われた。

最近、母乳がかなり見直されてきて一部では母乳栄養だけで育てましょうという風潮もある。確かに母乳と言うのは自然なものだし、赤ちゃんにとって良いのは当然の事。でも全ての母親が我が子に母乳を十分に与えられるわけではなく、中には母体の事情で最初から人工乳でいかざるをえない場合もある。いつも思うのだが、どの場合でも「これでなければダメ」と言う考え方は如何だろうか?
現に母乳だけで育てなさいと勧められ、母乳量が足りていないのに人工乳を足さず体重が殆んど増えていない赤ちゃんなども時折出会う。そんな時には「母乳のみ」にこだわらなくて良い事、赤ちゃんの身体作りをしてあげる時期だから足りない分は人工乳を無理せず足してよい事を伝える。そうでなければガリガリの赤ちゃんになってしまい、抵抗力も落ちてしまう。

今回のお母さんには母乳栄養は確かに赤ちゃんにとっては良い事だが、母体にストレスをかけてまでこだわらなくて良い事、免疫等は臍帯を通して赤ちゃんにいく事などを説明し、もっとリラックスして子育てを楽しむようにと伝えた。するとお母さんは安心したように笑顔になった。真面目そうなお母さんだからきっと悩まれたのであろう。「今日から安心してミルクを足せます」と帰っていかれた。

人は顔が違うように色んな考え方があると思う。でも逃げ場のない考え方は私はあまり賛成できない。車のハンドルにも“あそび”があるように、様々な指導法にもそれがあるべきではないだろうか。

私の話えを聞き終え、ホッとした瞬間のお母さんの顔が印象的だった。きっと良いお母さんになるに違いない・・・と思った。

小康状態へ

2005年4月7日 日常
忌々しいインフルエンザウィルスはタミフル防衛軍により随分鎮圧されてきた模様。いつまでも寝間着では気分もシャンとしないので今日から普通着に。でも少し動くとだるい。父が園医の健診があるため、午前診を少し手伝う。久しぶりの仕事。恥かしながら少し緊張。頭がまだピリッと働かないのはインフルエンザの影響か・・・それとも私の頭が元々悪いのだろうか・・・

午後からは、やはり疲れた。ベッドに横になり疲れを取る。

明日は一日院外。気をしっかり持って行動しなければ!
今朝も38℃。嫌な頭痛もしっかりある。午後の1ヶ月健診は代診をお願いした。

ひたすら眠る。でも食欲は全く無い。食欲どころか“やる気”全般がない。インフルエンザはこんなものまで奪うのだろうか・・・

早く私の体から出て行って!!

不運を嘆く

2005年4月5日 日常
深夜勤務は何とか乗り切れた。来院が途切れた合間も横にさせてもらった。来院者数も多くなく、重症疾患も居なかった。

帰宅後、寝床へ。あとはひたすら安静臥床。でも頭痛・身体が痛いなどで何とも不快な時間を過ごす。

我が運の無さを嘆く。そして誰かに呪われてるのかな〜とも思う。山形の友人I先生にメ−ルで嘆いたら「そんなに不幸が沢山来た後には大きな幸せが来るだろうから頑張れ!」と励まされた。

そんな幸せを夢見つつ眠る夜。

未体験ゾ−ン

2005年4月4日 日常
真夜中の余震で目が覚めた。と同時に手足がやけに寒い。体全体に違和感がある。とりあえず熱を測ってみると・・・驚いた!!39.2℃もある!!
“昨日の新しい診察室寒かったもんな〜”と思い解熱剤を内服。朝になってみると37℃にさがっている。“あ〜良かった”と思い診療へ(私が熱を出したとか言うと父が心配するので言うのが嫌なのである)。最初は調子良かったが次第に悪寒が出現。ようやく午前診を終えると点滴を打ってもらう。悪寒のレベルは未体験ゾ−ン。毛布3枚着ても歯をガタガタいわせている私を不気味がる母。熱は再び39.4℃に上昇。タミフルと解熱剤を内服した。

インフルエンザだ。検査しなくても間違いなくそうだ。弱り切った身体にあの寒かった診察室、そして来院した患者さんにインフルエンザがいた・・・まさに泣きっ面に蜂。しかも今日は夜間診療の日だ。代わりに行ってくれる人なんて居やしない。

結局、タミフルの効果が一番効いている時間に勤務できるよう内服時間を計算し、出勤した。行くタクシ−の中で“今夜は忙しくありませんように・・・”とお祈りした。

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